034
「よ、よぉし……!!」
ゆっくり、着実に手を進めるんだ……怖がっているだけじゃ始まらないぞ。そうだ、少しずつ、少しずつ前に。
あと少し、あと少しで届く!!
「……ブルルッ」
大丈夫、まだ僕に気づいてない。はずだ。
僕はゆっくりと、確実にホルディースと呼ばれる馬へと両手を伸ばす。茶色い短い毛。スラリと細くも強靭な足に、長い毛の尻尾。凛々しい顔つき。そんな馬へと手を伸ばす危険なミッション。
現実には手入れなしでこんなに毛並みはつやつやしないだろうけど……そこは流石神素と魔素っていう不思議要素が絡んでる異世界なだけあるんだろうな。
はっ、いかんいかん。別なことに頭を働かせるな僕。集中打集中。目の前の馬に集中!! 落ち着けー。平常心平常心。
「ブルルッ」
「ひぃ!?」
僕の手が馬の体に触れる瞬間、馬が体を震わせ、僕の方を睨みつけた!! あからさまに僕の接近を嫌がった!!
馬の鳴き声がこえ~! さっきのニワトリの事がトラウマになって気安く触れね~!
「……も~。ホルディースの子供に怖がりすぎだよ」
呆れ顔で馬を撫でて落ち着かせているシェス。今まさに僕が触れようとしている子馬はシェスが手を動かすたびに、気持ち良さそうに目を細めている。
「その馬は確実に僕を怖がらせているんだよ!」
じゃなければこんなにも触ろうとするたび体を震わせたりしないって!!
「そうかなぁ~?」
本当にわからない、と言った表情で馬をなで続けるシェス。さらさらとして、触ってるほうも触られているほうも気持ち良さそうだっ!!
「少しくらい触らせてくれよ~」
「ブル」
顔を横に振った!? 意思疎通できるのかよ!!
「……え? この子……」
その様子にシェスはなでる手を止めて、かなり真面目な表情になった。それに対して馬はなんだか残念そうだ。な、なんだ? 一体今の行動に何がシェスを真面目な顔つきにさせたんだ? シェスが口元を手で押さえ、何かを考え込んでいる。今のこの馬が行った顔を横に振る動作に一体どれほどの意味が。
「凄く、賢いんだね」
「普通だな……」
そんなに意味ないじゃん!! 馬はもともと賢いって!! ……人語が解るほど賢いものなのかは知らないけど。
「そうかなぁ……? ホルディースの子供ってまだまだ人間の言葉を知らない事が多いの。調教もされてないし。ただ賢いだけじゃなくて、この子はもしかしたら凄く賢いかもしれないのよ?」
「う~ん?」
その事実がどれほど凄い事なのか、僕には理解しかねるぞ……。それに子供がわからないってことは大人はわかるってことだろう。早熟ってだけじゃないかと僕は思うわけなんだが。
あ、そうだ。頭がいいなら、なんで触らせてくれないのか、聞いたら答えてくれるかな?
「なぁ、なんで触らせてくれないんだ?」
僕はそう言ってみた。馬は僕の顔をことをじっと見たまま動かない。意味伝わらなかったか? ……見ているのがシェスだけだからいいけど、これほかの人に見られたら馬に話しかける痛い人だぞ……。
ん、目線が動いたな。どこを見ているんだろう。って、左手だ。
「もしかして、これがダメなのか?」
僕は変色が治っていない左手を見た。左の二の腕から広がっている薄黒いシミ。今は赤みでちょっと黒いのがわかりにくいけど、幻獣にはわかるみたいだ。魔剣の存在が。とにかく、この腕が嫌なのか?
「なら右手でなら、いい?」
ホルディースはなんだか微妙そうな表情を浮かべて、間を空けて頷いた。結構長い時間渋ってたな。そんなに僕に触られるのは嫌かなのか。ちょっとショック、あ、いやまてよ。僕というか、魔素がダメなのかな? ホルディースは幻獣だし、神素を用いる生き物だから……。
僕は少しだけ神素を集めて、神素を右手に満たした。満たしただけで、身体強化も何も施して無い状態。その状態でホルディースの子供に触ってみた。嫌がられず、触ることができた!
