第三夜
こんな夢を見た。
なお明けきらぬ西の空を思わせる深い藍に染められた作務衣を着て、ひとり突っ立っていた。蒼穹は尽きることなく、たなびく雲に乗り阿弥陀如来がお出ましになるかと思われた。
――罰策を呉れてやるまでもないわ。汝、身の程を知るべし。
無理矢理握らされた竹箒、老僧は呵呵と嗤うと踵を返し、猫の子でも締め出すかのように乾いた音を響かせて障子を閉めた。
古い革袋めが何を抜かすか、と耶蘇の経典の台詞まで引っ張り出して私は文句を垂れた。理由はわからぬ。公案法戦を交わした末のことかも知れぬし、あるいは自分を認めよという稚気めいたもの故かも知れぬ。しかし、ともかく私は腹を立てていた。
見渡してみれば何ということはない、ただの石庭である。方丈の濡れ縁と築地塀の狭間に、貧相な枯山水がしつらえてあるのだ。
こんなもの、ものの半刻ほどで掃き清めてくれるわ。手が白むほどに握りしめ、歯がみしながら思った。かつて過ごした受業寺の庭はもっと威儀正しく立派であったではないか。須弥山を模した巨石を中心に心の字形に石が配置され、手入れされた苔はベルベットの如く、よく磨かれた白砂は陽光をまぶしいほどに反射させながら、果つることなき潮の流れを描き出す。
それがこの庭ときたら何たる様か。路傍で膝を抱えた乞食のような石はどこぞの寺の礎石のお古、これでも一応は東方の仙人郷蓬莱島を模しているつもりらしいが、蒲公英の綿毛ばかりの苔も何ともみすぼらしく、敷き砂はくすみ、砂熊手の扱いが下手なのか島に打ち寄せる波もどことなく歪つである。
どこから吹かれてきたものか、足元には一葉の青もみじ、何とはなしにつまみ上げた。と、砂粒の間から一滴の水が陽光を受けてビー玉よろしく輝いた。
おやと思う間もなく滴水は草履を濡らし砂紋を浸し流水となり、渦を巻いて石庭を呑みこんでもなお尽きることなく、木っ端よろしく翻弄された私は脚下はるかに法堂の小さな屋根を見た。
気づけば茫洋たる大海の只中、塩辛い水が容赦なく咽喉と鼻を灼き、げえげえと噎せ返りながら私は必死で足掻いたのだった。私は一寸も泳げぬ。このままでは溺れ死んでしまう。
だが何度流れに逆らっても全くの無為であった。体はくるくると回転し前後も左右もあったものではない。もはや手足が満足に生えているかさえもわからぬ。まなこを開いても盲同然にその網膜には何の像も結ばず、鼓膜は聾よろしく空気の震えを伝えず。ただ全身が、ごうごうという海鳴りに抱かれ、重力の束縛から解き放たれたゆりかごに揺られて、漂っているばかりなのである。それはまさに赤子への回帰のように思われた。抗い得ぬ大きな力の前に、あらゆるものが剥ぎ取られていく。履物が無くなり、着物も無くなった。学校で教えられた学問の一々がインクの滴となって流れ出していく。長年の生活で澱を為していた常識と呼ばれる有象無象がさらさらと溶けていく。いつの間にか体をうろこのように覆っていた自尊心までもが、ばりばりと削ぎ落とされていった。私はとうとう、私という一つの個体に成り果ててしまった。
そしてそのとき初めて、私は無の音というものを聴いた気がした。どこまでも暗く、どこまでも孤独な、けれども奇妙に居心地のよいこの世界の中で、それは静かに、しかし荘厳に、私の身中におんおんと響いたのだった。
緞帳のように重く下されたまぶたに差し込んだ一条の光が、泥濘の中に沈んでいた私の意識を引きずり出した。針の先で開けたような小さな小さな一点であったが、その光は三千世界を遍く照らす御仏の導きのように思えた。
全身の皮膚はざわざわと粟立ち、血管は末端から順にちりちりと沸騰していく。肺は空気を要求してびりびりと叫びをあげ、心臓はやり場のない怒りをぶつけるかの如く早鐘を打つ。
光へ、光へ、光へ。ただそれだけであった。どうせこの世には己一個あるのみなのだ。恥も外聞もかなぐり捨てて、一心不乱に光を目指す。腕もある、脚もある。そして、生きている。それで十分ではないか。全身の力を四肢に送り込み、水をかき分け、蹴りたてる。あと少し、もう少し。波間に浮かぶ流木ひとつ。あれさえ掴めば生きられる。生へ、生へ、生へ。生きねばならぬ。生きねばならぬ。指先が梢に触れる。大海の中心ではあまりにか細い、しかしこの世で唯一の自分の味方を手繰り寄せ、身体を預け、命を預けた私は、
――一面を石に覆われた寂寥たる斜面に横たわる自分に気づいたのだった。
瓦礫のように尖った先端がきりきりと身体に食い込む。人間の頭ほどもある落石が風を切って脇を転げて行く。歯はがちがちと鳴子の如く、吹きすさぶ風が瞬く間に雲を彼方へ押し流し、全裸の私から体温を容赦なく奪い、生命の灯を吹き消そうとする。救いを求めてびょうびょうと鳴くばかりの咽喉は遠い日の壊れた鳩笛を思い出させた。
それでも私は、残りわずかな体力を振り絞って先を目指す。頂は霧のはるか、果てを知らぬ賽の河原の向こう側、髪を振り乱し血を滴らせた身体で這い進む私はさながら地獄の亡者であろう。しかし、それで良いのだ。己が煩悩、己が罪業。衆生が煩悩、衆生が罪業。あらゆる罪障を背負いあらゆる責め苦を乗り越えてこそ得られる解脱、ならばこの死の山さえも越えて進ぜよう。べろりと生爪の剥がれた指先で地をかきむしりつつ私は念じた。わずかな灌木に溜まった露をすすり、岩に身を裂かれてもなお我が身は発心の喜びに打ち奮えるのであった。
