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01 炎の中に消える影

新連載です、よろしくお願いします!

 忍者(ニンジャ)。それは、諜報や暗殺など、裏稼業を生業とする、闇の仕事人である。影から影へ、闇から闇へと己の体術のみで渡り歩き、狙った獲物は逃さない、人外化生の存在だ。鍛え上げられた体術と、摩訶不思議な現象を引き起こす忍法。これに狙われれば、いかな剛勇無双の猛者であれ、ただでは済まない。偉人悪人類を問わず、多くの人命が闇へと消える。そして任を果たした忍者もまた、闇へと消えてゆくのだ。



 暗い館の一室で、男は刀をゆっくりと引き抜いた。ごぽり、と傷口から、赤黒く熱い血が噴き出してくる。

「な……ぜ……」

 男の指の間から、掠れた声が漏れる。死にゆくものの、それは最後の問いかけである。

「戯れに、摘んではならぬ、高嶺の華」

 低い声で、男は()()に向けて囁いた。同時に男の手の中で、ぐるん、と声を出したものの眼球が回る。音を立てぬよう、男はそっとそれを横たえた。

 静寂の訪れた部屋の中、差し込む月明かりに男は刀に血振りをくれて、そっと鞘へと戻す。刹那、煌く刀身に映し出されたのは、無味乾燥した冷たい双眸。男は手を止めて、じっと刀身を見つめる。哀しんで、いるのだろうか。自問して、男は小さく首を横へ振る。

「……虚しい、か」

 黒い覆面越しに、男は息を吐く。口にしてしまえば、その感情は己の中で律することもかなわず育ってゆく。

 忍者として生き、多くの者を手にかけてきた。命じられるままに、老人も、幼子も、男も女も分け隔てなく、ただ、命を奪ってきた。それを当然、と受け入れてきた半生に、男の感傷はとうに鈍麻し、消えていた。その筈だった。

「………」

 無言で、男は床に沈んだものを見やる。端正であったその横顔は、険しくゆがめられた死相を浮かべている。もう、彼がその美貌を活かし、不義密通の罪を重ねることは、無い。命令は、完璧に遂行されていた。

 だが、男の中に達成感は一欠けらも無い。惰性のままに、戻れば次の仕事で、また誰かを殺す。知れ切った未来に、男は感情を動かした。

「……抜ける、か」

 漠然とした、不安定な何かが男の中から囁きかけてくる。否、それは、男の中の、密やかな欲望なのかも知れない。薄い感情と、怜悧な頭脳で男は浮かんだ考えを分析する。何処かの山中、あるいは深い森の奥まで行き、忍者の生業を捨てて生きる。人間同士の無為な殺戮から、縁を切る。穏やかに、天然自然の理に身を任せ、悠々自適にその日を暮らす。

「……悪くは無い、か」

 忍者を辞め、抜け忍となればそれは可能である。だが、生きている限り、男には追っ手がかかる。辞めさせてくれ、と言って素直に通るほど、甘い業界ではない。暗殺と諜報に奔走した半生が、男の背に厄介な荷物として圧し掛かっているのだ。

 忍者には、上忍、中忍、下忍と三つの身分がある。男は、下忍であった。体術を鍛え、影に忍び自らの腕で目標を始末する。いわゆる、実行部隊である。下忍を束ね現場へ差配する中忍とも、国の影で暗躍し依頼を受ける上忍とも、責が違う。

「……抜けたところで、変わりなど、掃いて捨てるほどにいる、か」

 一度決めてしまえば、思考は急速にそちらへ傾いてゆく。最早男には、素直に帰還をするという考えは無くなっていた。

 現場にあるものを、最大限に利用する。それも、忍者の資質の一つである。骸となった伯爵貴族の当主の部屋にて、男は数舜、腕組みをして思考を巡らせる。

「……死を、装う。下忍ハザンは、死して任を遂げた、か」

 言葉を口にして、男の行動は速かった。黒い忍者装束を素早く脱ぎ捨て、下帯と覆面だけの姿となる。そうして愛刀の腹を膝に当てて、一息にへし折った。硬質な音を立てて折れた刀を、男は骸の枕もとへ置く。

「……全ては灰となり、俺の存在は塵となり消えゆく、か」

 呟きつつ、男は部屋のランプの油を床へと撒いた。赤黒い染みが拡がりつつある絨毯に、異臭が立ち込める。手早い準備の為か、あっという間に仕込みは終わっていた。

「……今生の別れ、か」

 傷ひとつ無い半裸の肉体を隠すことなく、男は虚空へ言葉を投げる。それは、中央にある骸へのものではない。振り返り見た、己の半生への言葉だった。短い沈黙の後、男は右手の指を二本立てて印を組み、空でそれを九度、切った。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前……忍法、紅蓮延焼」

 低い声の詠唱の後、男の指から小さな火が放たれた。蛍のように儚く、小さな火。だがそれは、床に落ちると瞬く間に部屋全体へ大きく燃え広がってゆく。油の勢いを呼び水として、炎は有り得ない燃焼量で全てを焼き尽くしてゆく。魔法ではなく、純粋な物理現象を超えたもの。それが、忍法である。少量のランプの油が燃え尽きてもなお、炎の勢いはとどまるところを知らず、どころか勢いを増して爆ぜ、広がり部屋の窓を割った。