「……おぉ」
多少嫌そうな雰囲気をホルディースから感じるけど、触らせてくれた。サラサラとした毛並みで、すごく気持ちがいい。牛とは比べ物にならない程だ。
「触れたね」
「うん。触れた」
「ブルッ」
僕はしばらく黙って背を撫でていた。ホルディースは僕に触られるのに慣れたのか、僕を無視して地面に生えている草を食べていた。むしゃむしゃと、ゆっくり噛んで飲み込んでいる。……そういえば、こいつに名前はないのか?
「なぁ……名前とかないのか?」
「え?」
こいつをさっきからホルディースやら、ホルディースの子供と言うのは長ったらしくて疲れる。内心馬って呼んでるけど、声に出すとシェスに伝わらないし。
「……う~ん。基本的にホルディースは買い手が名前を付けるから、買い手がつくまで名前は付けないの」
「そうなのか。じゃあお前はもうしばらく名前が無いまま過ごすのか……」
「ブルル……」
残念だ、と言わんばかりにホルディースが鳴いた。う~ん。せっかくだから名前つけてあげたいな。馬っぽいし、馬みたいな名前がいいな。馬みたいな名前ってなんだろう。……でも競馬とかの馬の名前って全部カタカナだった気がするな。
賢くて、カタカナのいい名前かぁ。そういえばジーニアスって英語が、たしか天才とかそう言う意味だった気がする。
「『ジーニアス』かな?」
「?」
「天才って意味」
「へぇ~! 確かに賢い子だもんね」
「そうそう。つーことで、お前は買い手がつくまでジーニアスって名前だ!」
「……ブル」
え!? なんでそんなに露骨に嫌そうな顔するの!? 人間で言う「えー?」みたいな感じだぞお前!!
「喜んでるみたいだね」
「またまた、冗談を……」
だって、なんか、えー? なにそれー? って今すぐにでも言い出しそうな顔してる。全然嬉しそうな顔に見えないぞ?
「私には嬉しくて、どう喜んでいいかわからないみたいに見えるよ。ね、ジーニアス?」
「はぁ……?」
ぜ、全然そんなには見えない。
「……ブル」
仕方ないからそれで妥協してやるみたいな鳴き声だったぞ今!!
「く、くそ~。せっかく僕が考えたいい名前なのに。もっと嬉しそうにしろよ」
とジーニアスに言うと、ジーニアスは僕から離れて、しっぽで僕の右手を叩いた。ちょっとイラっとした。
「くっ、この野郎!!」
僕がジーニアスに飛びかかろうとすると、ジーニアスは体に神素を集めて、爆発的に身体強化をすると僕を回避した!! どんだけ本気だよ!?
飛びかかった僕はジーニアスに飛びつく事ができずに、地面に倒れた。そんな僕をジーニアスは一瞥して、ふっと笑うと軽快に走り去っていった。
「あ、あの野郎……」
「あはは、仲いいね」
シェスが僕の情けない姿をみて笑っていた。なんだか恥ずかしい。それと、仲良くない!!
「でも、ジーニアスは野郎じゃないよ? 女の子だから」
「え? マジで?」
ということは、僕は今女の子を押し倒そうとしたようにも見えるわけか? ……もしかして、僕って人間って。
「さっ」
「さ?」
「最低じゃん!?」
「え? あ、なるほど。あ、あはははは」
シェスに失笑された!! くそぉ~。て、あ?
「あれ?」
僕のお腹がなった。さらに恥ずかしい!! もぉ~……。
「はらへったぁ~」
空を見上げると、お日様があんなに高く登って……。だというのに僕は朝から何も食べてない。
「そうだねぇ~」
「あれ? シェスも食べてないの?」
「うん……」
「おやおや、朝は食べないといけませんよ?」
「うわっ!?」
いつの間にかお婆さんがいた!! 全く気づかなかった!!
「ほれ、昼飯じゃ」
そのお婆さんの隣にはお爺さんが、大きなバスケットを持って立っていた。
◇
草の上に直接座って、お婆さん特製の卵と野菜とチーズのサンドイッチ、それと搾りたての牛乳で優雅なランチ。んー。美味い!!
