番外編 町内会公式イベント編
その張り紙は、あまりにも普通だった。
町内会 春のふれあい祭り
・焼きそば
・輪投げ
・健康体操
※協力:町内会有志
ただ一行だけ、異変があった。
健康体操:指導・桐谷(会社員)/黒川(夜の見回り)
「……通ったんですか、これ」
ことみが、町内会掲示板を見上げて呟く。
「通した」
即答したのは、佐々木町内会長。
にこやかな笑顔。
だがTシャツの下の胸板が、何かを隠していない。
むしろ、主張している。
「元ボディビルダー、なめないでくれ」
(この人が最後の砦)
ことみは、ため息をついた。
「夜の見回り、って……」
「嘘ではない」
「でも実態は……」
「夜道で筋肉を見回っている」
(言い方)
---
当日。
公園は平和だった。
子どもが走り、
犬が吠え、
焼きそばの匂いが漂い、
プロテインを飲む猫が……
「……なんかデカくない?」
ことみが、二度見した。
三毛猫。
だが、前脚がムキムキ。
しかも、シェイカーを器用に振っている。
「気のせいです」
ジムに住み着いている妖精みたいな、ジムトレーナー・春日井が、
すべてを知っている顔で言った。
二十代後半。
小柄で華奢。
だが、目が全てを見抜いている。
「タンパク質は、裏切らないだけ」
(妖精こわい)
「あの猫、何者ですか」
「ジムの看板猫です。トレーニング見すぎて、筋肉つきました」
「猫が!?」
「プロテインも飲みます」
「猫が!?」
「ベンチプレスもします」
「嘘でしょ!?」
「嘘です」
(どこまでが本当なの)
春日井は、にこやかに笑った。
「でも、プロテインは本当です」
そう言って、猫の頭を撫でた。
猫は、満足げにダブルバイセップスのポーズを取った。
(取ってる……)
---
ステージ上。
桐谷課長と黒川は、ちゃんと服を着ていた。
佐々木会長の圧で。
ジャージ姿。
だが、ジャージの上からでも分かる。
筋肉の盛り上がり。
「では、健康体操を始めます」
桐谷課長がマイクを持つ。
「今日は"脱がない筋肉"です」
拍手。
安心。
特に、女性陣からの安堵のため息。
「よかった……」
「まともだ……」
「普通のイベントだ……」
しかし。
「まずは、肩甲骨の可動域確認から」
桐谷課長が、腕を上げた。
肩甲骨が、背中で動く。
ジャージの上からでも、その動きが見える。
動いた瞬間。
「はい注目! 僧帽筋下部、ちゃんと使えてます! 肩甲骨の下制動作、スムーズ! 菱形筋との連動も確認!」
ことみの実況が、
反射で飛び出した。
「誰!?」
観客席から、驚きの声。
「安心して、実況者です」
春日井が、にこやかに手を振った。
「この人がいると、筋肉の質が上がります」
(フォローになってない)
女性陣の反応は三つに分かれた。
「怖い」
→ 小学生の母親たち。
「無理、笑う」
→ 高校生グループ。
「……なんか安心する」
→ 中年女性たち。
一人だけ、腕を組んで、鼻で笑った女性がいた。
莉子。
二十代後半。
スーツ姿。
髪は短く、目は鋭い。
「筋肉なんて、結局自己満でしょ」
ことみは、即答しなかった。
代わりに、黒川が穏やかに言った。
「腰、痛いですか」
「……え?」
「立ち方を見ると、重心が右に逃げてます」
莉子、言葉に詰まる。
「左の腰、痛めてませんか?」
「……なんで分かるの」
「姿勢です。無意識に、痛い方を庇ってる」
黒川は、ステージから降りて、莉子の近くに来た。
「無理しなくていいです。今日は、立ってるだけで十分ですから」
「……」
「でも、もし良かったら、ちょっとだけ、試してみませんか」
「何を」
「腰痛改善の簡単なストレッチです」
莉子は、迷ったが
結局、頷いた。
