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04 窮地に別離を

 小屋を囲う結界は、大きなものではない。それはあくまでハンラが、森の一部となり、魔物や野獣を小屋へ寄せつけぬための、ささやかな縄張りである。それが破られたということは、結界を破った存在は、小屋のすぐ側まで迫っているということだった。

「気配を消して、じっとしていろ」

 カボスに言って、ハンラは立ち上がる。

「ほえ? あ、あの、半裸様?」

「いいから気配を……お前、忍者の術は、どれほど使える?」

 問いかけに、カボスが首を傾げる。

「ほえ、にん、じゃ? よくわかりませんけれど、ボク、気功くらいしか、使えなくって……」

 悪い予想が、またひとつ当たる。人並みの感情をとうの昔に捨て去ったハンラでなければ、舌打ちのひとつでもしてしまうところであった。

「……気を、小さく練れ。腹の中心に、指先ほどに、小さく、だ。それに、集中していろ。それだけで、いい」

「ほえぇ、それって、難しいことですけれど……半裸様が言うなら、やってみます」

 カボスの返事にうなずいて、ハンラは小屋の戸を開け静かに外へ出た。月の光も届かない、深い森の闇の中へと気配を飛ばす。すぐさま、四つの存在が感じ取れた。

「何者だ」

 ハンラの声が、木々の間を抜けて響いてゆく。木々に反響した声は、四方八方から降り注ぐように聞こえてくる。それは、初歩の忍法であった。

「貴様が、知る必要は無い」

「こちらの邪魔をしなければ、手出しはしない」

 応じた声は、二つ。同じ場所から聞こえてくるようだったが、声の主と聞こえてきた場所は全くの別である。ハンラの頬に、つっと冷や汗が流れた。小細工を、それ以上の技術で返される。つまりは、相手は自分と同等か、あるいはそれ以上の技量の持ち主ということになる。

「小屋にいる、小娘だけが、目的か」

 言いながら、ハンラは下帯の中から木製手裏剣を取り出した。とはいえ、それは攻撃の為ではない。心臓と頭の前に、さっと手裏剣を立てて構えれば、かつん、かつんと二本の矢が突き立った。

「喋るだけ、貴様の命は縮まるぞ」

 手裏剣に刺さったのは、短い矢で、恐らく毒も塗られていることだろう。深い森の中で、エルフ族は短弓を好んで使う。矢の勢いと狙いの正確さからみて、包囲をしているのは手練れのエルフが四人で間違いはなさそうだった。

 エルフとは、森の中で生きる超人亜人の一種である。闊歩する猛獣や魔物を狩り、森の恵み、そして森の与える様々な試練と共に生きる種族だ。人間とは比べ物にならない身体能力、魔力を誇る彼らには、生まれながらにして忍者の素養があるといえる。そして長い寿命をもって弛まぬ鍛錬を積めば、彼らは超一流の忍者となる。それが、四人。ハンラは今、まさしく窮地にあった。

「……慌て者、急いては事を、仕損じる。人間のことわざが、お前らに、わかるだろう、か?」

 矢の刺さった手裏剣を下帯に仕舞い、ハンラは火のついた縄を取り出した。ぽつん、と闇の中に浮かぶ燐火は、ぼんやりとハンラの姿を浮き上がらせる。普通の短弓使いに対してそれは、最悪の手である。だが、闇を見通す眼を持つエルフに対しては、どちらでも意味は無い。

「なるほど、備えはあるようだな。だが我らの矢は、貴様の持つ火縄の火種を、打ち抜くことに難儀は無い。無駄な抵抗だ」

 傲岸な言い草であったが、超一流の技量に基づいた、確かな自信が込められている。きりり、と短弓を引き絞る音が、ハンラの耳元から聞こえてくるようだった。無論、それは幻聴、あるいはエルフたちの仕掛けた術のひとつである。彼らは音もなく弓を引き、獲物を射るのだ。

「俺の仕掛けは、この小屋だけでは、ない。付近の木々も、巻き添え、だ」

 だからこそ、ハンラは堂々と言ってのける。包囲のエルフたちに、初めて動揺の気配が生じた。

「莫迦な……神聖な、森を燃やす、だと?」

「くだらん、所詮は()()()()よ」

「あのように粗末でちっぽけな結界しか張れぬ、人間風情が」

「だが、万一、ということもある……うぬぬ」

 森と共に生きる、エルフという種族の弱点はここにある。彼らは森を穢され、木々を蹂躙されることを極端に嫌がるのだ。森と共に生き、森林信仰、といえるほどに森への想いの篤い彼らにとってそれは、当然のことである。

