十番勝負 その四
第八章 二番勝負 北畠将監との勝負
相馬宿は賑やかな宿場町で、旅籠もいくつかあり、旅人の手を引っ張って泊めようとする強力の留女も沢山居た。
二人は、相馬屋という小奇麗な旅籠に泊まった。
この旅籠は飯を出す飯盛旅籠だった。
部屋に通されるとすぐ、飯盛り女が付き、夕餉の食事となった。
飯盛り女は若く、なかなかの器量良しだった。
三郎も弥兵衛も酒が好きであり、旅の良さは何の気兼ねも無く、酒が飲めることよ、とばかり、銚子を数本頼み、女の酌で気持ちよく吞んだ。
鰹の煮付けを酒の肴とした。
酒を呑み、飯も喰って、汁を飲み、一応の夕餉を済ませても、女は部屋を去らなかった。
夕餉の食膳を部屋の隅に片付けたものの、女はじっと、俯いたまま座っていた。
三郎は不審に思い、弥兵衛の顔を見遣った。
弥兵衛は物知り顔で頷き、女の首を見ろ、と視線で示した。
女の首のあたりを見て、ようやく合点がいった。
女は頬のあたりから首、胸元にかけて、白粉をべったりと塗りたくっていた。
なるほど、これが噂に聞いた泊まり客の一夜の伽をする『白首』か、と三郎は思った。
と同時に、これはまずいな、とも思った。
三郎は生真面目な顔をして、次のようなことを女に言った。
我らは旅の者であるが、武者修行の身であるから、伽は要らない、しかし、それではそなたも困るであろうから、今夜の伽代とそなたの食事代も払うゆえ、ここに夕餉の膳を持って来て、喰いながらでも、何か近在の面白い話でもしてくれ、というようなことを女に告げた。
女は、始めは三郎の話の意味が分からず、きょとんとした顔をしていたが、訥々と語る三郎の話が判ると、不意に相好を崩し、にこにことした顔で、階下に降りていき、やがて、自分の膳と銚子を数本持って、いそいそと戻って来た。
そして、飯を喰いながら、汁も飲み、ついでに、三郎たちにお酌もし、忙しく口と手を動かしながら、自分の生い立ちとか、生まれ育った村のことなどを快活に三郎たちに語って聴かせた。三郎の目には十八は過ぎていると映っていたその女はせきという名で、齢は十五であった。
遊びたい盛りでもあろうに、こうして飯盛り女として年季奉公をし、躰も売るという苦界に身を置いているのだと思うと、その娘、おせきが不憫であり、何とも言えない苦さを味わいながら、三郎は酒を飲んだ。
でも、おせきは結構明るい娘であった。
「お武家さまは、青大将が蛙を呑み込んでいる様子を見たことがあっけ。おらは見ただよ。こうして、蛙の頭からゆっくりと呑み込んでいただよ。囲炉裏で爺っちゃんとお茶を飲んでいたら、隣の部屋でどさりと大きな音がしたので、おらぁ、びっくりして見に行っただよ。そしたら、大きな青大将が蛙を呑みこみながら、天井の梁から落ちていただよ」
「で、その青大将はどうしたんけ?」
弥兵衛が目を丸くして訊くと、おせきは澄ました顔で答えた。
「爺っちゃんが大事そうに青大将の尻尾を掴んで、庭先に持って行って、逃がしてやっただ。何でも、青大将は家の守り神だから、粗末にしちゃなんねえんだって」
おせきは無邪気な娘で、村で起こったことをいろいろと話した。
「蛇と言えば、嫌らしい蛇もいたもんだよ。一軒隣のおみよが山でおしっこをしていたら、蛇が頭をもたげて、突っ込んできたんだって」
「突っ込んできた、とは、まさか、その、・・・、女性の隠し所に、であろうか」
三郎がびっくりして言った。
「んだ。その、まさに、かくしどころに、でごぜえますよ、おさむらいさま」
おせきの答えに、弥兵衛がつい、にやりとして言った。
「おいらも、昔、聞いたことがあるだよ。『くそへび』(マムシ、のこと)ではなく、草叢に潜んでいる『やまかじ』(やまかがし、のこと)か、土に潜り込んでいる『じむぐり』か、どっちかの蛇だっぺ。蛇もまあ、びっくりすっぺよ。のんびりしているところに、いきなり、なまあたたけえお湯がかかってくるんでは」
三人は笑い転げた。
その内、おせきが急に真剣な顔になって、このようなことを話し出した。