眼前には天まで達さんとする断崖、右にも左にも道はなく、ならばここから目指すのみ、思うが早いか勢いをつけて岩肌に取りついた。座頭よろしく何度も何度も足許を確かめながら、かすかな岩の窪みにつま先をねじ込み足場を取る。手旗でも振るかのように腕を右へ左へ動かし、血塗れた指で手がかりを得る。転げ落ちてくるつぶてに嘲笑われながら、身体を持って行かんばかりの気流に囃し立てられながら、それでもなお一挙手一投足を頂へ近づけていく。
生は苦なり苦は生なり、生苦の先にこそ涅槃寂静あり。そう思うからこそ耐えられた。そう思うからこそ半生を叢林に捧げてこられたのである。
三時起床一時就寝。作務の合間に坐禅を組み、坐禅の合間に作務に就く。諷経で咽喉を枯らし、参禅で知恵を枯らす。師家に張り倒され、警策でみみず腫れを作られ、殴られ蹴られで一年八千三十時間。箸の上げ下げ風呂の浴び方糞の垂れ方まで全てが修行、高単から浴びせられる嘲笑面罵すら糧とする。痛罵は鑿、坐禅は鑢、公案は砥石。頭をかち割り骨を削り、脳を取り出し磨き上げるぐらいのことはせねば己が内なる仏性は顕れぬと師は笑った。
しかし――とも思う。そうして仏性を見つけ出したところで、それは本来肉体と一体不可分の核、白日の下に晒してみたところで、単なる蛋白質の塊以外の何物の意味も持たぬ。仏性は肉体という器を得て初めてその本性を発揮し得る。肉体は仏性という中身を得て初めて人間たり得るのである。だとするならば、舎利を拝まんとて仏像を叩き割るような行為に如何なる意味があろうか。そんなもので得た見性は所詮は虚妄、魔道へと堕とさんとする増上慢どもが見せる幻術なのである。
一陣の風が張り巡らされた霧を蹴散らした。嗚呼、見よこの懸崖の惨状を。思索の袋小路に嵌まり、智慧に雁字搦めにされ、機語に命を奪われた雲水どもの亡骸が、菩提樹の果実の如く羂索に吊られ揺れている。誰よりも優秀であった同夏の朋輩も、いち早く印可を受け庵を結んだかつての同参も、みな一様に痩せこけた青黒い顔をして朽ちるがままにその身を委ねている。
そして気づけば、己が眼前にも大口を開けて結び目がぶら下がっているではないか。文字通り風前の灯と成り果てた我が命、岩の間隙からわずかに突き出した枯れ枝を握るこの手にも限界は近く、只管に頂を目指してきた修行にも行き詰った。さあこの窮状を何とする。いっそ首を括ろうか、頂を目指し無間地獄をただ征くか。死ぬは苦しい生くるも苦しい、されど死した後にも生きた先にも涅槃寂静は存在しないのである。そんな我が身の何と見苦しいことか。首吊りし損ねた者の、紐を解かんとて悶える様にもさも似たり。気管血脈をじわりじわり締め上げる苦しさに耐えかねるも、最早四肢は痺れ力は入らぬ、全身の空気をポンプに吸い出されるが如き苦しみの中で意識ばかりは正常を保ち、ただただ体を無様に揺らすのである。
これは隻手音声だ。そう思った。新到参堂ののちに初めて与えられた公案であった。「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある」、両手を叩けば音がする、では片手ではどんな音がするか。学問で得た知識や常識に囚われているうちは答えは出せぬ、矛盾を矛盾と思うが故に行き詰まる。いま私を嘲笑うかのように揺れる羂索も、まさにこの公案に等しいのだ。
生きんとして生きられず、死なんとして死なれず。だがそうではない。生きんとするから苦しいのである。死なんとするから苦しいのである。そもそも生死を分かつことに何の意味があろうか。他人から己を認識されれば生、されねば死、所詮は他人を介してのみ意味を持つ。己を見つめる己のみを考えるにおいて生死は表裏一体のものですらなく、生だの死だのといった概念すら必要ではない。スイッチが入っていようがいまいが、電燈という本質そのものに変わりはないではないか。そこに変わりを見出すのは、その電燈を利用しようとする他者なのである。従って他者を超越した己一個の在り得べき姿を想起するにおいて、そこには生も死も存在せず、存在せぬ以上乗り越えるべき生苦も死苦もまた虚妄に過ぎぬのである。
――であるならば。
私は泰然として両手から力を抜いた。四肢こそが、私の体を、そして精神を拘束し、自縄自縛に陥らせていたのである。私は宙へと放擲された。あらゆるものが逆さに見える。しかしその逆さになったものたちは、私の頭から足先へ向かって飛ぶように滑るように移動していくではないか。なるほど天へ昇るときにはこのように見えるものなのだなと一人合点した。そして頭上いっぱいに赤茶けた天蓋が広がったその瞬間、私は確かに隻手の声を聴いた。
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