「な、何事だ!」

「火事だーっ!」

 寝静まっていた伯爵貴族の館が、騒然となる。ある者は悲鳴を上げて逃げ回り、またある者は果敢に業火に挑み水を撒く。水魔法の助けも借りて、それでも火の手は緩まず、拮抗を続ける。苦闘を強いられる人々を尻目に、男は下帯一つの姿のまま、館の屋根から飛び降り夜陰に姿をくらませる。人々の注目は燃え盛る館にいっており、誰にも見咎められずにその場を後にすることは、造作も無いことであった。

「……これで、自由の身、か」

 半裸姿のまま、男は都を見下ろす丘の上にたどり着いていた。肌に当たる夜風の冷たさは、身体の内側に巡らされた内気功の力によって心地よい涼しさに代わる。

「……自由の風、か」

 呟きつつ、男は気配を探る。同胞たちの、追って来る気配は感じられない。入念に、気配と痕跡を消してあるので、気付かれる心配は、無いだろう。確信を得て、男は駆け出した。夜風を背に受け、道なき道を、疾風となって駆けてゆく。

「……目星はある、か」

 頭の中に地図を浮かべ、男は一直線に進んでゆく。都を離れ国を出て、遠く遠くへ駆け続けるその先に、男の目指す場所はあった。いつか、任務の際に訪れた、人も立ち入らぬ深い森の中。吹く風の先に、男の頭の中に浮かんだ地である。

「……いつか、この日の為に、か」

 導かれたのかも知れない。自由を求める、無意識の中の何かに。軽やかに闇の中を駆けながら、男はそんなことを考えていた。

 この日、王都から一人の下忍、ハザンという男が消えた。それを知るのは、闇に生きる者たちのみである。任務の最中に死んだと伝えられた彼らは、驚愕したのかも知れない。だが、世を忍ぶ者たちの動揺は、表に出ることは、決して無いのであった。



 小屋をひとつ、建てた。手つかずの森の中、少し開けた広場にである。すぐ側にピピ豆の群生しているところがあり、木々を伐り倒す手間も無かった。小屋の場所は、それだけで選んだ。ほどよい水量の小川も近くにあり、飲み水や身体を洗う水には、不自由しない。それだけで、充分だった。

 小屋の前に、たき火のできる場所を作る。群生していた豆を、畑にした土地へと植え替える。野獣や魔物が入れぬよう、ちょっとした結界を張る。太い木の枝を伐り出し、くり抜いて簡単な食器を作る。そんなことをしているうちに、ひと月が経っていた。

 抜け忍となった男は、隣国の名も無き深い森へと身を潜めていた。そこは人間の通ることの無い、大自然に隔絶された世界であった。

 人の領域から外れたその場所で、静かに日々を過ごす。それは、男の夢見た生活だった。覆面に下帯だけを身に着けたその姿も、ここでは奇異には映らない。それを変だと認識する、他者のいない世間であるからだ。森の虫や草木の枝葉などでは、男の纏う内気功を破ることは出来ない。ゆえに男は、半裸のままでいられた。

「自由とは、かくも素晴らしきもの、か」

 木を削り出し、薄い板のようにしたものを石で削りながら、男は独言する。都で暗躍していた時よりも、男はむしろ饒舌になっていた。自然を相手に、誰憚ることなく声を出す。それも、男の満喫する自由そのものであった。

「出来上がり、か」

 薄い板にふっと息を吹きかけ、木の粉を飛ばす。もう一枚、同じように細工されたそれを、男は組み合わせる。完成したのは、一抱え程ある卍の形をした薄い木の板である。

 二枚の板ががっちりと組み合ったのを確認した男はひとつうなずいて、予備動作もなしにそれを水平に投擲した。ひゅん、と風を切り、卍の木板が木々の間を抜け飛んでゆく。そして、しばらくすると板が男の手元へと舞い戻ってくる。それは、忍者の武器、手裏剣であった。

「木の板では、強度は足りないが、気を流せば実用には耐える、か」

 木の手裏剣の刃を指で撫でながら、男は苦笑する。抜け忍となっても、手に馴染んた忍者道具とは縁が切れそうも無い。そんなことを考えていた、そのときである。

「……早速に、試す機会が訪れた、か」

 小屋の前で、生い茂る木々に視線を向けて男は手裏剣を背中に背負う。次の瞬間には、男の姿は森の中へと消えていた。木々を蹴り、枝を揺らして男は行く。男が感じ取ったのは、魔物の気配だった。場所は、小川のほとり。気配の距離でおおよその場所が測れるほどには、男は森を知ることが出来ていた。

「気配は、二つ、か」

 魔物と野獣の、縄張り争いかも知れない。様子を見たほうが、いいのかも知れない。だが、行って見なくては、それは分らない。到着までのほんのひと時の間に、男はそう考えを纏めていた。

 そうして男は、小川の近くの木の枝に、音を立てずに着地した。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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今作も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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