悪意なき煽動
世の中、悪意がまったくないのに、いつの間にか煽動の片棒を担いでいたりすることがあるものだ。
今回はそんな、悪意なき煽動のお話。
本を読むでも、アドバイスを受けるでも、このエッセイを読むでも、何でもいいけれど、他人からもたらされる情報は重要な部分が捨てられているかもしれない、という事実は常に頭の片隅においておくべきだろう。
例えば、骨を丈夫にする要因が、『カルシウムの摂取』と『運動による骨への刺激』と『日光(ビタミンDの摂取)』にあったとしよう。そんで、それら3つの要因と骨折がおきる割合が『相関している』としようか?
そうして、インタビュアーさんが、生まれてから一度も骨折したことのない、骨の丈夫なAさんに『なにか特別なことをしていますか?』とインタビューを行いましたと、そんなシーンを想像してみてほしい。
Aさんはこう言いました。『考えたことなかったけど、そういえば僕は毎朝牛乳を飲んでますね。牛乳を飲むことが骨の健康につながっているんじゃないでしょうか?』、と。
嘘ではないのだ。
だけど、この例の場合、人によっては、『むしろ運動が足りていない』だとか、あるいは『日光を浴びていない』だとか、あるいはその両方だとか、そっちに問題がある場合も多い。
筋トレがお好きなら、『毎日縄跳びを行ってますね!』とAさんが回答してもいいよ。
この場合もまた、嘘ではない。
しかし、結局の所、どの要因を抽象したとしても、普遍的因果性は相当に薄まってしまう。
何が言いたいかって言うと、Aさんが情報を想起するときに、悪意なく恣意的に捨象される事実があるってことだ。
悪いことにインタビュアーの質問が引き金となり、Aさん及びインタビュアー並びにそのインタビューを見た読者には、あたかもそれが因果であるかのように錯覚される。
『牛乳を飲めば骨が丈夫になるんだー、みんなもっと牛乳を飲め!』みたいな空気が作られる。
これを鵜呑みにしてしまう人は殊の外多い。
頭がいいと世間で目されている人でさえも、だよ?
知性の70%は母親から遺伝する(キリッ、とかさ。
テレビ番組が放送されると棚から納豆が消えたりさ。
笑い事じゃないよねw
そしてAさん。
インタビュアーに質問されたことによって、妙な確信を得て、以降『積極的に不正確な因果っぽいことを吹聴する』ようになりました、みたいな。
こういうことって、割とよくあることなのだ。
怖やー。