「すっげー美味いっす。とくにこのチーズの味が凄く濃くていい!」
あ、チーズの色は黄色でした。牛乳も卵も現実世界と全く変わらない色です。野菜も、紫、緑、白って割と普通な感じ。たまに野菜でも変な色してるのがあるけど、大抵は元の世界の野菜と変わらない。なんでお肉系列はあんなに刺激色なんだ……。
「それは良かった。もっとお食べ。若いんだから食べるでしょう」
「遠慮なくいただきますー!」
うぉー!うめぇー!! ……む、おじいさんの視線を感じる。なんだろう。
「にしても、お前はあんまり使用人ぽくないなぁ」
「ごほっ!?」
思わずサンドイッチで噎せてしまった。し、しまった。僕って使用人だった!! こんなに遠慮のない使用人なんておかしいよな!?
「えっとですね……いや、すいません」
言い訳をしようと思ったけど、無理だと思って素直に謝ることにした。
「はっはっは。こんなやつを雇うなんてディモンも何を考えているのか」
「まぁまぁ、いいじゃありませんか。もしかしたら、シェスちゃんのお友達にとでも考えたのかもしれません」
老人2人は笑いながら僕の事について話し合っていた。
「でも、あなたが若かった頃はあの時」
「ちょっと待て。いつの事を言おうとしているかわからないが……」
途中で僕に関係ない昔話へすり替わった。あまり重要視されてないみたいだな。
「はぁ……」
「ぶる」
!? ジーニアスいつの間に!? あ、僕のサンドイッチが食べられた!?
「お、おいてめぇ!! 僕のサンドイッチ返せ!!」
「ヒヒィーン」
ジーニアスは神素をすぐさま集めると、身体強化を施し僕から素早く離れていった。畜生。雌だからって容赦しないぞ!! 食べ物の恨みは恐ろしいんだ!!
「ちょっと、お待ちなさい」
「はい?」
僕が立ち上がって、神素での身体強化をしようと神素を体中に集めていると、お爺さんに肩を掴まれてしまった。
「ふむ。最近身体強化を雑に施した事があるな?」
「……む、無理やり持続させようとした事はあります」
「神素の回転が凄く悪くなっているな。回路がぐしゃぐしゃだ。特に左手はひどい。線がずたずただ」
回転? 回路? 線? な、なんのこっちゃ!?
「ん? 随分不思議そうな顔しているが、もしかして意味がわからない?」
「は、はぁ……」
「どうやらかなり自己流で神素の身体強化をやっていたみたいだな」
そういえば、しっかりと身体強化のやり方を教えてもらったのは魔素だけだな。アンデが魔素の集め方から身体強化のやり方まで全部ちゃんと教えてくれたからな。神素は魔素のノリで
「ふむ。魔素のように神素を扱ってる節があるな。もしや、神素の身体強化のやり方を習った事は一度もないのか?」
「なっ!? なんでわかるんですか!?」
考えている事と同じ内容の事を指摘されたから凄くドキっとしたぞ!!
「……シェスちゃん。この男は本当に強いのか?」
お爺さんが大きくため息を吐きながら、呆れた顔をしている。くそ~人がわからない単語並べれば賢く見えると思ったら大間違いだぞ!! でも言い返せないのも確かか……。
「強いよ。だって、私を助けてくれるんだもん」
シェスの返答を聞いたお爺さんは少し困った表情を浮かべて、ヒゲを触りながら何か考え始めたようだ。サンドイッチの恨みを果たすのはまた今度だな……。僕は気持ちを落ち着けて、牛乳を飲んだ。濃厚で美味しい。
「……ユウだったか?」
「ぶふっ、はい?」
牛乳を飲んでいる途中で話しかけるなよ! びっくりして吹き出しそうになったじゃないか!!