「おさむらいさまの中にはいろんな人が居るだね。おめえさまみたいないいおさむらいさまもござっしゃるけんど、中には恐ろしいおさむらいさまもござっしゃるだよ」
三郎もおせきの真剣な顔につられて、真顔になっておせきの話に聞き入った。
おせきの村に二年ばかり前に、一人の侍が来た。来たというよりは、どうも他所を食い詰めて、流れて来たような侍で、かなり荒んだ風体であったそうな。
その侍は、居心地が良かったのか、そのまま村に居ついてしまい、剣法の道場を開き、村人を無理矢理弟子にして、指南料をせしめて、かなり裕福な暮らしをしている、との話だった。
村の家々を一軒一軒廻り、主が居ればその主を、息子が居ればその息子を無理矢理、弟子にするのだそうだ。なまじ断るようであれば、殴る蹴るといった無体な乱暴狼藉を働き、村人はしょうがなく弟子となり、高い謝礼を払わされているとのことだった。
「村には、村役人もおろうし、そのような無体は許されるものでは無いと思うがのう」
「だめ、だめ。村役人もそのおさむらいを恐ろしがって、見て見ぬふり、知らんぷりで」
三郎の目が輝いた。三郎の表情を見て、弥兵衛は恐ろしい予感を抱いた。
「弥兵衛、明日、おせきの村に行ってみようぞ。行ってみて、おせきの言う通りであれば、これは懲らしめてやらずばなるまいて。世に非道がある限り、この三郎正清は正義の剣を振るわねばなるまい。弥兵衛、恐れるでない。断じて行えば、鬼神もこれを避くと云うからのう」
三郎の意気込みに、弥兵衛とおせきはびっくりして、三郎の顔をまじまじと見詰めた。
だんなさま、それは余計なおせっかいだで、首をつっこまぬほうが、と弥兵衛は言おうとしたが、三郎の真剣な顔を見て、くわばら、くわばら、近づく神に罰当たる、さわらぬ神に祟り無しとばかり、開いた口を閉じた。
さて、その翌日のこと。
おせきに見送られ、三郎と弥兵衛は朝早く、旅籠を発った。朝の残り飯でおむすびを作りながら、おせきは涙声で、どうか無事にお帰り下さいね、と三郎に繰り返し言っていた。
どうも、おせきの脳裏には、その狂犬みたいな武士にざっくりと斬られて、血煙を立てて地に倒れ伏す三郎の哀れな姿が鮮明に映っているらしい。
おせきの涙声を聞いているうちに、さすがの三郎も不安になってきたのであろうか、旅籠を発って、しばらくの間、馬に揺られながら、何やら考え事をしているようであった。
おせきの生まれ育った村は百軒ほどの家が肩を寄せ合って暮らしているような、山沿いの小さな村であった。探す道場はすぐ分かった。
村の真ん中にある、少し大きな家を道場仕立てに造り直した家であった。
入口に、『天下無双剣法指南 北畠将監道場』と墨で黒々と大書した大きな看板が吊り下げられていた。
三郎は道場の玄関に立ち、頼もう、と声を掛けた。応じる声が無かった。
さらに、声を励まして、頼もう、と声を掛けた。中で、戸が開き、どすどすと歩いて来る気配があった。玄関に現われた男は、肥満した大柄の男だった。
熊みたいな男だ、と三郎は思った。浴衣の胸からは剛毛を覗かせ、耳から頬にかけても剛い髭が生えていた。腕も丸太のように太く、相当な強力の持ち主と思わせた。
その男は首筋をぼりぼりと掻きながら、何か用か、と三郎に訊ねた。
諸国行脚の武者修行の者でござる、玄関の看板に天下無双剣法指南と書いてあるによって、一手ご教授願いたし、と丁重な言葉で三郎が言った。
ふん、と嘲笑うかのように唇を歪め、当流は真剣勝負を流儀とするが、それでも宜しいか、とその熊侍は言った。木太刀でのご教授を所望致すが、真剣でのご教授が貴流のご流儀とあれば致し方無し、真剣にてのご教授をお願い申す、と三郎が答えた。
おや、とばかり、熊侍は意外そうな顔をしたが、みるみる顔が紅潮し、真剣な顔になっていった。それでは、裏の空き地で試合を致そう、ということになり、三郎と北畠将監はそれぞれ刀を持って向かった。将監の刀は見るからに頑強な拵えで、刃幅の広い野太刀風の拵えであった。目敏い村人たちが三々五々、試合見物に集まって来た。
