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7話 マッチョ、実は昼は普通のおじさん




 

 その日の昼。

 ことみは、駅前のスーパーで立ち尽くしていた。


(……いる)


 精肉コーナーの前。

 エプロン姿で、鶏むね肉を真剣な顔で選んでいる男。


 黒川誠。

 夜の黒コート変態マッチョが、

 今は、普通のエプロンおじさんだった。


(夜は黒コート、昼は特売)


 手には、エコバッグ。

 しかも、「お父さんありがとう」と刺繍されている。


(……ギャップ……)


 声をかけるか迷っていると、向こうが先に気づいた。


「あ……」


 一瞬、気まずそうな間。

 黒川の手に持っていた鶏むね肉が、ぷるんと揺れた。


「……こんにちは」

「こんにちは……」


 沈黙。

 周囲には、主婦たち。

 カートを押す老人。

 買い物カゴを持った学生。

 誰も、この男が夜になるとビキニパンツ一丁で筋肉を披露する変態だとは思っていない。


 黒川は、慌てて言った。


「ここ、安いんですよ。100グラム58円の日があって」

(情報が主婦)

「あ、そうなんですか」

「はい。火曜日と金曜日が特売です」

(完全に主婦)

「それ、冷凍向きですか?」


 気づけば、ことみは普通に返していた。


「はい。下味つけてから冷凍すると、繊維も壊れて柔らかくなります」

(専門家だ)

「下味は、何がおすすめですか?」

「塩麹ですね。タンパク質分解酵素が働いて、肉が柔らかくなります。それに、味も染み込みやすい」

(料理研究家か)


 黒川は、さらに続けた。


「鶏むね肉は、低脂肪高タンパクで、減量期には最適です。100グラムあたり、タンパク質が約23グラム、脂質が約1.5グラム」

(やっぱり筋肉目線)

「私、毎日300グラム食べてます」

「毎日!?」

「はい。タンパク質は、体重1キロあたり2グラムが理想なので」


 ことみは、黒川の体格を見た。

 体重、推定75キロ。

 つまり、一日150グラムのタンパク質が必要。

 鶏むね肉300グラムで、約69グラム。

 残りは、プロテインと卵で補っているのだろう。


(計算が完璧すぎる)


 そこへ


「黒川さん?」


 声をかけてきたのは、

 ベビーカーを押した若い母親。


「あ、田中さん。こんにちは」

「いつも、重い荷物ありがとうございます」

「いえ。タイミングが合っただけです」

(……え?)


 母親は、にこやかに笑った。


「この前も、米袋持ってくれて助かりました」

「いえ、あれくらい」

「10キロですよ?」

「俺、普段30キロのダンベル持ってるんで」

(そこで筋肉アピール)


 母親は、笑って去っていった。


 さらに。


「黒川くーん!」


 総菜コーナーから、店員のおばさんが手を振る。


「この前教えてくれたスクワット、腰痛に効いたよ!」

「本当ですか! よかったです」

「膝、痛くならないし」

「膝は前に出さないように、って言ったでしょう?」

「言った言った! 守ったよ!」

(地域密着型マッチョ)


 ことみの脳が、追いつかない。


(夜:変態)

(昼:町の健康アドバイザー)


 黒川は、ことみの視線に気づき、少し照れた。


「……あの、夜のことは、内緒で」

「無理です」

「ですよね」


 二人でレジへ向かう。

 レジ待ちの列で、

 ことみはふと聞いた。


「なんで……夜なんですか」


 黒川は、少し考えてから答えた。


「昼は、皆ちゃんとしてるでしょう」

「ええ」

「だから、夜くらい本気の努力を、誰にも邪魔されずに確認したい」

(真面目すぎる理由)

「じゃあ、脱ぐのは?」

「可動域確認です」

(嘘つけ)

「あと、筋肉の張りを確認したいんです。服の上からじゃ分からないので」

「……そうですか」

「それに、夜は人が少ないから、迷惑かけないかなって」

(優しい)

「でも、最近観客増えてますよ」

「そうなんですよね……」


 黒川は、困ったように笑った。


「会長が来てから、一気に増えました」

「あ、佐々木会長」

「ええ。あの方、昔は有名なビルダーだったらしくて」

「そうなんですか」

「地方大会で、三年連続優勝したって」

(すごい)


 レジが進む。

 黒川のカゴには、鶏むね肉が10パック。

 卵が3パック。

 ブロッコリーが5株。

 さつまいもが2キロ。


(完全にボディビルダーの食材)


「すごい量ですね」

「大会前なんで、食事管理が厳しくて」

「家族は、何も言わないんですか?」

「妻は理解してくれてます。子供たちも応援してくれて」


 黒川は、嬉しそうに笑った。


「娘が、『パパ、筋肉すごいね』って言ってくれるんです」

(健全)

「息子は、『パパみたいになりたい』って、一緒にトレーニングしてます」

(微笑ましい)