「明日の昼にここに来い。ちょっと鍛えてやる」
「え? 本当ですか!? 是非とも宜しくお願いします!!」
それは願ってもない話だ。手っ取り早く強くなるには、やっぱり教えてもらうのが一番だ。
「小学生ですら知ってる事を知らんとは、そんなヤツにシェスは任せられん」
小学生の既知知識だと……? 回転とか、回路とか、線とか小学生は難しい事を習っているんだなぁ。
「ヒヒィン」
ジーニアスがシェスの後ろから近寄ってきた。
「……もう怒ってないから警戒するなよ。まったく」
僕がそう言うと、ジーニアスは僕に近寄ってきて、顎を僕の頭に乗せてきた。……イラッ。
「はぁ」
僕は神素を右手に集めて、その右手でジーニアスの頭を撫でてやった。
「ほほほ。随分気に入られているのねぇ」
「ホルディース種自体あまり人に懐かないものなのだが、そいつだけはユウに懐いているようだな」
「はぁ……」
どうにも舐められているとしか思えないのだけれども。僕の撫でに飽きたのか、ジーニアスは僕の頭から顎をどけると、走り去ってしまった。自由だなぁ……。
「さて、これから2人はどうするんだい?」
「もう少し牧場を散策しようと思います。それから、帰ります」
シェスがそう答えると、お婆さんが満面の笑みで
「じゃあ、少し牧場の仕事を手伝っていきません?」
と言った。ここで既に僕の気持ちはもちろん手伝いますって決まっていたんだけど、シェスが返事を渋っていた。何かやりたくない理由でもあるのかな? と考えていたら。
「サンドイッチも食べて、お腹いっぱいになっただろうしいい運動になるよ」
と、サンドイッチの部分を強調して言うもんだから、拒否を拒否するようなお婆さんの笑顔に流石のシェスも断れない!! どうやら僕らに選択肢はなかったみたい。もしかして、最初っから手伝わせるつもりだったのか……? タダ飯なんてなかったんだ……。でも、たかがお手伝い。この世界には体を強化する技もあるわけだしなぁ。
「牧場の世話って言ってもそんなに苦労も……」
「ユウ。甘いよ」
「へ?」
「……この牧場には、人は私たちしかいない」
「……ちょっとまって、今とてもおかしな事を聞いたんだけど、復唱してもらってもいい?」
「この牧場には、人は私たちしかいない」
そっくりそのまま復唱してくれた。ありがとうございます。てことはなんだ。作業メンバーは4人しかいないって事?
「ちょっと待ってください。普段からまさか2人で作業しているわけじゃないでしょう? だって、流石に広すぎるし、放牧している分作業しなきゃいけない場所は少ないんじゃ」
と、焦りを押さえ込むように笑顔でお婆さんとお爺さんに話しかけるけど、その2人の顔は笑顔。
「ちょうどいい。明日の昼からじゃなく、今から神素の扱い方を教えよう」
僕の質問への回答は無し。でも、それ以上にわかりやすい返事がもらえた。
「嘘、だろ?」
◇
作業する場所は比較的狭かった。比較的っていうのは、思ってた広さと実際の広さだ。だけど、その作業を行う場所と場所の距離が遠すぎる!!
餌場と餌を貯めて置く場所を3往復もする必要があるのになぜが1km程離れていたり、日中不機嫌な羊の相手を何故か日中行ったり、雨の降った日に動物たちが寝泊りする寝床を何故か今日念入りに掃除したり……。
いや、その作業に文句があるわけじゃない。手分けをすれば直ぐに終わる事だし、僕が疑問に思っている事にもきっとこの世界ならではの理由があるに違いない。
だけどなんで4人なんだ!?
おかしいやん! こんだけの仕事量を今いるメンバーだけでやろうと思った理由は何!?
と、一緒に作業しているシェスに聞いたみたところ、その理由はとても簡単だった。それに加えて、先ほどの疑問も全部解けた。
「……それはね。この牧場が訓練施設と兼用だからだよ」
そう、全部面倒な作りになっていて重労働になっているのは、ここが訓練施設だから、って意味わからん!! なんで牧場を訓練施設にしようと思ったんだ!?
