31話 変態でいい
その夜、ことみは一人で街灯の下に立っていた。
珍しい。
黒川誠は、まだ来ていない。
桐谷課長も、いない。
ただ、街灯の光だけが、地面を照らしている。
(……待ってるとかじゃない)
(ただ、帰り道なだけ)
自分に言い訳しながら、空を見上げる。
星は相変わらず、やけにくっきりしている。
冬の空は、澄んでいる。
「……はぁ」
ため息。
白い息が、夜空に消えていく。
最近、自分がおかしい。
筋肉を見て叫ぶのは、昔からだ。
条件反射。
パブロフの筋肉。
でも、今は違う。
(胸筋が動くと安心するって、なに)
(背中見ると落ち着くって、どういう情緒)
(夜道で待ってる自分がいるって、どういうこと)
その時。
「お待たせしました」
背後から、低く穏やかな声。
振り向くと
黒川誠。
コート姿。
いつもの笑顔。
「待ってません!」
即答。
反射的に。
「今、三秒考えてから否定しましたね」
「気のせい!!」
「深呼吸もしてました」
「してない!!」
黒川は、コートを着たまま立った。
今日は、まだ脱がない。
それが逆に、落ち着かない。
(なんで脱がないんだろう)
(いつもなら、もう脱いでるのに)
「……杉野さん」
「はい」
「今日は、少し様子が違いますね」
「変態に言われたくない!!」
「変態ですが、観察力はあります」
「自慢にならない!!」
沈黙。
夜風が吹く。
街灯が、揺れる。
ことみは、ぎゅっと拳を握った。
(……言おう)
(今日、言おうって決めてきた)
「……黒川さん」
「はい」
「私、決めました」
黒川の眉が、わずかに動いた。
「なにをですか」
「筋肉を」
「はい」
「認めます」
「……ありがとうございます」
「変態も」
「そこもですか」
「認めます」
黒川は、少し驚いた顔をした。
いつもの穏やかな顔じゃない。
本当に、驚いている。
「それは……覚悟が要ります」
「要りました!!」
声が裏返った。
ことみは、続けた。
「最初は怖かったんです」
「当然です」
「夜道で脱ぐし」
「はい」
「叫びたくなるし」
「それは杉野さんの体質です」
「でも」
ことみは、言葉を探した。
胸の中にある、ぐちゃぐちゃの気持ちを、
どうやって言葉にすればいいのか。
「知ってしまったら」
「知ったら?」
「ちゃんとした人だって」
「……」
「逃げるけど戻るし」
「……」
「守れる範囲を守るし」
「……」
「家族大好きだし」
「……はい」
ことみは、深呼吸した。
ぐっと顔を上げた。
「だから」
黒川を、まっすぐ見た。
「変態でいいって、思いました」
黒川は
ゆっくりと、息を吐いた。
そして、笑った。
いつもの穏やかな笑顔じゃない。
少しだけ、涙ぐんでいるような笑顔。
「それは……救われます」
「救われるな!!」
「変態は、理解されると強くなります」
「進化するな!! ポケモンか!!」
「杉野さんの言葉で、私は完全体になれます」
「完全体って何!? セルか!?」
ことみは、吹き出した。
涙が出るくらい、笑った。
胸が、じんわりと温かくなった。
(言えた)
(ちゃんと、言えた)
その時。
別方向から、足音が聞こえた。
「やはりここだったか」
低音。
桐谷課長だった。
スーツ姿。
だが、肩幅がおかしい。
今日も、スーツが戦っている。
「課長!?」
「杉野さん」
静かな声。
「聞こえていた」
「どこから!?」
「変態でいい、あたりから」
「一番大事なとこ!!」
ことみは、顔が真っ赤になった。
桐谷課長が、黒川を見た。
「黒川」
「はい」
「お前は変態だ」
「はい」
「だが」
桐谷課長が、続けた。
「筋肉に嘘がない」
「ありがとうございます」
「俺もだ」
桐谷課長が、ネクタイを緩めた。
Yシャツのボタンが、今にも外れそうだ。
「変態でいい」
「脱ぐな!!」
「脱がない」
「成長!!」
「ただし、上着は脱ぐ」
「半分脱ぐな!!」
桐谷課長が、ジャケットを脱いだ。
Yシャツ姿。
袖をまくった。
前腕が露出した。
血管が浮き出ている。
ことみの口が、反射で開いた。
「前腕屈筋群、今日も完璧ーー!!」
「出た、条件反射」
「止まらないんです!!」
ことみは、二人を見た。
筋肉。
変態。
優しくて。
真面目で。
不器用で。
逃げて、でも戻ってくる人たち。
(……私)
胸の奥が、きゅっと鳴った。
(私も、逃げてたのかな)
(筋肉に)
(でも、戻ってこれた)
(この人たちがいたから)
「……私も」
二人が、ことみを見た。
「筋肉、好きです」
空気が、止まった。
街灯の光だけが、揺れている。
「正確に言うと」
ことみは、慌てて続けた。
「筋肉そのものじゃなくて」
「動き?」
黒川が聞いた。
「生き様?」
桐谷課長が聞いた。
「汗?」
黒川が聞いた。
「全部です!!」
叫んだ。
顔が、熱い。
耳まで、真っ赤だ。
「筋肉の動きも! 生き様も! 汗も! 全部!!」
「それって」
桐谷課長が、静かに言った。
「恋か」
「違います!!」
即否定。
「でも」
ことみは、小さく笑った。
「好き、なんだと思います」
静か。
とても静か。
街灯の光が、三人を照らしている。
黒川は、ゆっくりとコートに手をかけた。
「では」
「待って!!」
「これは」
「なに?」
「覚悟のポージングです」
「そんなのあるの!?」
バサッ。
コートが落ちた。
街灯の下に、黒川の上半身が現れた。
ビキニパンツ一丁。
仕上がっている。
今日も、完璧に仕上がっている。
フロント・ダブルバイセップス。
上腕二頭筋が、峰のように盛り上がった。
「覚悟のフロント・ダブルバイセップス!!」
黒川が、叫んだ。
いつもは静かなのに。
今日は、叫んだ。
「認めた覚悟が上腕二頭筋に乗ってるーー!! 長頭と短頭の分離が明確!! これは感情の筋肉!! 理解された喜びが、ピークを高くしてる!!」
ことみの声が、自然に出た。
条件反射じゃない。
心から、出た。
桐谷課長が、腕を組んだ。
小さく笑った。
「……いい仕上がりだ」
「課長まで!!」
夜道に、笑いが広がった。
三人で、笑った。
変態でいい。
筋肉でいい。
逃げてもいい。
戻れるなら。
ことみは、知ってしまった。
自分の気持ちも。
怖いけど。
ちょっと楽しくて。
なんだか、悪くない。
黒川が、ポーズを解いた。
そして、コートを拾って羽織った。
「杉野さん」
「はい」
「ありがとうございます」
「……はい」
「これからも、実況をお願いします」
「……はい」
ことみは、頷いた。
桐谷課長も、頷いた。
「杉野、お前は筋トモだ」
「……はい」
「これからも、よろしく」
「はい」
三人は、まだ完成していない。
まだ、途中だ。
確かに、繋がっていた。
筋肉で。
変態で。
そして、笑いで。
ことみは、帰り道で思った。
(私、変態を認めた)
(筋肉を認めた)
(自分の気持ちも、少しだけ認めた)
次回予告:
「三人の絆が完成――ことみ、黒川、桐谷。筋トモとして、ついに完全体に!? そして、大会の日が近づいてくる……!」
32話「三人の絆が完成」に続く
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