自分をマイノリティだと信じて不幸に拍車をかける人達ってさ
生きづらさを感じている人が、自分を『少数派だ』と信じ、少数派であることに執着して、ことさら疎外感を感じたり、不幸に拍車をかけたりするじゃない?
マイノリティのぼくは世界一不幸だーとか、マイノリティは生きづらい世の中なんだ鬱だしのう、とかさ。
障害は取り除かれるべきだけど、余計な不幸を背負い込むのはやめようよ。
今回はそんなお話。
まず、10人の学級を用意しよう。
そのうちの1人、Aくんが発達障害で算数が苦手だったとする。画一的な教育方針でAくんは取り残されている。Aくんはこう思います。なんで僕ばっかりこんなに生きづらいんだ、と。
これは、Aくんにもあった教育方針を取り入れることで状況が改善される可能性がある。
次は、図工や技術系の授業。
Aくんは手先が器用で工作の時間はいつも素晴らしいものを作る。Bちゃんだけが下手っぴで毎回他の人より多くの時間がかかる。Bちゃんはこう思います。生きづらいなぁと。
実はこのクラス、Bちゃんだけが左利きなのだ。
用意された工具は右利き用ばかり。Bちゃんはハンデを抱えているわけだ。
この状況は、左利き用の工具を用意してあげることで改善される可能性がある。
次は、給食だ。
Cさんは一人だけ毎日食事を摂るために時間がかかる。昼休み遊べないから友達も少ない。食後の授業はいつも元気がないし、放課後だって元気のないCさんを誘ってくれる友達は少ない。外で遊ぶAくんやBちゃん達をみて、Cさんは生きづらいなぁと思っているわけだ。他人に言わないだけで。
Cさんは小麦粉アレルギー持ちだった。
小麦粉が使われているか否かを確認しながら食べるので、時間がかかるし食べられないものも多い。Cさんは障害に直面しているわけだ。
この状況は、グルテンフリーの給食とかを選べるようにしてあげれば改善するだろう。
さて、結論。
障害は取り除かれるべきだが、自分をマイノリティーの側において不幸を背負い込むのはやめよう。
馬鹿らしいじゃん? そんな無駄なものに囚われるのは。
マイノリティだのマジョリティだのは、結局の所、場面ごとのクラスタの大小でしかない。
重要なのは、ただひとつ。
障害を取り除く(減らす)にはどうしたらいいか? ってことだけだ。