初めて見る汗まみれのシェス。シェスはこのお手伝い(訓練)は2度目らしい。経験済みだったからあんなに渋っていたんだ……。今まさに餌場と餌を貯めて置く場所の間を、元の世界の工事現場にある手押し車を押しながら走っている。たしか、ねこぐるまって言うんだっけ。
走っているのはもちろん訓練だから。下は舗装された道じゃなくて、ただの草原。手押し車の車輪が見えない凸凹の道に足を取られてバランスを崩しそうになるのを、身体強化を施した力で無理やり立て直して走っていく。
僕より神素の扱いが上手で実力のあるシェスが汗まみれなんだから、僕は……
「おい小僧!! 神素の扱いが雑になっているぞ!! 魔素は全身から搾り出すような身体強化でいいが、神素は神素に身を任せ、頼る。消費するのではなく、使われるように身体強化をするんだ!! 無駄口叩いてる暇ないぞぉ!!」
汗と泥ともうよくわかんない液体にまみれています。泣いてないもん。お手伝い(訓練)開始前に貸してもらった白いTシャツと作業用パンツはもう元の色を失っている。洗うのも一苦労な程に汚れてしまっているけど、今の僕にそれを気にする余裕がない。
「言っている意味がわかりません!!」
足を取られそうになったり、ねこぐるまが凹凸に引っかかりそうになるのをなんとかコントロールするので手一杯。
極めつけは、最初に神素の流し方、使い方を僕に体験させて、それ以降は間違った使い方をした瞬間に体罰が襲ってくる鬼コーチ式訓練。超笑顔でお爺さんが馬に乗ったまま僕に竹刀を振るってくる!! どっから持ってきたその竹刀!? というか乗馬上手ですね!?
「ほれ、足がまた疎かになってるぞ!! 左手の巡りも悪いぞ! 早く改善しろ!!」
お爺さんが足で馬を挟むように立ち上がると、柔軟に体をひねって、人間業じゃないような体制を取ると、上手い具合に僕の足を狙って市内を振るってきた。なんかもうこの世界の身体強化ってなんでもアリだな!? 左手の神素の巡りに関しては勘弁して欲しい!! 魔剣が神素に抵抗してうまく神素が流せないどころかそのせいで痛むんです!!
バチッと、僕の足に竹刀が振るわれる!! 鞭で叩かれたみたいに痺れるような痛みが駆け巡る!!
「いてぇっ!!」
「ほらほら、走り速度が落ちてるぞぉー!!」
「お、鬼ー!!」
またなんだか左手が痛み始めてきた気がする!!
「……にしても、何故だ?」
突然お爺さんが小声でつぶやいた。でもそれを僕は聞く事ができなかった。
「何か言いました!?」
「いや……それよりも集中せい!!」
「はぁい!!」
掃除は掃除で、きつい訓練をさせられて……。
それが夕方になるまで続けられた。
◇
「はぁあああああ……しんどい」
お手伝い(訓練)終了後、シャワーを借りて牧場に来た時に着ていた学生服に着替えた僕とシェスは、レンガの家の中でぐったりと死んでいた。
「ふふふ、お疲れ様」
お婆さんがお茶が入っているコップをテーブルに置いてくれた。それをヨロヨロとつかみ、僕は一気に飲み干す。きりっとした喉越しが体に染み渡るようだ! ふぅ!! 生き返る!! シェスもお茶を一気に飲み干し、軽く息を吐くと無言で椅子に座り、テーブルに突っ伏した。相当お疲れのようだ……。
「ふむ。本来なら10数人でやる工程を2人で半分も終わらせられるとはな。やればできるもんだ」
お爺さんが感心したように息をこぼす。って、え? 普通なら10数人でやるの? つか、あれで半分なの?
「えちょ……はぁあああああ……」
もう突っ込む気力すら湧きません。しかもまだ半分なのかよ……。
「いいんですか? 僕らがその工程半分も終わらせてしまって」
「うむ。本来なら今日は訓練休みの日だから、適当にわしら2人でどうにかしようと思っていただけだからの」
そうなんだぁ……ってちょいまち。2人でやるつもりだったの? 怖。
急にお爺さんが大きく息を吸い込んで、息を吐くと「それにしても」と口にしてから一拍開けて口を開いた。
「ユウ、お前は何者だ?」
「へ?」
急に柔らかかった空気がピンと張り詰める。心臓を誰かに掴まれたかのように一瞬だけ、心臓が止まったような感じがした。
「身体強化は神素・魔素を扱っても術を行使するより毒素は溜まりにくい。とは言っても、今日のあれはほんの数年訓練した人間が扱えるような神素量ではない。
となりにいるシェス嬢ちゃんなんか、毒素でいっぱいいっぱいだ。今日訓練を切り上げたのはシェスお嬢ちゃんの限界を迎えたからだ。
ユウの実力を見るにシェスお嬢ちゃんには遠く及ばない上に特別な……」
急に言いよどんでシェスを見る。特別なってことは、目の事か?
