30話 ことみ、すべてを知る
それは、偶然だった。
ことみが残業帰りにコンビニへ寄ったとき。
自動ドアが開いて、中に入ろうとした瞬間
「パパ、今日は脱いだの?」
背後から、無垢な声。
子供の、純粋すぎる質問。
振り向くと
黒川誠。
ポロシャツ姿。
そして、その隣に小学生くらいの男の子と女の子。
さらに、その後ろで優しく笑う女性。
(奥さん……!)
既婚、二児の父。
設定じゃなかった。
リアルだ。
本物の家族が、そこにいた。
「今日は脱いでいません」
黒川が、穏やかに答えた。
「えらい!」
娘が、拍手した。
「えらい基準そこ!?」
ことみは、思わず心の中でツッコんだ。
急いでレジ横のガムコーナーの陰に隠れた。
(見られたくない)
(なんか、見ちゃいけない気がする)
(家族の時間を)
聞く気はなかった。
でも、聞こえてしまう。
「パパ、今度の大会いつ?」
息子が、黒川を見上げて聞いた。
「来月だ」
「優勝したらアイスね!」
娘が、にこにこしながら言った。
「約束だ」
黒川は、柔らかく笑った。
あの夜道の真顔変態とは別人。
いや、同一人物なのだが。
(ちゃんと、父親してる……)
(優しい声で、話してる……)
(夜道で脱ぐ人と、同じ人とは思えない……)
その時、黒川さんが
ふと、こちらを見た。
「杉野さん?」
「っ!!」
バレた。
完全にバレた。
ガムの陰に隠れてるのに。
「いつも主人がお世話になっております」
奥さんが、深々と頭を下げた。
三十代後半くらい。
穏やかな顔。
優しそうな目。
「い、いえ! こちらこそ! 夜道で! あの! 実況とか! してて!」
「夜道?」
子供たちの目が、キラキラと光った。
「パパ、夜道でなにしてるの?」
「ストレッチだ」
「嘘つけ!!」
反射で叫んでしまった。
コンビニの中に、声が響いた。
沈黙。
レジの店員が、こちらを見ている。
他の客も、こちらを見ている。
黒川は、静かに言った。
「……ポージングです」
「正直!!」
ことみは、頭を抱えた。
(子供の前で言っちゃった!!)
(しかも正直に!!)
奥さんは、ため息をつきながらも、どこか優しい目で言った。
「この人、昔からなんです」
「昔からなんだ……」
「落ち込むと、すぐ筋トレに逃げるんです」
「逃げるって言われてますよ!!」
黒川が、少し耳を赤くした。
「でも」
奥さんは、笑った。
「筋トレして戻ってくると、ちゃんと向き合うんです」
黒川は、少しだけ照れた。
「筋肉で整理するのです」
「脳のデフラグみたいに言うな!!」
「気持ちを整えて、戻ってくる」
「だから私は止めません」
奥さんは、続けた。
「脱ぐ場所だけは、考えてもらってますけど」
「そこは大事!! めちゃくちゃ大事!!」
子供たちが、ことみに近づいてきた。
人懐っこい笑顔。
「お姉さん、パパの筋肉どう思う?」
「えっ」
即答を求められた。
考える間もなく、口が開いた。
「仕上がってます」
「やっぱり!」
「認定された!」
子供たちが、喜んでいる。
(なんで喜ぶの)
(父親の筋肉が仕上がってることを喜ぶ子供って)
黒川が、咳払いした。
「杉野さんは、実況のプロです」
「職業みたいに言わないで!!」
「筋肉を見ると、条件反射で実況します」
「それ褒めてないから!!」
その時。
娘が、無邪気に言った。
「パパ、脱いで!」
「ここで!?」
「仕上がってるんでしょ!」
「仕上がってるけど!!」
黒川が、迷いなくコートに手をかけた。
(コート着てたの!?)
(いつの間に!?)
