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夢十夜  作者: 高野 真
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第六夜

 こんな夢を見た。


 旧い街並みの中を歩いている。

 両側に連なるは厨子二階の京町家、家々の一文字瓦と出格子が木と土で織られた反物のようにも思われた。

 見上げれば紅緋の空。烏が連なりねぐらへと帰って行く。

 間もなく日が沈む、脚を早めねばならぬと、草鞋の紐を結わえなおしたそのときであった。


 ――もし、だんさん。もし。

 萩の咲き乱れる真っ赤なおべべを着て、頬ふくらませた女の子がつぶらな瞳で私の袖を引いている。

 旦那様と呼ばれるほどの者ではないが、かような刻限に幼な子の、声かけるには仔細があろう、どれ聴くだけでもと言ううちに、童女手を取り駆けて行く。


 子供たちが輪になっていた。

 みな年の頃は五つばかりであろうか。

 あたかもこの世の終わりの如く、ある者はぎゃんぎゃんと喚き散らし、ある者は地団駄を踏みのたうちまわる。

 絣模様の紺の着物が、泪と洟水で汚れていく。

 継ぎを当てた甚平が、泥にまみれていく。

 染みだらけの腹掛けが捩れ、紐が千切れていく。


 ――げに災いかな、おのこが人前で泣いてはならぬ、如何なる事情にやあらん。

 目を腫らしたる童子の答えて曰く、我が竹とんぼのあれへ引きかかりたる、棒にて押そぶらんとて届かず、為ん方無し。


 指す方を見やれば、錆鼠色の瓦が今日最後の陽光を浴びて艶めいている。

 その小屋根には京の慣らい、魔除けの鍾馗像が鎮座する。

 なるほどこの位置からでは、棒を差し伸べても届くまい。

 いかめしい髭面で剣を構えにらみを利かせるその胸元に納まるように、竹とんぼがつまやかに乗っているのだ。


 不安げなる子供たちの顔を脚下に見ながら、手を掛け脚掛け、持って来させた竹梯子をきしませる。

 空は藍汁を撒いたかのように瞬く間にその色を深くし、薄墨を溶いたような山の端をわずかな残照が映し出すばかりとなった。

 もやは時間はない、私が取らねば誰が取る。

 そんな義務感を背負い、鍾馗さんへと腕を伸ばす。


 ぱきん。


 羽根に指先が届いたのをいいことに、気を抜いたのが拙かった。

 ぐらり姿勢を崩した刹那、宙掻くその手が何かに触れた。

 すんでのところで落ちずに済んだは良かったが、鈍い痛みが残響となって指先に走りつづけている。

 粘土を焼き固めてこしらえた鍾馗像は、見かけによらず脆かったのだ。

 魔を斬り祓うためのその剣が、私の手によって柄元からあっけなく折れていた。


 山ぎわに最後まで残っていた茜色の染みが、音もなく夜に呑まれていった。

 潮がすうっと引いていくように、周囲から音が消えていく。

 烏の啼き声もしない、子の泣く声も聞こえない。

 ただ、浅く荒い己の呼吸音のみがざらざらと聞こえるばかりである。

 ともあれ、骨折り手にした竹とんぼをかの子に返すが先決、家主へは文に幾ばくかの金子を添えて届けておくほかあるまい。

 辺りに打ち寄せる闇に頭の先まで溺れそうになりながら、井戸底へと向かうように梯子を軋ませ降りてゆく。


 ――あなをかし、鍾馗様を壊しつるかな。


 幾重にも張り巡らされた暗がりをかきわけて、青白い顔が現れた。

 竹とんぼを指さし泣いていた、あの男の子であった。

 子供のものとは到底思えぬ、鎌のように研ぎ澄まされた、冷ややかな声。

 斬られた訳でもあるまいに、背中を生暖かいものが伝うのを感じた。


 ――あなをかし、鍾馗様を壊しつるかな。

 ――あなをかし、鍾馗様を壊しつるかな。

 ――あなをかし、鍾馗様を壊しつるかな。


 右から左からぬうっと顔を出した子供たちが、異口同音にそう言った。

 染みだらけの腹掛けをした子、絣模様の着物の子、継ぎを当てた甚平の子。

 そして、一面に萩の花を散らした真っ赤な着物の女の子。

 しかし、この子たちは、―――


 ――あなをかし、鍾馗様を壊しつるかな。


 みんな同じ顔をしているじゃないか。


 血の気の失せた、蛙の腹のような色の顔がにいっと笑うのと同時に駆け出した。

 アガサガル西()ル東()ル、そんなものは関係ない。

 一刻も早く早くここを離れなくてはならぬ。

 刹那。背後に残されたあの家から、男の野太い叫び声が上がるのを私は聞いた。



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