 会計を終え、出口へ。

 黒川のエコバッグが、パンパンに膨らんでいる。


「では」

「はい」


 一度、離れかけて。


「……あの」


 ことみは、思わず言った。


「昼の黒川さんも、ちゃんと――いい身体してます」

 一瞬。

 黒川の耳が、真っ赤になった。


「……ありがとうございます」


 深く、丁寧なお辞儀。

 背中が、昼の光に照らされる。

 エプロンの上からでも、分かる。

 広背筋の張り。

 僧帽筋の盛り上がり。


(ギャップ、凶器)


 ことみは、ため息をついた。

 夜の街灯の下で見る筋肉も。

 昼のスーパーで見る誠実さも。

 どちらも、

 確かに、同じ人間だった。


(……世の中、奥深い)



 ---



 その日の午後。

 ことみは、会社の近くのカフェで休憩していた。

 窓の外を見ると

 また、黒川がいた。


 今度は、公園のベンチ。

 隣には、小学生くらいの女の子と、中学生くらいの男の子。

 娘と息子だろう。

 黒川は、二人に何かを話している。

 娘が笑っている。

 息子が、父親の腕を触っている。


 黒川が、軽くポーズを取った。

 ダブルバイセップス。

 娘が、拍手した。

 息子が、同じポーズを真似した。


(……微笑ましい……)


 ことみは、思わず笑った。

 夜の変態マッチョが、

 昼は、普通の優しい父親。

 そのギャップが、なぜか癒しだった。



 ---



 その夜。

 街灯の下。

 ことみは、桐谷課長と一緒に待っていた。

 黒川は、来なかった。


「……今日は、来ないんですね」


 桐谷課長が言った。

 ことみは、少しだけ笑った。


「昼に、会いましたから」

「そうか」


 桐谷課長も、笑った。


「黒川さん、昼は普通のおじさんだろう」

「はい。すごく普通です」

「でも、夜は変態」

「はい。すごく変態です」


 二人で笑った。


 桐谷課長が、ぽつりと言った。


「俺も、昼は普通の会社員だ」

「……はい」

「でも、夜は筋肉を見せたくなる」

「……はい」

「これ、変態ですか?」

「……はい」


 桐谷課長は、苦笑した。


「正直でいいな、君は」


 課長が、上着を脱ぎ始めた。


「ちょっと待ってください! 黒川さんいないのに!」

「いや、せっかく来たんだから」

「理由になってません!」


 だが、止まらない。

 Yシャツを脱ぎ、

 上半身裸。


「誰もいないぞ、今日は」

「だからって!」


 桐谷課長が、ポーズを取った瞬間。

 ことみの口が、開いた。


「大胸筋、今日もパンプしてるー!!」

「肩、三角筋が丸いー!!」

「腹筋、八つに割れてるー!!」

(止まらない)


 桐谷課長は、満足げに笑った。


「やはり、君の実況は最高だ」

「……もう、知りません」


 ことみは、笑っていた。

 夜の街灯の下。

 変態マッチョ一人。

 実況役一人。

 観客ゼロ。


 それでいい気がした。

 静かで、

 平和で、楽しい。

 桐谷課長が、Yシャツを着直しながら言った。


「黒川さん、明日は来るかな」

「どうでしょう」

「来てほしいな」

「……私も」


 ことみは、小さく頷いた。


 空を見上げた。

 星が、いつもより明るく見えた。

 街灯は、

 静かに光っていた。


 明日も、きっと光る。

 黒川が来ても、

 来なくても。

 筋肉は、そこにある。

 ことみは、そう思いながら、

 帰路についた。

 心が、少しだけ温かかった。

 昼の黒川を見て、

 夜の桐谷課長を見て、

 筋肉を叫んで。

 それが、なぜか癒しになっていた。



 ---



 翌日。

 また、スーパーで黒川を見かけた。

 今日は、豆腐を大量に買っていた。


「黒川さん、豆腐ですか」

「はい。高タンパク低カロリーで、減量期には最適です」

(やっぱり筋肉目線)

「今日、夜来ますか?」

「ええ。最終調整、頑張ります」


 黒川は、にこやかに笑った。


 小声で言った。


「実況、お願いします」

「……はい」


 ことみも、笑った。

 昼の黒川も、

 夜の黒川も、

 どちらも本物だった。


 どちらも、優しかった。

 ことみは、そう思いながら、

 レジに向かった。


 世の中、

 思ったより優しい。

 変態でも、

 筋肉でも、

 人は人だった。


 その夜。

 街灯の下で。

 黒川は、来た。

 コートを脱ぎ、

 ポーズを取り、

 ことみの実況を聞いた。


 満足げに笑った。


「ありがとうございます」


 その笑顔は、

 昼のスーパーで見た笑顔と、

 同じだった。

 ことみは、そう思いながら、

 実況を続けた。

 筋肉は、嘘をつかない。

 人も、嘘をつかない。


 夜は、優しい。





次回予告:

「ついに絆が完成!? 変態と変態、そして実況役。三人の関係が、"筋トモ"へと昇華する感動(?)8話!」

 8話「筋トモ爆誕」に続く


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