「待て待て待て待て!!」
ことみと奥さんが、同時に止めた。
「ここコンビニ!!」
「自動ドアある!!」
「防犯カメラ!!」
「通報される!!」
黒川、動きを止めた。
手が、コートのボタンにかかったまま。
「……家に帰ってからにします」
「当たり前!!」
奥さんが、ため息をついた。
「すみません、杉野さん。いつもこんな感じなんです」
「いえ……大丈夫です……」
「子供たちも、パパの筋肉が好きで」
「……そうなんですね」
「大会も、毎回応援に行ってます」
「素敵な家族ですね……」
ことみは、本心から言った。
変態だけど。
家族に愛されている。
家族を愛している。
それが、伝わってきた。
「では、失礼します」
奥さんが、頭を下げた。
子供たちも、手を振った。
「お姉さん、またね!」
「大会も来てね!」
「え、行く前提!?」
「パパの実況してね!」
「それはたぶんする!!」
家族は、笑って帰っていった。
自動ドアが閉まる。
静かになった。
コンビニ前。
ことみは、立ち尽くした。
(全部、知った)
変態で。
真面目で。
逃げるけど戻ってくる人。
家族がいて。
支えられていて。
支えていて。
(この人は、ただの変態じゃない)
(ちゃんと、人間だ)
(ちゃんと、父親だ)
(ちゃんと、夫だ)
(ちゃんと、優しい)
ことみは、コンビニの中に入った。
お茶を買って、レジに並んだ。
頭の中で、今日見たものを整理する。
(黒川さんの家族)
(笑顔の子供たち)
(優しい奥さん)
(そして、柔らかく笑う黒川さん)
(全部、本物だった)
レジを済ませて、外に出た。
夜風が、冷たい。
街灯が、ことみを照らす。
黒川が、いた。
コンビニの前。
家族と別れて、また戻ってきたらしい。
「……黒川さん」
「はい」
「あなた、ちゃんと人間ですね」
「筋肉も人間の一部です」
「そこじゃない!!」
ことみは、吹き出した。
黒川は、少し真面目な顔で言った。
「杉野さん」
「はい」
「私は、変態です」
「知ってる」
「ですが、誇りはあります」
まっすぐな目。
嘘がない。
誤魔化しがない。
「家族も、仕事も、大会も」
「……」
「全部本気です」
「だから夜道も?」
「それは趣味です」
「趣味なんだ!!」
ことみは、笑った。
涙が出るくらい、笑った。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
(ああ)
(私、この人の全部を知った)
変態だけじゃない。
父親の顔も。
夫の顔も。
弱さも。
逃げも。
戻る強さも。
(全部、知った)
「……黒川さん」
「はい」
「大会、優勝してください」
黒川の目が、少しだけ見開いた。
「命令ですか」
「実況しますから」
黒川の目が、少しだけ潤んだ。
いや、潤んだような気がした。
街灯の光のせいかもしれない。
「それは……最強の補助です」
「ベンチプレス扱い!!」
「杉野さんの実況があれば、優勝できます」
「そこまで言われると、プレッシャーなんですけど!!」
二人で、笑った。
夜風が吹いた。
街灯が揺れた。
その夜。
いつもの街灯の下。
黒川は、いつもより丁寧に脱いだ。
コートをゆっくりと脱いで、
きちんと畳んで、
地面に置いた。
ダブルバイセップス。
「大会仕様ダブルバイセップス!! 家族背負ってるぅぅぅ!! 子供たちの期待も背負ってる!! 奥さんの理解も背負ってる!! これは優勝する筋肉!!」
声が、夜に響いた。
ことみの実況が、街灯の下に広がった。
黒川が、ポーズを解いた。
深く、お辞儀をした。
「ありがとうございます」
「……はい」
「杉野さんの実況が、私の力です」
「……」
「これからも、よろしくお願いします」
「……はい」
ことみは、頷いた。
胸が、温かかった。
筋肉は万能じゃない。
でも、無駄じゃない。
ことみは、もう知っている。
この変態は、
ちゃんと優しい。
ちゃんと強い。
家族を愛していて、
家族に愛されていて、
筋肉を愛していて、
筋肉に救われている。
それが、黒川誠という人間。
ことみは、帰り道で思った。
(私、この人のこと――)
(好きなのかな)
すぐに首を振った。
(違う違う)
(尊敬してるだけ)
(変態だけど、ちゃんとしてるから)
(それだけ)
(……たぶん)
次回予告:
「"変態でいい"――ことみが、ついに覚悟を決める。筋肉を認める。変態を認める。そして、自分の気持ちも……?」
31話「変態でいい」に続く
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