「拙者は念流免許皆伝の北畠将監信輝。して、貴殿のご尊名とご流儀は?」
将監は言うなり、傍らの樹の枝を抜き打ちでスパッと斬り落とした。見事な斬り口であった。
「影流免許、南郷三郎正清でござる」
三郎も言うなり、傍らの樹の枝を見て、将監が斬り捨てた枝より太い枝を探し、サクッと斬り落とした。 将監の顔が少し蒼褪めたように、三郎には見えた。
しかし、将監は固唾を呑んで見詰めている村人を見渡し、不敵な笑いを浮かべて言った。
「よいか、村の衆。ここにおられる南郷殿はなかなかの遣い手である。が、到底、わしの敵では無い。これから、わしが勝つさまをとっくりと見物するがよい」
この男は腕によほど自信があるのか、それとも単に頭が鈍いのか、よう判らん男だ、と三郎は思った。おいらより腕が立つ者ならば、仕方が無い、ここで斬られて死ぬだけだが、何か相手に恐怖心を持たせる良い手はないか、やはり、あの手を試してみるか、と相手を睨みつけながら三郎の頭は急回転していた。
「北畠殿もなかなかの遣い手とお見受け致した。それでは、尋常に勝負致そう。拙者の兵法工夫をご照覧あれ」
と、言いながら、三郎は右手で大刀をすらりと抜いて、やおら左手に持ち替えた。
将監も怪訝そうな顔をしながらも、三郎に合わせて、大刀を抜き合わした。
次に、三郎は右手で小刀を抜き、上に揚げた。
「二刀流でござるか?」
北畠はびっくりしたような口振りで言った。
「しかも、逆二刀流とは」
通常の二刀流では、大刀は利き腕である右手に持ち、小刀は左手に持つが、三郎の持ち方はこれとは逆の持ち方となっていた。当時の武士で左利きの武士は居らず、全て右利きであった。
逆に言えば、武士は全て右利きであった。そして、生来、左利きであった者も必ず右利きになるよう矯正されていたのである。従って、三郎の二刀は逆二刀流となる。
「北畠殿。申し遅れたが、拙者は手裏剣術も会得しておりまする」
と、言いながら、右手の小刀をくるりくるりと回し始めた。
「いかに、北畠殿。勝負でござる」
やや、笑みを浮かべた顔で、三郎が将監に声を掛けた。将監は三郎の異常な構えに動転していた。右手の小刀を手裏剣として使う工夫らしい。左手の大刀は斬る役目では無く、突く役目と見た。右手の小刀が放たれ、受けた途端に、左手の大刀が繰り出され、胸に風穴を明ける。
これが南郷三郎と名乗る武士の兵法工夫なのか。恐ろしい、と将監は思った。
恐ろしいと思った途端、闘う気持ちが急激に失せた。と同時に、額から冷汗がふつふつと飛び出して来た。木太刀で試合を行えば良かった、真剣勝負と言えば、相手がひるむと思ったのが、あさはかだった、今までは、真剣での勝負と言った途端、相手はまあまあとばかり、わしをなだめにかかり、実際の真剣試合なぞ遣ったことは無かったのに、この南郷何某とかいう大男をわしは見損なってしまった、どうしよう、こんな相手では全然勝ち目は無いぞ、北畠将監よ、おまえは一生の不覚を取ってしまったぞ、どうする、どうする。
「あいや、しばらく。南郷殿、お手前の兵法、分かり申した。兵法の工夫、見事でござった。見事であると判った以上は、この試合、中止と致そう」
北畠の声がうわずっているのに、三郎は気付いていた。もう一押しするか。
「拙者の兵法の工夫、お分かり戴け、嬉しく存じそうろう。なれど、この試合、やめるわけには参らぬ。武士の意地でござれば。いざ、尋常に、勝負、勝負!」
「しばらく、しばらく。やめて、一献酌み交わし、兵法談義を致そうではござらぬか」
「だまらっしゃい。この雷神丸、風神丸が承知致さぬわ。いざ、尋常に、勝負、勝負!」
「しばらく、しばらく。そこを何とか。刀を収めて戴くわけには参らぬでござろうか」
北畠の声は完全に裏返り、蒼白な顔が脂汗ですっかり濡れていた。
そろそろ、潮時とするか、と三郎は思った。右手の小刀を油断無く、くるりくるりと回しながら、鬼の形相をつくりながら、三郎は将監に迫った。
