愛しすぎて言葉に出来ない
「ごめん、」
すれ違いざま、アルフォンスはエミリアにそう告げた。
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ダニエルがエスコートしてくれた初めてのあの夜会から、私は届く招待状はほとんど全て出席するようにしていた。
表向きは他の令嬢のように縁談探し。
王室の方に私とアルフォンスはなんでもなかったのだというアピールの一環。縁談相手がいないデビューしたての令嬢らしく振舞うためにはそれなりに積極的な行動が求められた。
知らない男性と踊り、微笑み、お酒を飲む。
ただその繰り返し。
自分でも滑稽だと思う。
悲しいことに夜会の中で私が無意識に探しているのはいつもアルフォンスの姿だった。
忘れなければと思う心のどこかで、夜会に行けばアルフォンスに会えると信じている自分がいる。
愚かなことだ。
今、この瞬間もアルフォンスは姫君と一緒かもしれないというのに私は彼の姿を探しているだなんて。
(もう私のアルじゃないのに…)
アルフォンスは近頃屋敷には帰らず、城の方にいるらしい。
無駄なこととわかっているのに、どうしてもやめられない。
会って、どうすることができるわけでもないのに私はまだどこかで期待している。
縁談相手を探す私に怒ってほしい。
やめろと言って連れ去ってほしい。
しかし現実はなにもない。
(手紙一つ出せないのに…ばかなことよね…)
夜会に出てわかった。
アルフォンスは令嬢達から人気がある。
噂話でのアルは王子様のようで少しおかしかったけれど、それでも憧れを持って彼を語る令嬢達には共感せざるを得なかった。
この前までは私が婚約者だったはずなのに、私も今やその他大勢の令嬢の一部となってしまった。
「お嬢さん、一曲お願いできますか?」
こうして私は今夜も見知らぬ男の人の手を取った。
「浮かない顔をしていたけど、どうかされましたか?」
「ふふ、お恥ずかしいところを見られてしまったのですね。ご心配せずとも少しばかり疲れてしまっただけですわ。」
中身のない会話。
当たり障りのない気遣い。
未だにアルを諦めさせてくれるような出会いはない。
(当たり前なのかしら…)
アルはほとんど私の全てだったのだから。
それをこえる人など見て探せるものではないのだろう。
曲が終わり、さてどうしようかと思ったそんな時だった。
遠くに一瞬アルフォンスの姿があったように見えた。
気がつくと小走りに追いかけていた。
人を掻き分け、アルフォンスのいたと思われる方へと向かう。
そこは庭だった。
暗く広い庭はランプで照らされているが、あまり人はいないらしい。
きょろきょろと見渡すと庭奥の方に行く人影が見えて迷うことなく私は進んだ。
頭の中はもうアルのことでいっぱいだった。
(アル…!)
息が切れるほどではないはずなのに動悸が激しい。
彼に会えなくなって、突然私たちの関係が終わってすでに数ヶ月が経っている。
「エミリア、どうかしたのか。」
庭のメインである広場を抜けた先には確かにアルフォンスが立っていて、走ってくる私に気がついた彼はまるでいつもと変わらぬかのように私の名を呼んだ。
私は彼に抱きついた。
頭は怒りと喜びと興奮でいっぱいだった。
「どうかしたのじゃないでしょう、私、ずっと貴方に会いたかったのに、貴方はなんで、なんでそんなに普通なのよ!」
息も切れ切れに、私は一気に思ったことを吐き出した。
そんな私をアルフォンスはこれまたいつも通りに手を背中にまわし、ぎゅっと抱きしめくれる。
(アルだ…アルがいる…)
私はその確かな温もりに安心すると同時に何も言ってくれない彼に不安を覚え、はっとし、恐くなった私は彼の腕を解いて体をそっと離した。
「あ、ごめんなさいアル…取り乱してしまって…その、元気だった?」
「ああ、問題ないよ。」
ようやく返してくれた言葉は先ほど見知らぬ男と交わしたつまらぬ会話となんら変わらないものだった。
(あれ、私たちっていつもどうやって話していたっけ…?)
言葉が出てこなくて考える。
ああ、そうだ。
いつもはアルが最近見聞きしたものや、私の興味のありそうなものについて話してくれていたのだ。
だが、今のアルは私を見つめながらも何も言わない。いや、周りで誰が聞いているとも知れない場所だ。
もしかしたら彼自身話せないのかもしれない。
(目の前に、アルがいるのに…)
愛していると伝える事さえ出来ない。
私は彼に縋らないよう手を胸の前できゅっと握りしめた。
この数ヶ月、家族にはアルを諦めたと虚勢をはっていた。
目を背けるように部屋を移り、アルからもらった全てに蓋をしたつもりでいたのだ。
でも、アルに会って痛感する。
私には無理だ。
アルを想った十年を消し去ることなど出来ない。
愛おしい。
目の前の彼が。
彼の瞳に映ることに喜びを感じてしまう。
口に出来ない想いが溢れてこないようにと思うと代わりに涙で視界が滲んだ。
(泣くな…!)
心に念じてなんとか踏みとどまる。
アルにとって姫君との縁談は素晴らしいことだ。王族の仲間入りを果たし、賢いアルの才能を遺憾無く発揮できることだろう。私との縁談ではおおよそ手に入れることの出来なかったものが全てが手に入るのだ。
何を嘆くことがあるものか。
私がいつまでもめそめそしていたら優しいアルの邪魔になってしまう。
本当は姫君と上手くいっているのか、どうやって姫君との縁談になったのか、笑って聞きたいことはたくさんあるのにやはり弱い私はそれすらも泣いてしまいそうで声にはできなかった。
どうしよう、でもここは他人のお屋敷だ。先ほども考えたように誰が聞いているかわからない。
アルの邪魔にはなりたくない。
私は考え、ならばせめてこれだけは言おうと息を吸い込んだ。
「アルフォンス様、おめでとうございます。」
他人行儀に、礼をするため顔を伏せる。耐え切れなかった涙が二滴、地面に音もなく吸い込まれていった。
これくらいは許してもらおう。
顔を上げるとアルが目を丸くし、直後に顔を歪める。
でもそれは私に対しての怒りというよりは考えるような、悔しさが滲み出ているような表情に感じた。
「ごめん、」
私の横をすり抜け、アルフォンスは何を弁解するでもなくその場を立ち去った。
(これでいい、)
さよならだけが私の示せる最後の愛だ。