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砂糖味の火炎瓶


*砂糖味の火炎瓶

切れ長の瞳と視線がかち合った。

暗い赤のサテンのリボンで結い上げられた黒髪は豊かで、男性のそれとは到底思えないほどだった。白い肌と高い鼻が人形じみて美しい。ほのかに青みを帯びたタキシードの生地、シャツの胸元に溢れたフリル。シャンデリアの真下のその男は一目で相当な家とわかった。

私は首を傾げ、にこりと笑みをつくる。

懸命に身振り手振りまでつけて私の気を引こうとしていた隣の男が、むっと顔を顰めた。私はくるりと彼に顔を向ける。赤らんだ大きな鼻、そばかすだらけの頬、極め付けに脂っこいくせっ毛。私は彼の右手のグラスに自分のグラスをコツンとぶつけてやった。すると彼は大層嬉しそうな顔をして、なにやら早口でまくしたて始める。微笑んだままそれを躱し、静かに広間の中央、シャンデリアの下へと歩を進めはじめた。グラスをぶつけたのは親愛の証でもなんでもないわ、犬を追い払うのに音を立てるのと同じことです。思い上がらないでねおブスさん。ご機嫌な頭のくせっ毛男は自分の親族へと、私とグラスを交わした自慢をしに行ったようだった。馬鹿ねと内心で嘆息して、私はもう黒髪の男の前に立っている。
「御機嫌よう。パーティは楽しんでらっしゃいまして?」
改めて頭の先から爪先まで、素早く彼のことを観察してみる。遠目でみたときよりも一層、この男の美しさと気品といったらなかった。むせ返りそうな溢れる色香と、骨ばった男らしい手の差異が魅力的に思われる。
「えぇ。お父様のお招きに感謝致します」
声は空気に染み入るよう。私は彼にとびきりの笑顔を向けた。それがどれほどの破壊力を持っているのかは鏡の前での検証で知っていた。そのまま一歩、彼に詰め寄る。彼の傍できらきらと輝いているチョコレートムースを掬うだけを装って、髪からふわり漂わせるのは百合の香。「甘いものはお好き?よろしければ貴方の分もお取りしますわ」
そこでくるりと彼に首を向ける。至近距離で目を合わせて、ほんの少し見上げてやる。彼の切れ長の瞳を覗き込むように。瞬きをして、潤んだ瞳から星を散らす。はい、完璧。
「甘いものは少々苦手です」
男は曖昧に言って、視線を逸らす。シャンデリアの光で確かめられないが、その頬にはもう紅がさしているはずだ。良い身分なのは確実、容姿端麗、マナーもばっちり。袖を掴んでおいて損はない。駄目押しを開始しようとしたところで、先に彼の方が口を開いた。
「人懐こい方ですね、貴女は」
好意的な評価獲得。畳みかけていく手練手管は令嬢のたしなみ。
「そうみえているのでしたら良かった。本当は少し気恥ずかしいのですけれど、貴方とお話したくて頑張ってみているんです」
チョコレートムースを一口唇から滑り込ませ頬を抑える。男は一瞬言葉を詰まらせたけれど、すぐに破顔する。
「それはそれは、私なんぞの為に時間を割いて頂きまして、光栄の極みに御座います」
謳うような調子で、彼は続けた。
「それにしましても、貴女様のお召し物。大変美しいものを纏ってらっしゃる」
今宵のために誂えたドレスは、朝摘みの苺色。裾から溢れるフリル、胸元で弾ける大きなリボン。露出した肩を薄いヴェールで覆い、留め具は金の小さな花。栗色の髪は背中に流し、留め具の花と対になる蝶のピンでまとめている。
「まぁ、嬉しいですわ。メイドたちと話して決めたのですけれど、私も気に入ってますの」
「本当に。まるで貴女様自身を映された様ですね」
囁くような優しい声音。わたしは彼の口説き文句が始まろうとしているのに、ゆるりと耳を傾ける。
「ご自愛と自信に溢れた女性にしか着こなせないドレスです。そのくせヴェール越しに透けさせる肩など、はい、慎ましやかなことを伺わせるデザインでありますなぁ」
彼の言葉が終わるか否かといったところで、ちょうどオーケストラの演奏が始まった。ワルツが始まるのだ。私は彼の手を取って、たおやかな旋律に身をまかせる。辺りの喧騒も相まって、彼の声は今やわたしにしか聞こえない。
「こうして御手を拝借致しますと、全くドレスの美しさと巧さがよくわかります。よい職人を抱えていらっしゃるのですね」
一歩、二歩と脚を出す。メロディに合わせてステップを踏む。彼のステップは滑らかで、文句のつけようもない。けれど何時までも装いのことばかりであるのには少々不満だ。さぁ、ドレスばかりでなく、そろそろ私自身を口説いてご覧くださいませ。思いを込めて目配せをする。それを知ってか知らずか、彼の言葉は続いていく。
「お顔立ちはどちらかといえば広く民に愛されるようなものでらっしゃいますね」
広く民に愛される顔立ち。初めて言われたそれを咀嚼する。
「そしてその美しいドレスを纏って貴族の皆々様からの好意を集める。全人類貴女様の虜です」
彼の言葉は私だけに向いている。言葉の咀嚼は、つまり舌の上で甘い台詞を味わうもののつもりだった。しかしどうにも、ざらりと。砂糖菓子の中に砂利が混じっているような、そんな違和感に気がつかないほど鈍感ではなかった。眉間に皺が寄っていくのを抑える。単に口下手なのかもしれないわ、もう少し様子を見なければ、と疑念を押し込める。
「それに、」
彼の視線がちらりと私の顔から少し下へスライドしたのがわかった。瞬間、優しく穏やかな微笑みが、嘲笑といったほうが近い、そんな愉悦に歪んだ表情に変わる。私がはっと口を開きかけたとき、それを制してトドメは落とされた。

