主人公のキャラの濃淡問題について
一人称の小説だと、読み手が主人公に感情移入することにより主人公の姿が見えにくくなってしまうというやっかいな現象が起こる。
そうすると作者の想定よりも読み手の受け取る『主人公のキャラ』ってずいぶんと薄く感じられてしまうのではなかろうか。
そんな事を考えた。
これって問題ですよねぇ。
作者側は盛り盛りに盛った設定を読み手に伝えたい。
だけど読み手はおもに主人公の周りの反応を通じて、主人公というキャラを知ることになるのだ。
そうしてみると、主人公の一番そばにいるキャラは、主人公を知る鏡としても非常に重要な役割を担うことになる。
それを例えば異世界物によくあるような、ぽっと出の奴隷キャラに担わせるのは相当に難しいんじゃないだろうか?
主人公のキャラが薄いとか、似たりよったりとか言われちゃうことの原因は、実はこんなところにもあるんじゃないのかな、とぼくは思った。
何がいいたいか? っていうとね。一人称の小説には主人公をよく知るキャラとか、主人公の性格をうまく引き出せるキャラが、主人公のそばに必要なんじゃないかって思ったんだ。
例えば、恋愛要素を廃した少年漫画とかだと仲間がその役割をこなす。
仲間との喧嘩や築きあげた絆によって、主人公の人となりが掘り下げられていく。
あるいはみなさんも物語の序盤に、もふもふやぬいぐるみに本音を語るようなキャラクターを見たことがあるんじゃないだろうか?
そんな子に、いずれ人間の親友ができるようになったとしたら、キャラの濃さを深めると同時に主人公の成長をも描くこともできるのかもしれない。
今回はそんなお話。




