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03 女エルフと男の名前

 闇の中にそっと立つ、半裸の男に女エルフが悲鳴を上げる。直後、女エルフの腹の虫がぐぎゅると鳴った。それは大声を出した彼女への、身体からの抗議だったのだろうか。こちらを凝視する姿勢のまま固まった女エルフに、男は皿に盛った焼きピピ豆を指差し再び言った。

「喰え。それは、お前の分、だ」

 女エルフに、男はぶっきらぼうに告げる。忍者として生きていた時も、そして抜け忍となって以来も、まともに人と会話をすることは絶えて無いことだった。ために、声は少しぎこちなく、掠れたものになってしまう。

「ほえ……た、食べないで」

「喰うのは、お前、だ」

 言いながら、男は女エルフの瞳をじっと見つめる。髪色と同じく、エメラルドグリーンの大きな垂れ目が男を見返している。大きな驚愕と、恐怖の入り混じった色が見えたが、目の色は健康そうだった。

 身体も健康を取り戻しているらしく、ぐうぐうと腹の虫が主張を繰り返している。それでも女エルフが動かないのは、下帯一枚の半裸の男に警戒を抱いているからなのかも知れない。だが、今更姿と気配を消したところで、女エルフがピピ豆を口にするかどうかは、判らない。

「……口を、開けろ」

 刹那、思案した男は女エルフの顔の前に焼きピピ豆を一つ、持ち上げて見せる。男の所作に女エルフはわずかに逡巡をみせて、それから恐る恐る、といった様子で男の持つ豆にそっと齧りついた。

「ん……柔らかくって、塩味が丁度よくって、美味ひい、れす」

 咀嚼をしつつ、女エルフが感想を口にする。余程空腹感があったのか、一口食べればあとは早かった。見る間に、豆は女エルフの口の中へと消えた。

「……好きなだけ、喰え」

 皿に残った焼き豆と男の顔へ交互に視線をやる女エルフに、男は軽くうなずいて見せる。女エルフは男の様子を気にするように、そろりそろりと手を伸ばし、豆をはむりと口にする。そうして二つ目を食べ終えると、また男の顔を下から覗き込むように見つめてくる。五つの豆を食べ終えるまで、男はその度にうなずいて見せた。

 この女エルフの身分は、あまり高貴なものでは無いのかも知れない。動きを見て、男は分析する。はむはむと懸命に豆を齧るところから、食欲は旺盛なようである。だが、その本能を抑えるように、男の態度を気にするようなところが、女エルフにはあった。肌の色のこともあり、男の頭には一つの予測が浮かんでいた。

「ほえ、あ、あの……ありがとう、ございます」

 皿の豆を全て食べ終えた女エルフが、男に向けてぺたんと床に座り、丁寧に三つ指をついてお辞儀をする。

「……構わない。豆は、沢山、ある。お前の、名は?」

 仰々しい土下座を受け、男は女エルフを見下ろしつつ尋ねる。

「ボ、ボクは、カボスって、いいます」

「ボク? お前は、男だったの、か?」

 聞き返す男に、カボスと名乗った女エルフが首をぶんぶんと横に振る。

「ほえ、その、違くて……ボク、あの……」

 言いよどむカボスに、男は小さく息を吐いた。

「……込み入った、事情であれば、言わなくても、良い、ぞ。問いたいことは、二、三ある、が……今は、身体を休めることが、先決、だ」

 寝台を顎でしゃくり示しつつ、男は言う。それに対し、カボスが胸の前で両手をぶんぶんと振った。

「い、いえ! もう、充分休ませていただきましたし、その、だいじょぶです! ボク、結構頑丈ですから!」

「……そうは、見えんが、な」

 男が見ているのは、カボスの気配、気の流れである。喰うことで、怪我の療養に必要な栄養は確保できている。だが、完治にはまだ安静でいることが必要だ。それが、男の診立てであった。

「ほえぇ……」

 腕組みをして、横目で見つめる男の前で、カボスが奇妙な鳴き声と共に浅く呼吸を始める。男の眼が、すっと細くなった。

「……気を、練っている、か。お前は、内気功が、使えるの、か」

「は、はい! ボク、気の扱いだけは得意で……だから、だいじょぶです。聞きたいことがあるなら、なんでも聞いてください! あなたは多分、命の恩人ですから……あの、あなたの、お名前を、聞いてもいいですか?」

 カボスは体内の気を巧みに操り、自らを活性させてゆく。その手順は男から見て、驚くほどに滑らかなものだった。小柄だが豊満なカボスの身体中に、ほどなく活力が戻り、血色も良くなった。

「……俺の名、か? 俺は、ハ……いや、俺のことは、どうでも、いい。好きに、呼べ」

 名乗ろうとして、男はやめた。忍びの道を抜け、名を捨てたばかりの身である。男にとって、自分の名はこれまで自分を示す記号でしかなかった。そしてこれからの静かな生活に、名前は要らない。