黒川が、丁寧に指導する。
「膝を軽く曲げて、骨盤を後ろに傾けます」
「こう?」
「そうです。腰椎の前弯を減らして、負担を軽くします」
数分後。
莉子は、驚いた顔をしていた。
「……痛くない」
「そうでしょう?」
「なにこれ……」
「腰痛の多くは、姿勢の問題です。筋肉のバランスを整えれば、改善することが多いんです」
莉子は、少し照れくさそうに言った。
「……ありがとう」
「いえ」
黒川は、にこやかに笑った。
その笑顔は、夜の変態マッチョとは思えないほど、優しかった。
---
健康体操は、大成功だった。
参加者全員が、体を動かし、
笑い、
そして――楽しんだ。
ことみの実況も、途中から観客に受け入れられた。
「僧帽筋!」
「広背筋!」
「大胸筋!」
子どもたちが、真似して叫ぶ。
母親たちも、笑っている。
佐々木町内会長が、満足そうにうなずいた。
「筋肉はな、見せびらかすものじゃない」
焼きそばを頬張りながら。
「守るためにある」
「守る……?」
ことみが聞くと、会長は頷いた。
「健康を守る。姿勢を守る。笑顔を守る」
「……そうですね」
「だから、筋肉は正義だ」
(言い切った)
ことみは、否定しなかった。
今日、見たものが全てだった。
腰痛が治った莉子。
笑顔で体操する子どもたち。
安心して参加する母親たち。
筋肉は、人を助けていた。
---
夕方。
片付けの時間。
街灯が、一本、灯る。
桐谷課長が、ふと足を止めた。
「……ここ、最初の場所だな」
ことみは、笑った。
「はい。通報されかけた、伝説の」
「止めたの、俺」
佐々木会長が、親指を立てる。
ムキムキ猫も、真似をした。
(猫まで)
「結局さ」
莉子が、ぽつりと言った。
「筋肉って……嫌いだけど」
一瞬、間を置いて。
「助けられるのは、悪くない」
ことみは、微笑んだ。
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
「でも、やっぱり変態だとは思う」
「それは否定しません」
莉子も、笑った。
黒川が、穏やかに言った。
「また腰が痛くなったら、いつでも相談してください」
「……うん」
「夜の街灯の下にいるので」
「やっぱり変態じゃん」
全員で、笑った。
---
その夜。
街灯の下に、
三人はいなかった。
イベントで疲れたから、と言って。
でも。
町は、ちゃんと守られていた。
筋肉で。
佐々木会長が、夜の見回りをしている。
ムキムキ猫も、一緒に。
春日井トレーナーも、なぜかいる。
「会長、今日は良いイベントでしたね」
「ああ。筋肉の力を見せられた」
「莉子さんも、少し心を開いてくれましたね」
「筋肉は、心も開く」
(会長の名言集、増えてる)
猫が、にゃあと鳴いた。
ダブルバイセップス。
「お前もな」
会長が、猫の頭を撫でた。
街灯の光が、三人(一人と一匹)を照らす。
平和な夜。
筋肉な夜。
優しい夜。
町は、今日も守られている。
筋肉によって。
明日も、きっと守られる。
ことみは、家の窓から外を見ながら、
そう思った。
筋肉は、万能じゃない。
無駄じゃない。
それだけは、確かだった。
ことみは、そっと窓を閉めた。
明日も、きっと筋肉がある。
明日も、きっと実況する。
明日も、きっと笑える。
筋トモと一緒に。
おやすみ、筋肉。
おやすみ、町。
おやすみ、街灯。
また明日。
次回:
「筋肉が会社に侵入する」では、この平和が職場にまで広がります。果たして、会社は筋肉に耐えられるのか!?
9話「筋肉が会社に侵入する」に続く
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