「お主の道場を所望致す。即刻、この村を立ち去り、どこなりと行かれよ。不承知とあらば、この風神丸がお主に向かって飛び、雷神丸がお主のはらわたをえぐることになる」
「分かり、分かり申した。しばらく、しばらく」
と、言いながら、将監は刀を肩に掛けて、くるりと背中を見せて、駆けて行った。
将監は、あっという間もあらばこそ、すばやく荷物をまとめ、脱兎のごとく村を出て行った。
村人は茫然とした顔で、二人の武士の闘いを見、将監が逃げ出した後も、南郷正清と弥兵衛の周りを遠巻きにして見ていた。
「村役人は居るか? ここに罷りいでよ」
三郎の言葉に、取り巻いていた村人の中からおずおずと、村役人と思しき男が現れた。
あいにく、年寄も名主も不在で、自分は組頭でございます、とのことであった。
くどくどと、お礼の言葉を並べる村役人を押しとどめ、三郎が言った。
「話と言うのは他でも無い。ご覧のように、北畠将監から道場を譲り受けてござるが、拙者は武者修行中の身ゆえ、この村に長居をするわけには参らぬ。そこで、ものは相談じゃ。道場をそなたに売ろうと思うが、どうじゃ。北畠という厄介者を追い払った身共の頼み、よもや、すげない返事は無きものと思うが、どうじゃ。高く買ってくれるものと思うがのう」
弥兵衛は思わず、三郎の顔を見た。だんなさまがお金の無心をしている、これは弥兵衛には信じられないことであった。三郎は返事次第では一刀の下に斬り捨てるぞという怖い顔をしていた。村役人はぶるぶると震えあがり、しばらくお待ちを、と言って、あたふたと人混みの中に戻って行った。やがて、重たげに、銭袋を持参して戻って来た。
「これで、なんとか、お願い申し上げまする」
三郎はその銭袋を手に取って、重さを量った。
「駄目じゃ」
村役人はあわてて懐から銀の粒が入った袋を出して、銭袋に加えた。
「それならば、これで、なんとか」
「駄目じゃ」
村役人は泣き出しそうな顔で、懐にあった銀の袋を全て出した。
「これで、全てでござる。これ以上であれば、もはや、首をくくるしかござらぬ」
三郎はにやりと笑い、村役人に言った。
「首をくくられては、拙者も寝覚めが悪くなる。承知致した。これで、手をうつこととするぞ」
村役人はあたふたと三郎に銀袋と銭袋を渡し、人混みの中に消えていった。
三郎が村人に向かって言った。
「相馬屋に売られていったおせきという娘の母は居るか?」
すると、村人から押し出されるように、一人の中年の女がおずおずと出て来た。
女の脇には、おせきの弟と思われる子供も二人立っていた。
三郎はおせきの母と弟たちを旧北畠道場に連れて行き、村人たちには内緒の話をした。
おせきが売られた代金は村役人からせしめた金の半分で間に合った。
おせきの母に村役人に出させた銀と銭を全て渡し、且つ弥兵衛から三郎の銀をいくばくか出させ、それも与えた。この銭を持って、今から相馬に行き、おせきを身請けすること、身請けしたら、この村では住みづらいであろうから、岩城の南郷家に身を寄せて親子四人で暮らすこと、を噛んで含めるように言い聞かせた。
そして、南郷家の家宰の吾平宛にしたためた三郎の書状も念のため持たせた。
「だんなさま。おいらはあやうく、だんなさまをみそこなうところだったなし。おれいをいう村役にまさか、ぜにをせびるなんてよ。はじめは、しんじられないおもいでみていたっぺよ。でも、やっぱり、だんなさまはだんなさまだったなや。おせきのかぞくにたいする粋なはからい、おいらはほんとにかんげきしたっぺよ。だんなさまをちょっぴりでも疑ったこと、おいら、こっぱずかしくって、たまんねえだよ」
「もう、よい。もう、よいのじゃ、弥兵衛。しかし、それにしても、あの北畠ぬしの逃げ足の速さと言ったら、今思い出しても、びっくりするほどであったのう。いざとなったら、拙者も見習わなくてはなるまいて」
「さあ、これで、だんなさま、二番勝負にも勝たれたわけでございまするなあ。この弥兵衛、うれしくって、うれしくって」
「こら、弥兵衛、泣くでない。武者修行に涙は禁物、禁物だっぺよ」