第5章 召喚魔術師が戦う厄災
<英雄になる為には人々を救わなければならない。救うことができなければ英雄にはなれない。だが、人々を救えた者が英雄になれるとは限らない。救うための行動が評価させるのか、救った結果が評価されるのか。決めるのは救った者ではなく、救われた者達なのだ>
オレの前を走るララは口を手で押さえているが、時折、プッというこらえきれない笑い声が漏れてくる。
「いい加減にしろよ」
ムーが胞子を焼くのに使った炎は、オレもしっかり焼いた。火傷は免れたが、上着もズボンも所々焦げている。
「だって、その…うぷっ」
髪の先が焦げてチリチリだ。
相手をするのも面倒くさいので、笑っているララの後をひたすら走った。
ムーから預かった消滅魔法のマジックストーン、線を書く為のホウキの柄、時を示す指輪。いまは白い指輪だが、だんだんと黒くなっていき午前10時ちょうどに壊れるそうだ。
「ここよ」
ララが教えてくれた外への出口は、見た目は普通の城壁だった。
「入るとほぼ同時に出られるわ。でてから数秒間は、門の外の人はウィルのことを視認できないから、その間に場所を移動して」
「わかった」
抵抗もなく壁をすり抜けて門の外に出ると、予想外に多くの人がいることに驚いた。
ララの忠告に従って、出た場所から離れ、少し離れた場所にある正門を目指した。
「開けろ!」
商隊らしき人が門に向かって怒鳴っている。閉鎖されてまだ数時間だというのに、門の前は旅してきた人々で溢れている。
オレはできるだけ門の側まで寄ると、ホウキの柄を地面に突き立てた。
ムーからの注意。
その1、書いている間、柄の先を地面から離してはいけない。
その2、書いている間、オレは両手を柄から離してはいけない。
その3、外周を歩いて書いたら、絶対に間に合わない。
柄の先端を地面に押しつけるようにして、オレは走り出した。
「どいてくれ!」
距離を短くする為、できるだけ壁に近くを駆け抜ける。前にいる人の多くは驚いて避けてくれたが、たまにわざと進路方向に出てくるヤツがいる。
完全無視。
そいつらを避けるようにコースを取って、また壁沿いを走った。
たまに怒って追いかけてくるヤツがいるが、無視して走り続けていと、疲れたのかオレを追うのを諦めていった。
六角形の3つ目の角を曲がったところで、数人の男に取り囲まれた。抜き身の剣を持つ男達には、本気でオレを妨害する意図が見て取れた。
「頼む、どいてくれ!」
身なりや体つきからすると農民。
いつものオレなら、苦もなく倒せる相手だが、柄を地面にくっつけなくてはならず、両手も柄から離せない。足が届く距離まで来てくれても、片足だけしか攻撃に使えない。長剣を持っている相手にするのは、不利というより無謀だ。
「頼む、人の命がかかっているんだ!」
オレの必死の懇願にも、動く気配がない。時間はコクコクと過ぎていく。
「頼む、どいてくれ!」
しびれを切らせたオレは、線を引きながら走り出した。斬りかかってくる男達。
切られたと思ったが瞬間、悲鳴は男達からあがった。
「よう、少年、頑張っているか?」
すらりとした身体に、純白のローブ。風に流れる長い金髪。肩に担いだ金色の小さなメイス。
メイスに血が付いているところを見ると、これを振り回して男達を倒してくれたらしい。
「ありがとうございました」
「礼より、急げよ」
外部の魔術師なのに、事情を知っているらしい。
オレはまた柄をしっかりと握り、走り出した。
「おいおい、間に合うのか?」
ローブをはためかせて高速飛行でついてくる魔術師。色白に碧眼。20代後半くらいの青年は、整った顔に似合わず、口が悪い。
「そう思うなら、オレを抱えて飛んでくださいよ」
「いいぜ」
オレの後ろに回ると、ヒョイとオレを後から抱きしめた。
「わあぁーー!」
驚きのあまり、柄を離してしまいそうになった。
