優しさと薄情は裏表
思いがけないことが、実はある出来事の表裏だった、などということは存外多い。
例えば、外国から日本を見たときにさ。
財布等の落し物が届くことの多い心の優しい人たちの国だと思う人があれば、いな! ボランティアを行う人達の少ない心の冷たい人たちの国だ、と思う人もあり、あるいは、困っている人を見捨てる見て見ぬ振りの心の冷たい人たちの国だと思う人もあれば、いやいや外国人の自分は親切にしてもらったぞ、という人もある。
まぁ、いろいろあるんだけどさ。
これらのことってさ、実は表裏なんだ。
この評価が分かれることをもって、日本人には二面性があるだの偽善だだのと宣う専門家様は、ド近眼の阿呆だ。
こう言わしめる起源は、同じところにあってね。
要は、性悪説側から見た性善説の国の特徴なんだよ。
落とした人困ってるだろうな。ぼくも落としたらたぶん困る。みんなが届けるからぼくも落とし物を届けよう。他の誰かがやりに行くだろうからぼくはボランティアに参加しなくてもいいや。どうせ誰かが助けるだろうからぼくは助けに行かなくてもいいや。いやまてよ? 言葉が通じない人を助けに行く人は少ないかもな、よしぼくが助けよう。困ったときはお互い様だ。
みたいな。
みなさんも心当たりありませんか?
逆もしかり。
落とし物が帰ってこない。ボランティアを行う人が多い。困っている人に親切にする宗教関係者が多い。寄付が多い。
などなど。これらの特徴は性悪説に根源を置く。
みんなが悪だから自分は善行を行おう、みたいな思想に基づいている。
俺が取らなくてもどうせ誰かがネコババするんだから俺が取っちゃおう。誰も行きたがらないようなボランティアに参加することは正しく善行だ。宗教的信仰のためにそれを行おう。皆、自分勝手だし誰も助けに行かないだろうから俺が助けよう。
みたいな。
それをさ。
一部だけを都合よく見て、自分たちは優れてると優越感を持ったり、他国に比べて劣っていると貶す、それが指摘できちゃう俺すげー的な近視眼的輩のなんと多いことか。
そういうのを目にするたびに、ぼくの絶望は深まるのだ。




