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Not SHEEP, But HITSUJI

作者: ジャックパンダ

 ――眠れない。


 ベッドに身を横たえてもう半刻は経つだろうか。その間、瞼が眼を覆う気配はさっぱりなくせに、やたら暑苦しい空気がねっとりと覆い被さってくるのだ。ただただ不快だ、布団などはとうに足元に投げ飛ばされているくらいには。

 こんなとき、耳に入ってくるのは決まって時計の秒針の音。ちくちくと世界に時を刻む音。ああ、僕がこんなに無為な時間を過ごしているというのに、それさえも世界は掬い上げて記録していくのか。そんなことしているよりも、もっと別にやることあるでしょうと叫びたくなる。叫ばないけど。


 ――眠れない。


 誰が言いだしたか、そんなときは頭の中で羊を数えるといいらしい。あんなもの、英語のSHEEPとSLEEPの響きが似ているから眠れるようになるとかいう、そんな程度のものだろう。日本語であれば、「羊」と「眠り」の響きはこれっぽっちも似ていないのだから、効果が非常に疑わしい。


 ――眠れない。


 そう、今日の僕はとにかく眠れなかった。

 効果が疑わしくととも、絶対に効果が無いとは言い切れないのであれば。

 

「羊が一匹、羊が二匹……」


 そうして僕は、羊を数え始めた。声に出して。


「羊が三匹、羊が四匹、羊が……えっと、五匹……」


 それが滑らかに出来たのは五匹目までだった。

 いやいやいや。最初に気付くべきだったのは僕、つまり馬鹿だったのは僕だった。

 声に出して数えていれば、声を出すことに気を取られ、ますます意識は覚醒していき、眠ろうとしている僕にとってとても面倒かつ厄介なことになる。何故それに気付かない。

 だから僕は、心の中で、静かに、羊を数えることにした。つづきから。


 ――羊が六匹、羊が七匹……。


 途端、僕の手足に電撃が走った。


「痛いなこのやろう!?」


 すんごい手足がびりびりする。普通に痛い。このやろうとか叫んでしまったが、周りを見ても誰もいない。何だったんだ今のは。とにかく僕は、眠るために羊を数え続けることにした。つづきから。


 ――羊が八匹、羊が九匹……。


 途端、僕の頬が五度ビンタされた。


「叩きすぎだばかやろう!!」


 何だよ五度って。痛いわ。頬がひりひりする。きっと手の形に赤くなってしまっているに違いない。


『馬鹿者が!!!!』


 突如、僕の部屋に声が響いた。しわがれた老人のような、それでいて快活さに満ち溢れるような、そんな声だった。僕の肩がびくりと震える。その僕の様子に、声の主はひとしきりガハハと棒読みで笑ったあと、急に声のトーンを落として語りかけてきた。


『全く……お主はオヒツジカウンティングのルールも知らんのか』

「……お羊、かうんてぃんぐ……だって?」


 何だそのよく分からない競技のようなものの名は。僕はそんな摩訶不思議なものが存在する世界に生きていない。

 だいたい、突然意味の分からないことを言い出すような奴はろくでもないやつだと相場が決まっている。だから僕は、このお爺の言うことを無視することに決めた。


『だぁーっ、待て待て。確かになあ、お主が儂を疑う気持ちはよおく分かる、分かるぞい』


 分かるんだったら僕に関わらないでほしい。


『じゃがなあ……オヒツジカウンティングのルールも知らん子供を、放っておくわけにはいかんのよ!』


 きっとドヤ顔しながら言ってるんだろうなあ。そう思いながら、僕は面倒くさそうに声を発した。ちなみに、このお爺がどこから語りかけてきてるのかさっぱり見当がつかないので、僕は取りあえず部屋の天井を眺めながら喋っている。


「結構です、知らなくていいんで」

『ほほう……よいのか、これ以上あの痛みを味わうことになっても?』


 このお爺、なかなか痛いところを突いてくる。だが僕は、またも面倒くさそうに声を発した。


「いや、おじいさんが僕に構わなければすべて解決でしょう?」

『おじっ……ふっ、まあよいわ。んで、今までの電撃やらビンタやらは儂がやっているわけではないぞ?』


 なっ、なんだって……!?