「目の、事なら、知ってます」
緊張でうまく言葉が紡げない。
「!! ……そうか。ならわかると思うが、シェスお嬢ちゃんもその目のおかげで人より毒素の浄化スピードがかなり早い。だというのに、お前には殆ど毒素は溜まっていないどころか、既に溜まっている毒素を全て浄化し終わる寸前まできている。
はっきり言って異常だ」
……その事は薄々感づいていた。僕は毒素に関して全く限界を感じた事がない。つまり、神素や魔素をいくら扱ってもその扱いの限界を感じた事がない。その理由も、なんとなくだけどわかる。
この左腕の為というか、おかげというか……。
「……邪法使いなのか? お前は?」
お爺さんとお婆さんが心配しているような、怒っているような、悲しんでいるような……なんと言えない表情で僕を睨んでいた。
「そう言う邪法があるんですか?」
僕は言葉に困って、意味不明なことを聞いてしまった。なんかごまかしてるふうにも聞こえちゃうよこれ!?
「……いや、知らん」
「そうですか……」
……再び深い沈黙。ど、どうしよう。すごい気まずいけど、逃げたらもうここには来れない気がする。
「言い訳はしないのか?」
「え? えーっと。いや、邪法は使ってないです」
「『は』? まさかお前も目を」
「あ、それは多分ないような」
目って、シェスと同じような魔眼を持ってるかって意味だろう。僕はおそらく持ってない。持っていたとしても魔剣くらいだ。
「……なぜ否定する。肯定しておけばこの場を収めることだってできただろう?」
「!! なるほど」
「なるほどってお前なぁ……」
お爺さんに飽きられてしまった!? えーっと、もうどうしたらいいんだ僕は!?
「ユウ」
シェスが起き上がり、僕の目を見つめる。……体が疲れきっているせいかあまり緊張しない。魔剣の事を隠すのはそろそろ、限界なのかな……。今日みたいな事はこれからもあるはずだ。だって、実力者には1日あれば直ぐにバレてしまう事なんだ。だとしたら、これからも実力者と関わる時には毎回魔剣の事に感づかれてしまう可能性がある。
「そうだな、言うよ」
「……わかった」
僕は決心して、大きく息を吸う。大丈夫。シェスみたいにわかってくれる人だっている。たった1日の付き合いだったけど、この2人だって悪い人じゃなかった。きっと、わかってくれる。と思う。それに、今は言い逃れできるような状況じゃない。
どうしようかな。突き出されちゃったら。今魔剣使えないし、捕まってしまったら抵抗できずにそのまま処刑コース。なんてありえるな……。あれこれ考えても仕方ない。毒素がたまらないってメリットはまだ使えてるみたいだし、それを利用してここから逃げよう。
よし、言うぞ!!
「実は」
「いやいい!! 言うな!!」
急にお爺さんが大声を張り上げて、僕の言葉を遮った。その大声に僕だけじゃなくシェスやおばあさんも驚いている。大きく息を吸ってお爺さんがため息をついた。急な状況の変化についていいけない。
あ、あれ? いったい、どうしたんだ?
「シェス。知っているんだな? この男の秘密を」
あ、お嬢ちゃんってついてない。真剣なんだな……。
「え? まぁ、うん」
「なら必要ない」
「あらあら。いいんですか? あなた」
「いいんだ」
朗らかに笑うお爺さん。それに釣られてか、お婆さんも笑っている。
「シェスお嬢ちゃん。いや、孫に隠し事をするようならば突き出すつもりだったが、既にバラしているとなっては言う事もない。訳ありなのもわかるし、邪法使いがこんなに感情豊かに物を言う事もないだろう。ならば、安心して任せられる」
「そうですね」
……そ、そこまで無条件に、しかもそんな理由で人を信じられるのか? 僕なら力づくでも聞き出さないと納得できないかもしれない。大切な人の隣に危険人物がいるかもしれないなんて状況なんだよ?
「そんなの、そんなんで、いいの?」
思わず僕が聞きたくなる。僕が、信じられていい理由なんて1つもない。規則を破る人なんて、ただの異端者でしかないのに、どうしてそんな簡単な理由で信用してもらえるの?