「貴女様の慎ましやかさも、豪奢を好む貴族の中では少々浮き立つ美点でしょう。それをカバーしてらっしゃる、その胸元のリボンが特に際立って素敵ですね」

一つ。彼は視線を動かした。私の顔の少し下へ。
二つ。私は鏡の前が好きだ。大変好き。美しい私をじっくり眺めていられるから。それでも、私だって自分が多少不完全であることを知らないわけではない。完全な美しさなんて、お伽話によくあるように悪戯に周りからの嫉妬を集めるばかりですもの。私にそんな嫉妬の刃が向かないよう、神様が、そう神様が私の為に、気を遣って下すった。
三つ。その気遣いが、胸の発育の大幅な遅れであることを、私は、きちんと、自覚している。

例えるなら脳内は焼き野原だった。

「...貴方は大変綺麗な言葉を使われますのね」
動き出していた違和感は確信とともに火花を立て始める。噛み砕いたのは砂糖でコーティングされた火炎瓶でした。私の歯で割れたガラス瓶の中からはオイルと共に炎が溢れて、身体の中を燃やしていく。
私は、完璧で完全な笑みを作った。
「真っ黒の澄んだ瞳。嘘をつくことのできない貴方のお心のなかを映した色ですのね」
ほう、と男は目を細める。意表を突かれたようでもあり、呆れたようでもあり、感心したようでもあった。
「よく言われます。己を取り繕うことがどうにも苦手なようでして、是非とも今度その方法をご教授頂きたい」
「今度、ですか。どうかしら、貴方の言葉があんまり綺麗だから拙い招待状を送るのが躊躇われますわ。今宵が最後になりますかと」
握る手に力を込める。色をのせた爪が彼の手に食い込んでしまったのは、あくまで事故。
「そのような寂しいことをおっしゃらずに」
どれだけ爪を食い込ませても変わらないその顔は、能面のように見えてきた。ぎぎぎと自然歯ぎしりをしそうになるところを、令嬢としての理性と気品で抑え込む。そんな私をみる男の微笑みはもはや美しいとは思えなかった。ひん曲がった根性の透けてみえる、厭らしい笑い方!一体どんなふうに装飾してそれをぶつけてやろうかと脳内の歯車をくるくる回していると、オーケストラの演奏はいよいよ佳境に入る。
「招待状の有る無しに限らず、どちらにせよそのうちお伺いをするつもりでしたよ。...婚約を申し込みに」
「は?」
舌の先から落っこちた自分の声は間が抜けていた。いけしゃあしゃあと何を言い出したのか、と身構えてしまう。
「ずっと前からお慕いしていたのですよ。この招待状を頂いたとき、他にない好機だと思いました」
警戒態勢を張る私へ、彼が語るのは今度こそ純粋な砂糖菓子に思われた。
「どうにも愛の詩を語ろうとすると舌が絡まってしまうのです、先刻のよういかない」
夢みるように、その瞳がとろける。私の警戒も、つい、とろけていく。

