不純の証明
きっと子供だったときは幸せだったのだと思う。一日の終わりに眠りは訪れ、朝が必ず訪れた。それは誰も手をつけていない眩しく清らかなものだった。
僕は子供だった。
眠たい目を擦りながら降りて行ったリビングには朝食が用意されていて、スーツに着替えた父親と忙しなく働く母親、自分より遅く起きる姉。ささやかな理想像があった。
子供のころが幸せだったのは自分に無自覚だったからだ。
自分が何者かを知らなかったから。
目的を楽しむだけでよかった。結果を畏れることは不純な成分だった。
それが大人になるということだった。