僕だったら、絶対に、絶対に信用できない。
「若者よ、老人は知っているんだぞ」
お爺さんはそれだけ言うと「さぁもう遅い。2人共もうお帰り」と言った。
張り詰めた空気は一瞬で消え失せ、動けるまでに回復したしたシェスと2人に挨拶をすると何事もなかったように帰路へと付いた。
あまりにもあっけない会話の終わりに僕は何とも言えない気持ちでいっぱいになってしまった。
◇
「……信用できる人間なんかじゃないのに」
2人、僕は大切な人を殺している。僕がいなきゃ。僕が無茶しなきゃ。僕の事なんか大切って勘違いしちゃったから……。
さらに2人、僕は守るためとは言え殺している。命を奪うって行為だけで言うなら魔物だって殺している。なのに、割と僕は平然としている。
こんな人間信用に足るわけない。ここが命の軽い世界なのはわかっていた。殺さなきゃ殺される世界。元の世界でも戦争をしている場所は簡単に命がなくなっていた。
でも、だからといって命を軽んじていい世界ではないはずだ。戦争だって、命が簡単に消えてしまうのが悲しくて、幸せを産まないから戦争をなくそうと頑張る人達がいたんだ。
だから、命を奪った僕が、信用されるなんて、そんな不自然ありえない。
「……ねぇ、ユウ」
「な、なに?」
うわっ。考え事してびっくりした。もしかて何度か声かけられてた? ど、どうしよう。シェスが俯いたままだ。な、何を言い出すんだ? 今日一日中驚いたりで心臓がやばい。
日が落ちる前だっていうのに街中には人がひしめき合っている。なんだかわらわらとして、無個性な集まりのように感じてしまう。店じまいを始めるお店も、暗闇にいろんなものが隠れていくような様子に見える。
……だめだな、ちょっとネガティブ思考すぎる。気持ちを切り替えなきゃ。
「ねぇ、ユウ」
「あ、はい?」
おっと、また脳内トリップするところだった。シェスの方を向くと、街中で人がいるせいで無表情なシェスが力を込めたような視線で僕の瞳を射抜いていた。その瞳に吸い込まれそうになって、僕は動けない。
息すら止まって、この瞬間の時が止まっているようだ。
血の気が引くとか、そんな生易しいようなものじゃない。全部が見透かされて、裸にされて、追い込まれたような、シェスの魔眼で僕を構成する要素を分解されているような、そんな気持ちになった。
「……」
思わず口が開きかける。全部を教えてしまいたくなる。催促されていないのにも関わらず、僕の秘密をさらけ出したくなる。でも、なんとか堪える。何度目だろう。そんな気持ちになるのは。
「ねぇ、ユウは左手なしで、私に勝てる?」
多分魔剣の事を言っているのかな。
「無理、かなぁ」
いくら僕が神素と魔素の使用が無制限だからって、実力で短期決戦に持ち込まれてしまえば勝ち目はない。
「なら、私のほうが強いのね」
シェスがどうだと言わんばかりに胸をはって僕を見る。え、えっと? これは今どうゆう状況なんだ?
「そうだね」
「いくらユウが強力な奥の手や能力を持っていても、使えないままじゃ私のほうが強い」
「うん」
「私もそう思う」
「な、なにおう!?」
その通りなんだけど、確かにその通りなんだけど、ちょっと悔しいぞ!?
「それでね、私はユウの事、結構信用してるんだよ。ユウは自分が信用されないと思ってるみたいだけど、少なくとも私はユウを頼って、信用してる」
無表情状態のシェスが凄い喋っている。珍しい。というか、僕、無意識に喋ってたのかな。さっき考えていた事がまるまる漏れてたのか?
「私は強い。最近勝てない相手が多くてそれが見せられてないけど、それでもそれに勝てるように強くなっているつもり。だから」
さらに強く僕を見つめると、シェスは少しだけ眉をひそめて、何かに懇願するような表情を作ると。
「だからもっと、私を頼って、信用して、信頼して欲しい。」
なにかに、頭をガツンと殴られるような衝撃が走った。僕が、信用?
直ぐにそのような懇願するような表情は無表情に塗り替えられて、視線は僕から外される。そして、シェスが歩き始めた。言いたい事を言い終わったんだろう。
……気づかないうちに足が止まっていたんだな。
「まったく、何を言い出すかと思えば、僕はシェスの事を信頼して……」
信用していたか? 頼っていたか?