「なんだよ、お前がやれっていったんだろ」
「そうじゃない、そうじゃない」
「なにが違うんだ」
「胸が…」
オレの背中に押しつけられた柔らかい膨らみ。
「当たり前だろ、女なんだから」
「女、あ、そうですか」
「ケロヴォスのヤツから、聞いていなかったのか?」
魔術師はオレを抱えたまま、飛び始めた。
オレは地面から柄が離れないよう、押しつけるようにして線を引き続ける。
「オレの名前はダップ。ハーン砦のダップ」
聞き覚えがあった。
最近、そう、ムーから。
「あっー!賢者ダップ」
「そうそう、そのダップ様」
「嘘だろ、なんで、こんなに若いんだ」
「賢者が年寄りでなければいけないなんて法則はないだろ」
「健康体操で腰を痛めたって聞いたぞ」
「なんで知っている、って、誰から聞いた」
「ムー・ペトリ」
「あのガキ。まだ、生きてやがったか」
「まだ元気です」
「まだ…おい、まさか」
ダップはいきなりオレを離した。
柄は地面から離さなかった、
柄から両手を離さなかった。
オレは顔から地面に激突した。
「いてぇ!」
「おっと、すまんすまん」
全然悪いと思ってない態度で、ダップはオレを再び抱え上げた。
「今回の件に、あのガキ絡んでいるのか?」
「いないといえばいないし、いるといえば、いえ、いないです」
「まさか、お前はウィルか?聖ストルゥナ教団事件でムーの相棒だったという」
「違います」
「本当だな」
「ウィルはオレですが、ムーの相棒などではありません」
ダップは少し考えたあと、
「やっぱり、お前がウィルじゃないか!」と、怒鳴った。
「だから、オレはウィルですけれど、ムーの相棒じゃないんです。ムーに雇われただけの護衛の武道家見習いです」
「そうだよな、あのガキに相棒ができるはずないよな」
うんうんと自分で言って、自分で納得している。
ダップに運んで貰ったおかげで、時間に余裕がある状態で正門の前まで戻ってこられた。
「ムーのヤツ、中にいるな?」
「はい、います」
「やっぱりなあ、あいつが関わるとろくな事がない」
「その意見には同感です」
正門の前にいる男達の集団は、明らかにオレ達を邪魔する気でいる。手に手に獲物を持ち、憎しみで目を血走らせてオレ達を睨んでいる。
持っている獲物が、長剣や槍に混じって、クワやスキがあるのを見ると、さっきオレを襲ったヤツと同じ農民らしい。
「ダップさん、こう魔法でパッと散らせてくれませんか?」
「ダップ様と言え」
オレを地面に降ろすと、腰に差したメイスを取り出した。
「魔法の方が早くありませんか?」
「おめー、魔法王国ラルレッツをなめてないか?」
金色のメイスを肩にかけた。
「城壁付近での攻撃魔法は、全部、無効化されるんだよ」と、言い捨てると、メイスを振り回しながら、男達に突っ込んでいった。
格好いい。格好いいが、大切なことを忘れている。
「待ってくださいよー、ダップ様!」
彼女がいなくなると、オレが無防備になるってことを。
「戻ってきてくださいよー!」
興に乗ったのか、メイスを血まみれにして高笑いをしている。どう見ても、俺の声は耳に届いていない。
両手を地面についている柄から離せない俺は、振り下ろされる剣やクワを交わすのが精一杯で前になど進めない。
期限を示す指輪はドンドン黒くなっていく。
「どいてくれ!」
多少は切られることを覚悟して、オレは線を引き始めた。
「死ね」
声と共に突き出された槍。
避けきれないと衝撃を覚悟したオレは、ガッという音と槍を遮る剣を見た。
「ウィル、ウィル・バーカーだろ?」
「バランス先輩!!」
オレが武道家への夢を見ていたバーウェル交易商会の先輩だ。
「命を狙われるようなことをしたのか?」
「違います。説明はあとでしますから、オレを守ってください」
「そりゃいいけど…」
先輩の指が輪っかを作った。
「金貨10枚でどうです?」