「婚約を結びたい、その心が欲しい、それをきちんと伝える方法をずっと求めていたのです」

黒曜石の瞳が美しいのは、それは、本当だ。

「...あ、あらそうでしたの!それは、まぁ、わからなくないですわ!それでしたらはじめからそのように仰って下されば...」
警戒に向けていた意識は想定外の言葉に方向性を失ってしまった。装飾は剥がれ落ちる。そうしてそれは傷つきに傷ついた自尊心の修復に当てられた。
「でもどうしようかしら、私素直になれない方は嫌いでしてよ。好きなら好きとしかるべき言葉で..」

「貴女の叔父君と婚約を結びたい」

彼に手をあげられ、身体はくるりと回る。世界が回る。状況も回る。意識はまた方向性を失う。
「...は?」
もう間が抜けているどころではない。自分からこんな声が出るのに驚いた。
「聞こえませんでしたか?貴女の叔父君と婚約を結びたいのです。舞踏会でちらとお会いするくらいでは駄目です。なにも語らぬ間に刹那の逢瀬は終わってしまう」
ワルツはゆるやかに穏やかになりつつある。頭の中は白くなる。改めて握りしめた彼の手の感触を探る。骨ばって、大きい。これは間違いなくその、男の、手である。叔父君。脳裏に浮かべてみる。父上の弟であり、私より20は年上の。同居しているので、知りすぎているほど知っている。今朝、この頃目元の小皺が気になると笑っていたあの?叔父君?
「あ、貴方は男性ですわよね」
「そうですね」
「は?」
「分かりませんか」
男はしれっと言った。
「つまり、そういうことです」
悲鳴を上げなかったのは私の令嬢としての以下略。
「姫様?どうなさいました?熟れた林檎のようなお顔の色をしてらっしゃる」
言いながら男はくつくつ笑っていた。私は足元に穴が空いたようだった。
「先程甘いものは少々苦手と言いましたよね。正確には、『甘いお砂糖とほんのすこしのスパイスで自分は出来てる』という自負の強い女という生き物、中でも貴女のようなふわふわちやほやされることを当たり前だと思って生きているようなのが相当苦手もとい嫌いなのです。間違ってもそんな生き物に婚約申込みなどありえはしない」
ふーっと溜息をつく彼は過剰装飾を投げ捨てている。
「嫌悪感がどうしても隠せない。そのせいで多少計画がズレてしまいましたよ」
隠せない、としつつも、彼はオーケストラの音楽がまだ鳴っているうちに捲し立てた。辺りで踊る人々にこの罵詈雑言は聞こえていない様子。そうして、最後の一言はちょうどオーケストラのシンバルに重なった。
「とりあえずまぁ、そういうことでございます。...利用させてもらおうか、貧乳ブス」
「はぁ!???」
喉に張っていた気品も品性も打ち破られた。ちょうどオーケストラの終わりの直後に響いた私の声は、たちまち広間の注目を集める。カッと顔に熱が上がった。しんと静まり返った広間の人々は、どうしたどうしたとざわめいている。 そんな中で、すっと。男がわたしの前に膝をついた。
「驚かれるのも無理は御座いません。ああ、そのように照れてしまわないで愛しい君」
芝居掛かった調子で男は語り出す。広間はにわかに沸き立つ。突然始まった、劇的なシーン。パーティの主催者の娘に突然愛を謳い出す男。真っ赤な顔をした当の令嬢。周りからみればそれはもう胸躍る光景にみえることだろう。
「私ハロ・フォン・アーダルベルトは貴女様をお慕いしております」
劇というより茶番であることを知っているのは私しかいないのですから!
「なんと。今宵のパーティはもしやお嬢様の婚約者を選ぶためのものだったのか?」
「アーダルベルトといったか。家柄的にも申し分ないな」
「あのお二方が並んでいらっしゃると、そこだけ光が増すよう。お美しい取り合わせですわ」
ギャラリーは色めき立つ。大声で言ってやろうかと思った。"この男は性根の腐った男色家ですのよ!"。しかし唐突なこの茶番の狙いが見えないうちは、とそれを飲み込む。
「皆様、どうぞ私たちを急かさないで」
男は舞台から降りてこない。スポットライトは依然私たちを照らしている。彼は華麗なる表情で声を張った。
「これから私は愛し君の家に通い、互いを知っていきたいと考えている。今はその許可を請いたいのです」
瞬間広間は歓喜とも悲鳴ともつかない声をあげた。そして私はひらめいた。先程この男の口走った"計画"があからさまに透けて見えた。"利用"というワードも合点がいった。
私の元に訪れる名目で、叔父君を!
屈辱などといった騒ぎではない。要するに踏み台にしようというのだ。この私を。私を!
「如何でしょうか、姫君?」
大衆の前で大々的に、家柄まで振りかざし、私の立場的に断れるはずのない状況まで作ってきている。怒りは熱を越えて凍りだし、胸の中でずしりと重い。この重みでぶん殴ってやりたい。全く完璧で完全な笑顔を向けてくるこの男の脳天をぶん殴ってダンスフロアの床に口づけさせてやりたい!
けれどもそのとき、ふと気がついた。奴の黒曜石の瞳は、諦めを多分に含んでいる。計画がずれた。再び奴の台詞がフラッシュバックする。脳内の歯車を擦りきれそうなほど回転させて、考える。考える。なるほど恐らく、この男はもっとうまく、綺麗に私に取り入るつもりだったのだろう。けれどそれに失敗した。黒曜石色の腹の内を私に晒してしまった。

