第二夜
こんな夢を見た。
工事現場に居る。紺色の作業服に白いヘルメットを被り、腰には安全帯。まったく見知らぬ現場であるはずなのに、展いた図面を見ながら協力会社の職長へスラスラと指示を出しているのが不思議であった。今日の作業は基礎掘削、重機作業半径内立入禁止徹底、振動・騒音注意。
だが現場内でうなりをあげる作業機械以上に騒々しいのは、実は仮囲いの外の連中なのである。
ぐるりと囲う高さ三メートルの万能鋼板の向こうには、工事反対派の住民と市民団体の皮を被った政治活動家がここを取り囲み、シュプレヒコールをあげているのを私は知っている。曰く「古都の景観を守れ」、曰く「大型商業ビル建設絶対反対」、曰く「子供たちに美しい京都を残せ」云々。彼らは一日中スピーカーでがなり立て、赤い旗を振り回し騒ぎ続けているのだ。
暇人どもめ、近所迷惑はお前たちの方だと苦々しく思いながら、現場内を巡視する。
ただ古いものを残すことだけが、街を守ることになるのか。街も生き物である。新陳代謝が行われず古い細胞が古いままに残るのは、すなわち老化を、その先の死を意味する。時代に即して、人々の要請に応じて、適切な用途転換と土地利用が行われてこそ街は活きるのではないのか。
そもそも古都の景観を守るにしても、千二百年の歴史を持つこの街のどの時代の景観を守れというのか。この地にはかつて、とある老舗百貨店が建っていた。その前は巨大寺院の敷地の一角として堂宇が建っていた。さらにその前は、某院の邸宅であったという。
一体どの時代を切り取って、その断片を後生大事に守れと言うのだろうか。
そんな私の雑念など知らぬ顔で、作業員が忙しげに立ち回る。重機の黄色い腕は鉄の掌で以って数百年の歴史ごと土をかき出し、明治も元禄も天正も応仁も無関係とばかりにダンプの荷台に積み上げていく。それを操作する者もまた、過去も未来も関係ない、現在にのみ生きる者である。
突如、ばりばり、ごりごりという嫌な音が辺りを揺さぶった。桟ごと障子を引き裂くような、虫歯ごと顎の骨を削るような、脳を震わす不気味な響き。
直後、大地が吐血した。もうもうと噴きあがる土煙。
おい大丈夫か! 駆け寄る私の目の前で、一台の油圧ショベルがゆっくりとお辞儀をしていく。地中へ伸ばしたその腕を支えに、じわりじわりと角度を深めていく。
沈みゆく操縦席には未だオペレーターがその身を預けている。しかし意識を喪失しているのかもはや諦観しているのか、瞑目したままである。その様は極楽浄土へ漕ぎ出でる、補陀落舟の船出を思わせた。
我々は為す術なくただ立ち尽くした。ずぶりずぶりと鉄の塊が土中へ呑みこまれていく。だが一方で、私も、上司も、同僚も、職長も、事態がまるで呑みこめぬままなのである。
日立建機製油圧ショベルZX400Rは、そうして質量4トン弱のその身体を完全に没したのだった。
作業員の誰かが、黙って穴の中を指差した。
きれいに穿たれた真円の奥深くに見える街並み、穴底だというのに陽がこうこうと射し、どこまでも続く瓦屋根が青々と輝いていた。そしてその辻めいた場所には、打ち捨てられた一斗缶のよろしくへしゃげた重機がその無様な姿を晒して転がっていた。
とどのつまり、我々は傍観者でしかなかったのである。
あらゆる大路から、路地から、人々が群れをなして現れ、取り囲み、囃し立てた。
先の折れた烏帽子をかぶり、すねで絞った袴をはいた中年男が、操縦席からオペレーターを引きずり出す。枯れ枝のような手足に異様に膨れた腹、ぼろ布をわずかに身に貼りつけた連中が蛆のように彼に集る。丸い編み笠に鮮やかな打掛を羽織り下女を引き連れた婦人が、その様を見て悲鳴をあげる。二重廻しをまとった口ひげの男が、ステッキを振りかざし民衆を煽り立てている。菜っ葉服に鳥打帽の群れ、先頭には赤旗が翻り、大店の木戸をハンマーで叩き壊している。その裏口では野良着の上から胴丸を着けただけの雑兵どもが家人に長刀を突き付け、目ぼしいものを手当たり次第に盗み出している。路傍に転がされた大原女は小袖の裾をはだけさせたまま、嗚咽交じりに散らばった柴を拾い集める。
鐘が鳴りつむじ風が吹き烏が舞って、やがて家々から火の手が上がった。驚いた野犬が、作業服の切れ端をひらつかせた腕を咥えてどこかへ走り去った。
何が美しい古都だ。そんなものは最初からどこにも存在しなかったのだ。
嘆息した私は、穴の埋戻しを作業員に命じた。外のシュプレヒコールはいつまでも止まない。