第四夜
こんな夢を見た。
姿も映さんばかりに黒光りする板張りの床に、正坐している。頭には立烏帽子、純白の浄衣に身を包み、口には半紙を咥えている。
辺りはしんと静まり返り、己が心音さえも憚られるほどである。生唾を呑みこむ音が殊更に響いた。釘を打ちこむような痛みが膝を襲い、すっかり冷え切った背中は氷を背負ったかの如く強張っている。
いつからこうしているのか、いつまでこうして居なければならぬのか。
それはわからない。
けれども、「待つ」ことが私の務めなのだ。
左右後方の三方から障子越しに差し込む陽光は絹布のように柔らかく、身も斬らんばかりに研ぎ澄まされたその場の空気に、いくばくかの温もりを与えている。
眼前に敷かれた置き畳、その上には古ぼけた六曲一隻の屏風が開かれ、私と対峙する。
全面に描かれたるは薄野原、山から吹き下ろす風が渡り穂を揺らし、荒涼としている。
そこに佇む一人の僧形、墨染めの衣を纏い、手には杖、頭には兜巾。そしてその顔は梔子色の毛に覆われ、口吻の黒い頂点の周りには長い髭が生えていた。
物心ついたときには、この僧形の狐に茶を献上するのが私の務めとなっていた。一年三百六十五日、朝と昼の一日二回繰り返される、それはある種の儀式であった。
庭で汲んだ井戸水を、吐息で穢れぬよう半紙を口唇に挟み、手桶で茶室へと運ぶ。畳の一角を一尺四寸四方に切り取ってしつらえた炉で、真っ赤に炭を熾らせて湯を沸かす。
茶托の上にさらに台を載せたような漆塗りの貴人台には、逆さ富士にも見える白磁の天目茶碗を据える。
ちんちんに沸いたそれをさらさらと注ぎ、艶が出るまで茶筅でじっくり濃茶を練り上げる。
そして、翡翠色の宝玉を押し戴きつつ屏風の前へ供え、心経を三べん唱えて、あとはひたすら待つのである。
誰の代から続いているのかはわからぬ。
しかし、父も、その父も、そのまた父も、当家の長男に課された使命として果たしてきたという。
百年に一度それが発するという「言葉」を聴くために。
そのとき何を告げられるかは誰もわからぬ。親類縁者に話すことはおろか、書物に残すことさえ罷りならぬとされているからである。それを耳にした者はただ、しかるべき作法に則り、しかるべき筋に伝え聞かせるのみである。そうして、人が動く、国が動く、天下が動く。
幼い私にそう言い聞かせてきた父は、とうとう「言葉」に接することなくこの世を去った。
もしかすると、私も同じ結末を迎えるのかもしれぬ。
しかし、いつか生まれてくるであろう息子にも、そのまた息子にも、この役目を引き継いでいかねばならぬのだ。
ただ、待つ。ひたすら、待つ。
黒く艶やかな射干玉を思わせる板張りの床に、姿勢を正して坐している。頭には立烏帽子、純白の浄衣に身を包み、口には半紙を咥えている。
呼吸さえ硝子を爪で掻くが如くがさつに聞こゆる静寂の中で、己が心音のみが流れゆく時を刻んでいる。生唾を呑みこむ音が殊更に響いた。釘を打ちこむような痛みが膝を襲い、すっかり冷え切った背中は氷を背負ったかの如く強張っている。
いつからこうしているのか、いつまでこうして居なければならぬのか。
それはわからない。
静謐を破り、魚板を打ち鳴らすような乾いたしわぶきがひとつ。
ようやく茶に手をつけたようである。
「言葉」に触れられるその日まで、先はまだ、まだ長い。