……。そもそも、僕はこの世界の人間を信用したか?
その事を考えたときに真っ先に思いついたのはアンデ。
アンデに全ての事を聞かれれば、僕はきっと全部話して……。いや、きっと言い淀む。だって、信じられるような話じゃない。でも、僕はアンデを信頼していた。1年間ずっと、父親のように思ってアンデと過ごしてきた。
そう言い切れる。
でもなんで全て話さなかった? 僕は異世界から来たって。この世界の知識を一切持ってない理由を。
信じられなくなってしまうのが、怖かったのか?
信じていただけに、自分に恐怖して欲しくなかった。信用している人が、信用出来ない人になってしまうのが嫌だったのか。あ、そうか。
僕は、自分をちゃんと普通の人として思っていて欲しかったんだ。
……そうなんだよな。だから最後の最後で、魔剣に飲まれそうになった僕を僕として認識してくれたアンデが死んだとき、死ぬほど胸が辛かったんだ。そんな人を失いたくないから魔剣を振るうのは惜しくなかった。
……僕はシェスと友達だと思っている。でも魔剣の事を知られたのは友達としてというか、偶然ばれてしまっただけ。だってクロムンには教えてないし、聞かれても答えないと思う。
それは、僕自身もまだシェスやクロムンを信用しきってない事になるのかもしれない。
もしかしたら、魔剣の事も信用してないのかもしれない。僕がフェンリルと対峙した時まではずっと魔剣があればどうにかなると、力の部分だけは信用していたんだ。でも、それすらもなくなって、魔剣の事を何一つ頼れないと思っているのかもしれない。
それでもまだ僕を助けてくれているのに、魔剣を信用していない。それじゃあ、話も剣を出す事もできなくなっても仕方ない。
……魔剣はいつだって僕を助けてくれたじゃないか。僕のわがままだって聞いてくれたし、戦う時はいつでもフォローしてくれた。それなのに僕はこの国では邪法だからって嫌っていた。
魔剣に飲まれそうになったあの時だって、僕がただ暴走してただけかもしれない。だってちゃんと今は飲まれずにいられる。
もうこれだけ長く付き合っているんだ。逆に、一緒に過ごしていく方法を考える方がいいに決まってる。離れられないんだから、せっかくなんだからいい付き合いをしたほうがいいに決まってる。
この魔剣とは長い付き合いになるんだ。
僕は強くなる前に、もっと自分の事と、魔剣の事を知る事から始めよう。多分、フェンリルと対峙するには魔剣が必要だ。魔剣を信頼して、また使えるように……。いや、一緒に戦えるようなろう。次にフェンリルと対峙しても負けないように。僕が信頼できる人たちが守れるように。
よぉし、そうと決まったら、これからそう頑張ろう。マイナスからのスタートかもしれないけど、改めてよろしくな。魔剣。もうちょい、僕を見捨てないでくれると助かる。
「ユウ?」
気づくと、シェスがまた立ち止まって脳内トリップしていた僕を待っててくれていた。
「今行く!」
「……」
「……そういえばさ。結局、回転とか回路とか、線だっけ。あれってなんだったの?」
「回転は神素の巡り。回路は神素の通る体の全体の道のこと。線は回路の道のこと」
「なるほど。なぁ、小学生ってそういうことのほかにどんなこと習うんだ?」
「常識なことだけど、えっと、ユウは何が知らないんだろう」
「えっと、何を知らないんだろう……」
明日から、頑張ろう。
使用人兼ボディガード生活 68日目
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
向井 夕 (むかい ゆう) 現状
武器 神魔剣?
聖剣 ベルジュ (青い剣
↓修理中
聖剣 フラン (赤い剣 損傷:中
防具 学生服
重要道具 なし
技術 アンデ流剣術継承者
魔素による身体強化
神素による身体強化
異世界の言葉(少し読み書きが出来る
中学2年生レベルの数学
暗算
神魔剣制御(効果低下中)(侵食:停止)
霊感
職業 スタンテッド家使用人兼スタンテッド嬢ボディーガード
お久しぶりです。っむささびです。なかなか更新できなくてすいません。
試験的に
◇
を導入してみました。話の切り替えに便利かと思いまして。
では。