『オヒツジカウンティングのルール破りをした者に、世界が罰を与えておるんじゃ』


 いや世界って。急にビッグスケールにならないでくれ。何だって眠れないってだけで世界が僕に罰を与えるんだ。全く訳が分からない。


『儂はなあ、そうやって世界から罰を受けてしまっておる者達を、救って回っているんじゃよ。お主のことも、儂は救いたいと思っておる』

「は、はあ」


 何か救ってくれるらしい。とにかく僕は眠りたい。ならば、このお爺の言葉は黙って聞いておくのが得策だろうか。


『オヒツジカウンティングはなあ、中断した後ははじめから数えねばならん。そうしないと、カウンティングの極致へ至ることができんからな。声に出して五匹まで数えて、一旦止めて、心の中でそのつづきから数える、なあんてことは、やっちゃいけないことなんじゃ』

「つまり、心の中で一匹から数え直せば……」

『そう、オヒツジカウンティングのルール通り、お主に罰は与えられないんじゃ!』


 そんな単純なことを、どんだけもったいつけて話してんだこのお爺は。まあいい。とにかく、僕の安眠を得るための術は分かった。となれば、あとはもう全力でカウンティングするのみだ。


 ――羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……。


『ちなみにのう……お主ほど滑らかにカウンティングできるような者であれば……そうさなあ……』


 ――羊が四匹、羊が五匹……。


『累計で十五匹ほどいけば、充分かの』


 ――羊が六匹……。


≪ぺかーーーーーーーーーーーん!!!!!!≫


 「……! ……!? ……!!??」


 急に目の前の景色が真っ白に染まった。僕は、あまりの驚きに、羊を数えることを止めてしまった。ああ、これでまたやり直しかあ……などと、そんな暢気なことしか考えていなかった。


 しばらくして、視界が開けてくると、僕の目の前に広がっていたのは、先ほどまでの部屋の天井などではなく、果てしなく広がる大草原だった。


『よく来たな、ジャンピングヒツジの大草原へ!!』

「いや、どういうことだよっ!?」


 僕のことをやたら大きな声で歓迎したのはさっきまでのお爺だった。姿は見えないままだった。


『どういうことだ、とは……全くやれやれじゃな。さっきも言うたであろう』

「何をだ!」

『カウンティングの極致、とじゃ』

「な、極致、だと……!?」


 改めて僕は辺りを見回した。先ほどは果てしなく広がる大草原、としか思わなかったが、よく見ると、ずらーっと一直線に柵があった。それはそれほど高いものではなく、運動神経がそれほどよくない僕でも頑張れば乗り越えられそうなくらいだった。


『どうじゃ、この草原は。風も丁度良く吹いておる、さっきまで眠れない眠れないと悩んでいたお主には僥倖なのではないか?』

「……ま、まあ、確かに……」


 気温も、暑くもなく、かと言って寒くもなく、という具合であり、さらにそこにさらりと吹き抜ける風もある。この草原で寝転んでしまえば、きっと僕はすぐに寝入ってしまうだろう。その光景は容易に想像できた。


「まさかアンタ、僕をよい眠りに誘うために、こんなところに僕を……!」

『まあ、違うがな』

「はあ!?」

『言うたじゃろ、ここはカウンティングの極致、ジャンピングヒツジの大草原じゃと』


 か、カウンティングの極致……ということは、まさか……。


『ほれ、試しに心の中でヒツジをカウンティングしてみよ』

「は、はあ……?」

『いいからいいから』


 とにかく、埒が明かないこの状況をどうにかするためにも、数えてみるしかなさそうだ。そう考えた僕は、静かに目を瞑り、羊をイメージした。


 ――羊が、一匹……。


≪ドドドドドドドドドドドドドド!!!!≫


 何やら遠くから、やたら重量感を伴った音が響いてくる。まるで地鳴りだ。それが近づいてきたとき、僕の目に映ったものとは――。


「なっ、あれ、羊か!?」

『その通りじゃ!』


 体高が十メートルはあろうかというほどのデカい羊が、その大きさに反してやたら素早く足を動かしながら駆けてくる。その様は、まさに圧巻の一言。僕は、その場で言葉を失い、立ち尽くすしかなかった。