奴は私がこの手を取るとは思っていない。
私は既に、この男の一部を崩している。

「...嗚呼、美しいひと」
私は静かに唇を開く。男に一瞬わずかな動揺が見てとれた。私は彼の手をそっと取る。先刻つけた爪の跡が赤く残っていた。
「貴方のその申し出、喜んで受け入れましょう」
わっとたちまち広間は盛り上がる。男は目を瞬いたが、すぐに眉根を寄せた。私は跡に合わせて、またその手に思い切り強く爪を食い込ませてやったのだ。
「嗚呼、可愛いひと。天にも昇る心地です」
しかし笑みを崩さずに男は頭を垂れた。私はドレスの裾に気を遣いながら、その傍らに寄り添う。割れるような拍手のなか、唇を男の耳に寄せる。そうして、そっと、吐息交じりに囁くー

「見ていなさいよ、この下衆野郎」

す、と小さく息を吸った。

「"貴女様をお慕いしています"でしたっけ?いつか本気で言わせてやりますわ。床に額を擦り付けた状態でね!」

私に彼の手を取らせたのは、令嬢としての理性でも気品でも立場でもない。ただ、自尊心。
この、人を散々踏み躙ってくれたこの小憎らしい男を、籠絡させてくれる。
そうして私は自尊心の傷を埋め、代わりにこっぴどくフって奴の自尊心をめためたにしてやるんですの!
男は切れ長の瞳を目一杯見開いた。そして、口の端を歪めて囁き返してくる。

「お前には無理だよクソ女」

私たちは互いを支えあって立ちあがる。貴族たちは手を叩き、私たちは見つめ合って笑い合う。相変わらず高貴な光を投げかけてくるシャンデリアの下で、静かに宣戦布告は行われた。



および戦争開始。
知っているのはただ二人のみである。
ライトなイメージ。
掛け合いがなんともまぁ書いてて楽しいこと

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