「ほえ……好きに、ですか? む、難しい、です。み、見た目からだと、名無しの半裸様、とかになっちゃいますし」

 呼び名の要素を見つけようと、男にちらと視線を向けてカボスが頬を染める。

「……ならば、それで構わん、ぞ」

「ほえ?」

 男の言葉に、カボスの童顔がきょとん、となった。

「名無しの半裸。少し長い、か。ならば、ハンラ、だ。俺はこれより、ハンラという名、だ。そう呼ぶと、いい」

「ほええええ!?」

 うむ、とうなずく男に、カボスが驚愕の表情を見せる。それに対し、男、ハンラはふっと小さく息を吐いた。

「どうした、お前が、言い出した、名だろう。遠慮なく、呼ぶといい、ぞ」

「ほえ、で、でも」

「名は、体を表す。俺は、お前の考えた名が、気に入った、ようだ。だから、呼べ」

「え、ええと、それは……ほえぇ」

「さあ」

「……は、半裸様」

「良し」

 ためらいがちに口にするカボスに、ハンラは深くうなずいた。

「ほえ、いいんですか……」

 満足そうなハンラに比べ、カボスの表情は青く引きつっていた。だがハンラは、過去の名を捨て新たな名を得、それを他者から呼ばれることで承認を受けた。そんな小難しい理屈でもって、満足しているのである。屈折しきった男の理屈など、知る由もない。

「では、カボス、よ。こちらの問いに、答えてもらう、ぞ。お前は、何者、だ。何故、こんな場所に、いる。お前は、エルフ族、なのか。そうだとすれば、お前の部族の、住む場所は、近いのか」

 ハンラがぽつりぽつりと、多くの質問を並べる。ハンラには、カボスに対し幾つかの予測があった。ために、この質問は確認である。だが、それが一つでも、外れていてほしい。忍者の道を捨て得た、穏やかな生活を根底から脅かすものが、カボスにはあるかも知れないのだ。

 問いかけに、カボスは身をきゅっと小さくして、俯きがちに口を開く。丸みを帯びた身体つきが、図らずも強調されていた。

「え、えっと……ボクは、この森の奥に住んでいる、エルフの里から、やって来ました……ううん、逃げて、来たんです。ボクはハーフエルフで、里のお母さんと、外から来た、人間のお父さんの間に産まれたんです。二人とも、ボクの物心がつく前に、死んじゃって……ボクは、里のひとたちに、育てられました。人間の血が混じっていることで、あまり、良い扱いは、受けていなくって、その……」

「虐待を、されていた、か。察するに、奴隷のような、生活だった、だろう。お前の、物腰のひとつひとつが、そう言って、いる」

 ハンラの率直な感想と分析に、カボスがますます身を小さくする。すっとハンラは腰を下ろし、胡坐をかいて先を促した。

「それで、ボクはある日、里長の、重要な……秘密を知ってしまって、こ、怖くなって、逃げ出してしまったんです。里から遠くへ、遠くへって、走り続けて。一日中、走ってきて、あの小川にたどり着いたときに、魔物に襲われてしまって……そこで、気を失ったんです。半裸様が、助けてくださったんですよね?」

 カボスの問いに、ハンラはうなずきを返す。

「改めて、ありがとうございます。危ない所を、助けていただいて」

 再び、カボスが深々と頭を下げた。

「……構わない。気功を、治療に使ったのは、初めてだった。おかしなところは、無い、か?」

「はい、って、半裸様、初めてだったんですか? 気功を他人に使うのって、すっごく難しいのに……とっても、上手でしたよ? ボクが自分でしても、こんなにはならないってくらいに」

「……そういえば、お前も、気功の扱いには、長けていると言っていた、か」

 きらきらと尊敬の目を向けてくるカボスに、ハンラはぽつりと言った。

「はい! 里で、怪我を直したりしてましたから、治療だけは人並みに出来るんです。でも、他人に自分の気功を送って治すのは、しないほうがいいです、半裸様。自分の生命力を、大きく削るんです。深手であればあるほど、大量の生命力が必要になって……患者のかわりに、死んでしまうことも、あるんです」

 浮き立った様子のカボスが、肩をすぼめて小さくなった。その瞳と身体を巡る気から、深い悲しみのような気配をハンラは感じた。

「命を、削る術、か。肝に、銘じておく、が……あのときは、そうするより他は、無かった」

「ほえ、半裸様……」

 ハンラを見つめるカボスの目に、崇敬の念がますます募ってゆく。エルフの里で蔑視を受け、虐げられてきた過去が、カボスの心をハンラに傾斜させているのだろうか。だとしても、ハンラの思考は今、この場には無い。カボスの話に受け答えをしながらも、考えるのはカボスの言葉から導き出された不穏なひとつの推論である。


 エルフの里は、あの小川から一日程度の場所にある。カボスには、追っ手がかかっているのだろうか。里長の秘密を握る、奴隷階級の娘子一人に、エルフたちは果たしてどれほどの手練れを繰り出してくるのか。カボスを差し出せば、エルフたちはハンラを放って里へ帰ってゆくのか。そして、カボスを大人しく、追っ手に引き渡すことを、自分は肯ることが、出来るのか……


 幾つもの思考が、ハンラの脳裏で交錯する。そして、ほどなくその時は訪れた。びぃん、とハンラの耳の奥で、耳鳴りのような音が響く。それは、小屋を守る結界が破られ、内部に何者かが侵入してきたという報せである。

「……来た、か」

 ハンラは、静かに立ち上がった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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