 そのデカい羊が、柵の近くまで来ると、羊は前足を揃えて上げて――。


≪ぽーん≫


 飛んだ。飛んだぞ、柵を。


『驚くのはまだ早いぞ。きっと、お主ならできるはずじゃ』

「……え?」

『もう一匹、羊をカウンティングしてみよ』


 ――羊が、二匹……。


≪ドドドドドドドドドドドドドド!!!!≫


 また来た、羊だ。やはり、体高は十メートル近くあり、その足音はまるで地鳴りのように響く。この羊も、柵の前まで駆けていき――。


≪ぽーん≫


 飛んだ。飛んだ、のだが……今度は、それだけでは終わらなかった。


≪ゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオ……≫


 地面から浮き上がった羊の後ろ足から、炎のようなものが噴射され、羊は飛び上がったときの姿勢のまま、澄み渡った空の方へ飛んでいく……。


「いやいやいや! 何だあれは!?」

『ほっほっほ! やはりやりおったな、久々のヒツジ・テイクオフじゃ!』

「てっ、テイクオフって、何だよそりゃあ!?」

『ほっほっほ、お主、考えるな、感じろという言葉を知らんのかね?』


 何言ってんだこのお爺。こんなに地鳴りのような音を感じてたら、眠れるものも眠れなくなっちまうだろうが。


「そうだよ、こんなうるさい羊なんて、数えてても眠れねえわ!」


 そう言った瞬間、僕の手足に電撃が走った。


「痛いなこのやろう!?」

『全く……何を言っておるんじゃ、お主は』

「……え?」

『眠れるとか眠れないとか……ここは日本語圏じゃろう、ここにおるのはヒツジであって、シープじゃないんじゃぞ?』


 その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中で何かが弾けた、そんな気がした。


『全く……お主なら、とも思ったんじゃがなあ……とんだ見込み違いじゃったわい』


 僕は、お爺の期待に応えることが出来なかったようだ。その事実だけが、僕の心にずっしりとのしかかる。微塵も悔しくなんてなかった。


『まあ、久々にヒツジ・テイクオフを見せてくれたお礼じゃ……特別に見せてやろうかの』

「え?」

『もう一度、羊をカウンティングしてみよ』


 ――羊が、三び――。


≪ドドドドドドドドドドドドドド!!!!≫


 言い終わる前に、またも地鳴りのような足音が響いてくる。しかも、気のせいか、音が今までよりも大きいような――。

 そう思いながら、僕は視線を足音の聞こえてくる方へ向ける。すると、そこには大きな羊が群れで駆けてくる。


「ちょっ、群れ!? えっ、ちょ、待っ……!?」


 慌てながらも、僕の視線は羊の群れの方へ向いたままだった。よく見ると、群れの先頭にいる羊の上に人影が見えるような……?


『ひゃあああっほおおおう!!』


 その人影が、やたら大きく、はしゃいでいる声を出した。それは、お爺のものだった。その羊が、ドドドドと駆けてきて、僕の真横を通りかかる。

 先頭の羊、その上に乗っている人は、金色の長髪で、顎髭を無駄に蓄えていて、銀縁の眼鏡を掛けていて、その姿はまるで――。


「なっ、親父……?」


 僕がそう呟いたまさにその瞬間、羊の群れは一斉に前足を上げた。


≪ぽーん≫


『なんだかんだと言うたが、お主の素質は中々のものじゃった、儂も久々に楽しかったぞおおお……』


≪ゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオ……≫


 群れの羊は、一斉に後ろ足から炎を噴射させ、空へと飛びあがっていく。その姿は、羊雲のようにも見えて、僕はしばしその場で圧倒されていた。

 空の向こうで、羊の群れが粒ほどの大きさになっているのを見て、僕はお爺の――もとい、親父の言葉を思い出していた。


 ――なるほど、シープじゃなくて、ヒツジ、か……。


 僕はそこで、瞼を下ろした。


 次に瞼を上げると、見えたのはよく見知った、自分の部屋の天井だった。どうやら僕はいつの間にか寝ていて、今起きたようだった。さらに言えば、あのジャンピングヒツジの大草原からも帰ってきていたようだった。その辺り、全く記憶がないが、無事に帰れているので良しとしよう。


「おーい、まだ寝てるのか?」


 部屋の扉の方から声がする。紛れもなく親父の声だ。その声はしわがれてなどおらず、パリッと引き締まるような声だった。起きてるよ、と返事をすると扉が開かれた。


「おう、時間、大丈夫か?」

「あ、うん、大丈夫……」


 言いながら、僕は親父の顔をまじまじと見つめてしまった。その顔に髭なんて生えてないし、眼鏡なんてかけてないし、髪の色も普通に黒だった。


「……どうした、俺の顔に何かついてるか?」


 親父が不思議そうな顔をしながら尋ねてくる。僕は、別に何も、と返した後、ちょっと考え込んで改めて口を開いた。


「親父、最近羊を乗り回したりしなかった?」


 我ながら何を言っているんだろう、吹きだしてしまいそうな言葉だったが、僕はどうにかそれを抑え、親父の返事を待った。親父は、軽く笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。


「何言ってんだ、羊ってのはシープの和名だろう、あんな小さな生き物を乗り回す人間がどこにいる?」

「ああ、やっぱりそうだよね」


 僕は、親父と言葉を交わしながら、布団から起き上がる。布団は、足元に投げ飛ばされ、ぐしゃぐしゃになっていた。


「俺が乗るとしたら、それはジャンピングヒツジ以外に考えられないな」

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