1話:小豆ジャージの変人
何が起こったのかはわからない。しかし何かが起きていることだけはわかる。そして何とかしなければならない。
それが彼の脳内で弾き出された、現在における唯一の最適解だった。視界に映っているのは、見覚えのない朽ちた石造りの壁。そして、困惑したような瞳でこちらを見つめてくる、異質な格好をした少女だ。
異質と言っても、地球出身の彼にとって、彼女が身に纏う小豆色の『ジャージ』自体はひどく馴染みのあるものである。
それでも脳がバグりそうになるほどの異質さを醸し出しているのは、透き通るようなミントグリーンの髪や、長く尖った耳とのアンバランスさが原因だろう。
空気の匂い、重力、石の冷たさ。夢ではない。拉致されたと考えるには、あまりに非現実的すぎる。
となれば、導き出される答えは一つ。
(――こりゃつまり『異世界転移』ってやつか)
今の彼には確認・整理しなければならない事項が山ほどある。だが、優先順位のトップに君臨するのは、やはり目の前の小豆ジャージの少女だ。
彼女がこの異常事態の引き金を引いた張本人である可能性は、極めて高い。
しかし。
彼は一つだけ、どうしても納得のいかないことがあった。というより、理不尽に対する怒りすら湧き上がってきていた。
(……なんで、お前がそんな『誰だお前?』みたいな顔してんだよ)
少女は、目を丸くして彼を見つめ、明らかに困惑していた。おかしいだろう。授業中に消しゴムを拾おうとしたら、いきなり知らない石造りの部屋に放り出されたのだ。
困惑するのは、パニックになるのは、絶対に、100パーセント、彼の方である。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が落ちる。
彼は慎重に息を吸い込んだ。相手は未知の存在だ。言葉が通じるかもわからない。ここは冷静に、かつ隙を見せないように、状況の主導権を握るべきだ。
頭の中では完璧なシミュレーションが完了していた。「ここはどこだ。君は何者だ」――そう、低く響く声で尋ねるはずだった。
しかし――
「――えっと。その、小豆色のジャージ、似合ってますね」
極度の緊張のあまり、あかりの口から飛び出したのは、自分でも引くほど気の利かない、間抜けな第一声だった。
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ここぞという時にビシッと決めてくれる人間は、誰からも頼りにされる主人公の器だ。だが、悲しいかな。見事にその正反対の性質を持つ男――それが彼、星継燈である。現在16歳の一般男子高生。彼女募集中、らしい。
「お前は募集じゃなくて応募する側だろ」と友人に正論をかまされた過去あり。
アカリは気の利いたセリフがすぐに出てこないタチで、特に極度の緊張下においては、もはや沈黙していた方がマシなレベルで口が滑る悪癖がある。
たった今、わかりやすい例を本人が見せてくれたわけだが。
こんな発言をしたあかつきには、大抵の場合、呆れ・怒りの感情をぶつけられることになる。だが、少女の反応は、彼の予想のどれとも違った。
「あ……あぁうん。ありがとう?」
少女は目をパチクリと瞬かせた後、頬をかいて、少し照れたように素で返してきた。頬を少し赤く染める姿は可愛らしいものだが、今のアカリにとっては謎極まる反応である。
(……待て、なんだこの空気)
アカリが内心で頭を抱えた、その時だった。エルフの少女は、アカリの顔をまじまじと見つめ――ふと、その整った顔に焦りの色を浮かべた。
(……というか、 違う。この子"ツムギ"じゃないじゃん……! 誰だ、この少年は……っ!)
