【滲み拡がり、そこに在る】前編
現代怪異モノの雰囲気。
雰囲気だけ。
おじさんと若者のバディ。
バディというか上司と部下か……
いつものワンシーンものですが前後編か前中後編かになりそうです。
常識、というものがあるでしょう? ええ、そう、その「常識」です。昨今だとね、その型枠に嵌め込むことが悪のように語られたりもしますけれど、我々からすればそれこそナンセンス、自殺行為ですよ。あれはそもそも、人間が生存していくために作り上げた____最高の防衛機構なのですから。
……
曇天の下に赤色灯が煌めいて、物々しく規制線を行き来する白装束の職員たちを照らしている。裾から滲み上がる錆色は血だか泥だかわかりやしないが、どちらにせよ穢れているから明日には焼却炉でお焚き上げだろう。毎回そうなるのだからもう少し安上がりな制服にならないのか、と経理がぼやいていたのを思い出す。
「あー班長いけないんだー、こんな時に一服なんてー」
「バカ言え、今吸わねえでいつ吸うんだよ」
きっちりスーツを着込んだ少年____のように見える青年は、よれよれスーツに髭も髪も伸びっぱなしの上長が呑気に煙草を燻らせる姿を見て口を尖らせた。草臥れた中年男と童顔極まる青年の組み合わせは親子のようだと課内外でもっぱらの名物だ。
「やっぱり自然豊かだとタバコもおいしいんです?」
「血生臭くて差し引きマイナスだな」
「あらぁ」
それは残念、と思ってもなさそうに呟いて、佐々城はバリケードテープの向こうに視線を放る。茂る草木のなかに鎮座する崩れかけの廃ドライブイン、ここからだと目視できない廃墟の中に遺体が三つか四つ。弾けて、人数確認もままならない状況だと祓除課の職員が話していた。南無三。
「山のケとかじゃないといいんですけどねー……」
「あの様子じゃ十中八九そういうのだろ」
「いやちょっとくらい希望持たせてくださいよぉ。今日朝霞さんもいないのにー……」
機動課三班は本来都会での業務が担当だ。雑居ビルだとかラブホテルだとか、人間の強い念が溜まる場所で受肉した呪いを千切っては投げ千切っては投げ。班長の真島、新人の佐々城、そしてこの場にいない朝霞が強いて言えばの自然霊対処要員。朝霞と佐々城の間に二、三人いた若手はみんな辞めてしまった。少数精鋭と言えば聞こえはいいが精鋭以外死ぬか辞めるかの極限職場。ブラックを超えたら何職場というのか、もはや職場どころか戦場ではないのか、もっと給料上げろ。呪詛災害対策本部一同。
「ほんとなんで今日に限って朝霞さん有給なの?」
「日頃の行いとかじゃねえのか」
「え、自覚あったんですか班長」
「そうね、お前よりかね」
すっかり短くなった吸い殻を小洒落たアッシュトレイに捩じ込んだ真島は、祓除課の顔馴染みが嫌に険しい顔で駆け寄ってくるのを迎えた。佐々城は「やだなー命日かなー」なんて言いながら刀を背負い直している。
「お疲れ様です、真島さん」
「はい、お疲れさん。首尾はどう?」
「……うちの仕事が終わるのを待つより、先に動いてもらった方がいいかもしれません」
「いやほんとなんで三班? 七班は? それか天下の的場班とかぁ」
「七班は一昨日から案山子の村。的場んとこは特区の祭儀場跡地だ」
「うへぁ」
比較にならない修羅場中だった。それはそうだ、七班も一班も、墓地直葬とまで言われるトンデモ班。本当にヤバい案件に駆り出される、本当にヤバい精鋭たちなのである。
「祓除課、それもお前んとこが手こずる割には気配が弱いと思ったが」
「範囲や濃度でいえばそう大したものではないのですが……なんというか、しつこくて」
ただそこに強く残り続けようとする。侵すことより拡がることより、ただ、そこに。
「縄張りの主張とかです?」
「いえ……執着、という意味でいえばむしろ薄いようにも思います」
「本来人の念と行き会わんような自然霊かもしれんな」
ため息混じりの真島の呟きに祓除課の男は神妙な顔で頷いた。佐々城はこれでもかと『げんなり』の表情を作り、真島に鞘で小突かれている。
「まあ、なんかわかったら追って連絡してくれ。行くぞ佐々城」
「へーい……」
「お気をつけて」