今、持っているオレの全財産。
もしかしたら、ラルレッツ王国が出してくれるかもしれないという計算もしている。
ヒューと口笛を吹くと「出すじゃねえか」と言い、肉厚の長剣を構えた。
「守るだけでいいのか?」
「オレは門の前まで線を引かないといけないんです。道を切り開いてください。あと」
「まだ、注文があるのか?」
「あまり、傷つけないでください」
相手は農民だ。
先輩が切る気になれば一撃だろう。
相手がオレを殺す気でいるのは間違いないが、オレは彼らを殺したくなかった。
ラルレッツ王国とは縁がなさそうな農民が、必死で邪魔をするのには理由があるに決まっている。
「難しすぎて、オレには無理だ」と笑い、刀身の向きを変えた。腹の部分で打つだけにしておいてくれるようだ。
先輩の見事な剣さばきで、オレは線引きを再開した。指輪は全体が黒に染まっている。
指輪のことは考えるな。
線を引くことだけに集中しろ。
男達の足元に、オレが引いた線の最初を見つけた。
線の端に向かって、全力で駆けだした。
「ウィル、オレの側から離れるな!」
先輩の声が背中にかかる。
指輪は真っ黒でヒビのようなものが走っている。時間がない。
いくつかの刃がかすったが、気になどしていられない。オレは線の上にいる男達に身体ごとぶつかって、線を引き終えた。ほぼ同時にマジックストーンを交わった点に乗せる。
何もおこらない。
指輪を見た。
まだ、壊れていない。
だが、漆黒の指輪はサラリと砂が崩れるようにオレの指から散った。
「間に合わなかったのか」
失望がオレを襲いかけたとき、城壁の内側から光が溢れた。
見あげると、光の柱が上空へと伸びている。
柱と言うには、でかすぎる光の六角柱がスイシーにそびえ立っていた。
「くそガキの野郎だな」
うれしそうな声で賢者ダップが言った。
白い顔も純白のローブも血飛沫が飛んでいて、賢者の荘厳さは微塵もない。
オレ達を襲った男達は負けを悟ったらしく、怪我をしている仲間達を連れて街道の方に去っていった。
助けてくれたバランス先輩に金貨10枚を渡したあと、オレは地面に座り込んだ。
柄を握りしめた手は緊張で、まだ、震えが止まらない。終わって、多くの命が乗っていたことに改めて気づかされる。
1時間ほどして城門の上にローブ姿の老人が姿を現した。今回の城門を閉じた理由や経緯やら色々話したあと、胞子の消滅が確認されたので門を開けると宣言した。
両扉の城門が重々しく開いていく。歓声を上げて入ろうとする人々の先に、歓喜の声で出迎える人々。
オレは立ち上がると、疲れた身体を引きずるようにして門を抜けた。
「ムー!」
城門の扉の陰に、転がっていた。ムーの周りにも数人の魔術師が荒い息で座り込んだり、横たわっていたりする。
彼らのいる地面に巨大な魔法陣が書かれているところをみると、ここで結界を維持していたらしい。
ムーの水色の上着もズボンも泥まみれで、抱き起こすと薄目を開けた。
「しっかりしろ」
「城門結界20分は疲れるしゅ」
疲れただけかと安堵したオレの後で、カカカッと笑い声がした。
「チビが無理しやがるからだ」
「城門結界20分しゅ」
ムーがダップに言い返した。
「魔力がデカイだけだろ」
「ケッ、でしゅ。魔力不足のババアに言われたくないしゅ」
ムーの腹めがけて振り下ろされたメイスを、オレは手の甲で弾き飛ばした。鬼の形相のダップの足元に、ムーの頭をつかんで下げさせた。
「ガキの言うことです。許してやってください」
「今度やったら、粉にして海にばらまいてやる!」
そう言い捨てると、驚喜している人々の群れに紛れていった。
ムーは顔を起こすと、ダップの消えた方向に「ケッ、でしゅ」と言った。
「ババアにもっと魔力があれば、ボクしゃんが苦労しなくてよかったしゅ」
その通りかもしれないが、そいつを言ったらお終いだろ。