何かをブツブツと呟き、あわあわと両手を振って狼狽え始める少女。あからさまに『人違いをしてしまった』という顔だ。
そして彼女は、コホンと一つ、わざとらしく咳払いをした。
「よ、ようこそこちら側の世界へ! 我は――」
「いや明らかタイミング変じゃねえ!?」
たまらず、アカリは叫んでいた。
「緊張して謎のジャージ褒めをしちゃった俺もアレだけど! 明らかにお前、いま『やっば、違う奴呼んじゃった』って顔してたよな!?」
図星をつかれたのか、少女は肩をビクッと揺らし、目を背けた。顔には「なんでコイツこんな鋭いんだよ」と書かれているのがよく見える。
少女は人懐っこい笑みを浮かべ、なんとかしようと試みた。
「ご、ごめんごめん! 私も少し動揺してしまっていてね!」
「なんでだよ。正直、色々起こりすぎて状況の整理にも一苦労だけど。連れてこられた俺よりも、呼んだはずの現地民の方が困惑してんのが一番の謎だな……」
深く、ひどく深くため息をつくアカリの様子に、少女は驚いたように「はえ〜」と息を漏らした。アカリの落ち着きように感心したことにより出てきたものだ。
「なんだか、あれだね。君は妙に落ち着き払っているというか。だってほら、その、急に変な場所に連れてこられたら、もっと取り乱すものだからさ」
「え? あぁ……いや、こうみえても内心焦り散らかしてるから。ただ人間って、焦りが一周回ることもあるからな。今の俺は一種の防衛本能が働いているのかもしれん」
実際、転移直後の彼は、叫び声を上げる寸前でとどまっていた。だが「焦燥」という感情を通り越したことにより、「冷静」を獲得できたのである。
そんなアカリという一人の少年を、エルフ族の少女は腰に手を当て、ジッと観察する。最初は困惑一色だった彼女は、次第に彼という存在に興味を持ち始めていた。
少年は、こちらから告白する前に『異世界転移』をしていると気づいた。さらに、転移の原因が少女であるということにも。
『予定外の人物を呼んでしまった』彼女にとって、彼の対応は嬉しい誤算だった。つまり、騒ぎ立てられて収集のつかない事態になると心配していたのである。しかし彼は全くの真逆。こっちから説明する必要もなく、彼の方で勝手に整理し、理解してくれた。
少女は、ふうっ、と安堵したように息をつき、改めてアカリへ向き合った。
「……なるほど。興味深いね。君はつまり、異世界適正というものが極めて高いらしい」
「い、異世界適正?」
「さてっ、気を取り直していつものいくよ」
「は? いつものってなにが――」
アカリが言い終わるのを待たず、少女は小豆ジャージのチャックを開き、バッと無駄に大きな挙動でジャージをなびかせた。
「――我の名はリューナ! 高貴なる民、エルフ族が一人にして、この世の理を解き明かす大賢者である!」
「急にファンタジー感あふれる自己紹介してきたぞ」
ジャージの胸元に貼られたガムテープをドヤ顔で張るエルフ――リューナに対し、アカリはジト目で的確なツッコミを入れた。
「高貴なる民ってのは、普通変な名札を貼ったジャージなんて着ないんだよっ」
「うっ……! 痛いところをつかれた気がするよ!」
顔を真っ赤にして胸元を隠すりゅーなに呆れつつ、アカリも小さく息を吐いた。とりあえず、話の通じる相手でよかった。
名乗られたからには、こちらも名乗るのが礼儀というものだろう。
「俺は星継。星継 燈だ。ただの一般男子高校生だよ」
アカリがその名を口にした瞬間、リューナの長い耳がピクリと揺れた。先ほどまでのポンコツな雰囲気はどこへやら。彼女はハッとしたように目を丸くし、アカリの顔を――正確には、その瞳の奥にある『何か』を探るように、じっと見つめてきた。
何かを探るような、それでいてひどく懐かしむような視線。
だが、リューナはすぐにハッとして、誤魔化すようにブンブンと首を横に振った。無関係の少年を巻き込んでしまったという罪悪感が、彼女の表情をわずかに曇らせる。
「……そ、そうか! アカリだな! よろしく頼むぞ少年!」
これがホシツグ・アカリと、エルフ族のリューナの、最初の出会いであった。