丁寧に一度頭を下げると、錆色に滲む裾をさばいて男は現場へ駆け戻って行った。見送りもそこそこに、真島は特に迷う様子もなくドライブインの脇から獣道に踏み入り、ガサガサと草をかき分けて進んでいく。ぶーたれながら佐々城も後に続いた。
「現場のご遺体、肝試しかなんかですかね」
「どうかね。まあ肝試しならマシだろうよ、これで新興カルトなんかだったら目も当てられん。命日リーチだ」
「いやほんと勘弁、この仕事してたら祈る神もないんですからぁ〜……」
多くは無神論者を名乗る日本人だが、誰しもどうにもならないときは神に祈る。だがこの仕事に就けば神やそれに準ずるものが__すべてではなくとも__とんでもない厄災の源であると骨身に沁みてわかる。なんならそれらに殺されかけるのだから祈る気も失せるというもの。
「というか班長、随分迷いなく進んでますけど……もしかして結構近いです?」
「距離は正直わからんが痕跡が濃いな。加藤の言った通りだ、しつこく残ってる」
「あ、あの人加藤さんっていうんだ」
凡そそう見えないが真島は眼がいい。よく視える。他の人間には視えないものまで。
「そういえば今回の、何で受肉したんだろ。山のケって動物の死骸とかで受肉しますっけ」
「いや、そりゃ稀だな。自然死した動物の死骸は念が薄くて受肉に向かん。山のケならなおさらだな」
「でも現場のご遺体は受肉後に殺されたっぽいんですよね?」
「そうだな……」
蛞蝓が這った跡のようにずるずると伸びていく痕跡。暫くするとそれは這いずる線から転々とした足跡のようなものに変わっていく。立ったなと真島は思った。
「カルト、かねぇ……」
「え、なんですか急に。リーチどころか確定しちゃったんですか命日!?」
「少なくとも肝試しの線は薄めじゃないかね。カルトか、都市伝説か」
似たような跡を、見たことがあった。それは這いずり、やがて膝をつき、そして立ち上がる。その過程にかかる時間はまちまちだがこれは随分早く育ったようだ。三、四人も食い散らかしただけはある。
「タイムアタックだなこりゃ。時間かけてちゃ俺らの手に負えん」
「時間かけるまでもなく割と手に負えない説ゥ……」
「まあ最悪朝霞が骨は拾ってくれんだろ」
「まだ骨になりたくないんですけど!!」
佐々城の叫びを聞き流し、真島は刀とベルトの具合を確かめ始めた。流された佐々城もなんだかんだ粛々と具合を確かめている。緩くてもきつくても走りづらい。
「……待てよ、なんならいっそ盛大にフラグを立てておくべきなのでは? 班長、自分この案件が終わったら結婚します」
「彼女いないのにか」
「ほっといてください!!」
「えぇ……」
若者わからん。中年班長は繊細な若者の心をこれ以上突き回さず走り出した。若者も後に続く。
じき獣道もただの森になり、迫り出す木の根や行手を遮る伸び放題の草花を時折真島が叩き斬るようにして進む。あくまで進行に支障を来す場合のみ。雑に森林破壊をすると他所の部署が黙っていないので。
急勾配を下って上がってまた下る。ひたすら痕跡を辿って二人は走った。恐らくは高く日が昇る頃であろうが、厚い雲のせいであたりは嫌な薄暗さを保っている。受肉現場から離れ、血の匂いが薄れて土と草木のそれに取って代わり、それから嫌に生臭い獣の臭いへ変わっていく。その頃には佐々城にも痕跡がわかるようになっていた。かれこれ数十分、相当なスピードで走り続けている。
「……七班って実はスポーツマン集団……っ?」
「ああ見えて鍛えてるらしいな、知らんけど」
「なんで班長も涼しい顔、なん、ですかっ」
「こう見えて鍛えてるらしいな、知らんけど」
佐々城の息が流石に多少は上がり始めた。真島は少し速度を落とす。若さ、ここに敗れたり。
ただ、息がしづらいのは走り疲れたせいだけではない。じとつく空気に押し潰されそうな奇妙な圧迫感が強くなりつつあった。不快な獣臭さも辺りにこびりつく痕跡もどんどん存在感を増している。
自分のかき分ける草木の音さえなぜか近づいたり遠ざかったりして、耳が変になったのか山が変になったのかわからない。そこかしこから視線を感じるのに誰もいない。耳鳴りがした。
「________佐々城」
「!」