「森を燃やすということは……貴様、確実に死ぬぞ。どこへ逃げようとも、我らが、我らの同胞が、貴様を地の果てまでも追いつめ、確実に殺す」

 じわり、とハンラを殺気が包み込む。気の弱い者であれば、それだけで心の臓が止まりそうなほどのものである。だが、仕掛けては来ない。忍法の発動条件は、いかな卓越した技量をもつエルフたちであろうとも、判ってはいないのだ。ハンラが死ねば、それをトリガーに森が燃え上がる。その可能性もある為に、エルフたちは踏み込めない。

「もとより、ここで殺されるのであれば、同じこと、だ。死なば、もろとも、よ」

 闇の中へ、ハンラは不敵な視線を向ける。覆面に隠された表情には、凄絶な笑みがある。それはエルフたちに、気配で伝わっていた。

「……汚いぞ、人間!」

 一人のエルフから飛んだ罵声を、ハンラは涼風のように受け止める。

「……汚いは、誉め言葉、だ」

 忍者にとって、当然の心得である。抜け忍となっても、ハンラの精神性は健在であった。

「……わかった。小娘を差し出せば、貴様の命だけは、助けてやる」

 一人のエルフの言葉に、他のエルフたちの間にざわめく気配が走った。ハンラはあえて、それが治まるのを待つ。優位性は、ハンラにある。慌てる必要は、ない。

「さあ、返答や、いかに?」

 落ち着いたエルフの声が、届いてくる。ハンラは、火縄を顔の横へかざして大きくうなずいて見せた。

「是非も無い、が……小娘は、怪我をしている。呼べば、出て来る、というわけでは、ない。連れて来るゆえ、しばし待て。時は、そうかからぬ」

「さっさとしろ。我らの、気が変わらぬうちにな」

 すっと、ハンラを包んでいた殺気が引いた。それを確認してから、ハンラはゆっくりと小屋の戸を開け、背を見せぬように中へと滑り込む。

 戸を閉めて振り返れば、カボスが正座をしたまま、目を閉じて集中していた。気配は小さくなっていたが、消えるというほどでもない。ハンラは小さく息を吐き、カボスの肩を軽く叩いた。

「ほえ、あっ、半裸様」

「お前の、追っ手、だ。時間が惜しい、黙って答えろ。お前は、里に、帰るつもりはある、か?」

 問いかけに、カボスが首を横へ振る。

「ボクは」

 何かを言いかけたカボスを、有無を言わさずハンラは担ぎ上げる。

「ほえっ? ちょ、半裸様!?」

「ここを、出る。なるべく、動くな、よ」

 短く告げれば、カボスは大人しくなった。肩に、ほんのりと柔らかなものが当たる。左腕の位置を直し、カボスがずり落ちないように調整をしてから、ハンラは右手の指を立てて印を切る。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前……」

 印を切り終えた手で、ハンラは右手にあった火のついた縄を床へと叩きつけた。

「忍法、紅蓮延焼!」

 たちまちに、小屋の床へ炎の華が咲く。ぼん、と音立てて、炎は瞬く間に小屋全体を包み込んだ。

「ほえええ! は、半裸様ーっ!」

「喋るな、舌を噛む、ぞ」

 カボスの叫びと、ハンラの呟くような小声が、炎の中へと消えていった。


 小屋を包囲していた四人のエルフたちは、突如燃え上がった小屋を前に一瞬、呆気に取られた。

「あ、あの人間……まさか、進退窮まって自決を……?」

「森の中で、火術だと? 莫迦な!」

「やはり、射殺しておくべきだったか!」

「見逃してやる、と言ったというに、やはり人間は短慮で愚かだ!」

 罵声を上げつつも、四人は小屋へと向かおうとする。だが、その足元で、するすると伸びてゆくものがあった。森の木々へ向けて、火がまるで蛇のように、細く長く燃え拡がってゆく。

「まずい! 森へ火が!」

「食い止めるのだ! 所詮は人間の術!」

「次々に伸びてくるぞ! 水の魔術でも効果が薄い!」

「油を撒いていたのか!? くっ、これでは、小屋へ向かえん!」

 消火に奔走するエルフたちの前で、小屋は勢いよく燃え上がり、崩れ落ちてゆく。夜空を赤く染める紅蓮の炎は、天高くどこまでも伸びてゆく。

「おのれ! 半裸の人間め! 許すまじ!」

 森の奥深くで、エルフの屈辱の叫びが夜空へと響いていった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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