個人主義≠利己主義
よくある誤解に「個人主義者は利己主義である」なんてのがあるんだけどさ。
実際問題、「世界が自分中心に回っている」と思うような利己主義者は、例外なく『集団主義者』だと思うよ。
だってさ、『自分が集団の頂点だ』と思ってるんでしょう?
それのどこが個人主義なんだよ。
集団主義者の生存戦略がマウントならば、個人主義者の生存戦略は交渉だ。
個人主義者はね。
あんまりマウントって取らないもんなんだよ。
個人主義者はそもそもマイノリティだし、交渉しないと生きられないので常に利他と利己を同時に考えてるんだ。
『落とし所を探る』というのかな。
相手の利益を考えつつ、自分の要求を満たす。
相手に譲らないと交渉なんてできないでしょ?
個人主義者をやってみればすぐにわかるよ。『自分一人でできること』なんてたかが知れてるって。
すべての人が交渉相手になりえるんだ。
だからマウントとかは、個人主義者は普通やらない。
話は変わるけど、『隣人愛』ってあるじゃん?
昨今、『個人主義者が増えてきたから隣人愛が薄くなってきてる』ってそんなことを言ってる人がいるけどさ。まじかよ? とぼくは思った。
そりゃ違うでしょ。
そもそも、個人主義者は増えていないよ全然。
ぼくなんかは相変わらずマイノリティだし、今だって精神的には孤立してるよ。
じゃあ、『どうして、隣人愛が薄くなったのか?』っていったら、それはみんなの生活スタイルが変わったせいだよね。
愛ってさ、『時間的積み重ね』に依拠するみたいなことを前の方のエッセイで書いたじゃん?
隣人愛もそうだよね。
『隣人と一緒に積み重ねる楽しい時間』みたいなもんが隣人愛の構築には必要なわけだ。
例えば、共同生活が重要な被災地とかさ。そういう場所では育つでしょ? 隣人愛。
お隣さんからお醤油借りたりさ。
あるいは宗教をともにする人とかどうよ? 週末にミサに行ったりとかさ。しらんけど。
または、顔なじみさんといっしょにボランティアをしたりすれば育つでしょ? 隣人愛。
隣人と『生活時間も違う、顔も合わせない、町内会には参加しない』では、愛なんか育つわけないじゃん?
個人主義者云々は関係ないよ。
生活スタイルが変わっただけでさ。




