26話 「なぜ夜に脱ぐのか」科学的に考察してみた
夜。
いつもの街灯の下。
黒川誠はコートの前をきっちり閉じたまま、真顔で言った。
「今日は科学です」
「また新ジャンル来た! 語る日の次は科学の日!?」
「なぜ私は夜に脱ぐのか。感情論ではない。理論です」
「脱ぐのに理論いる?」
「あります」
断言。
黒川は、どこから出したのか分からないホワイトボード(折りたたみ式)を広げた。
(持ち歩いてたの!?)
(いつから!?)
(さっきまで見えなかったのに!?)
「①視覚効果」
黒川が、ホワイトボードに図を描き始めた。
カキカキ。
街灯の絵。
筋肉の絵。
光線の軌跡。
(めちゃくちゃ準備してる!!)
「夜はコントラストが強い。街灯の一点光源により、筋肉の陰影が最大化される」
「陰影、大事なんですか」
「致命的に大事です」
その瞬間、コートをバサッ。
「実演します」
「はやい!! 説明が終わった瞬間に脱いだ!!」
街灯の下、黄金の筋肉が浮かび上がる。
確かに
陰影がエグい。
光が上から当たり、
大胸筋の下部に影ができ、
腹筋の溝に影が落ちて、
大腿四頭筋の筋繊維一本一本に明暗がついている。
「うわ、広背筋が3D!! 立体感が昼の三倍!!」
「昼間はこうはいきません。太陽光は拡散光。筋肉がのっぺりします」
「のっぺり筋肉は嫌なの?」
「致命的です」
真顔。
本気の真顔。
「筋肉は陰影が命。光と影の配置が、筋繊維の走行を際立たせる」
「芸術論になってる!!」
「美学です」
「変態の美学が深い!!」
黒川が、コートを再び羽織った。
そして、ホワイトボードに次の図を描いた。
「②安全性」
街灯の絵。
人通りの少ない道。
時計の絵(時刻:21:30)。
「昼間に脱げば即通報。夜は人通りが少なく、三分以内なら社会的ダメージは最小」
「ダメージある前提!!」
「町内会長とも協定を結んでいます」
「何その自治体公認変態!!」
「脱衣時間は三分以内、場所は街灯の下、観客の安全確保」
「ルールが細かすぎる!!」
「これが社会との共存です」
(共存って……)
ことみは、頭を抱えた。
だが、確かに誰も通報していない。
町内会長が守っている。
住民も見慣れている。
(社会との共存、成立してる……)
「③家族の理解」
ホワイトボードに、家の絵。
娘の絵。
息子の絵。
妻の絵。
全員、笑顔で描かれている。
ことみは、腕を組んだ。
「それ大事」
「娘に言われました。家の前でやらないでと」
「正論」
「息子には、パパかっこいいけど外でやってと」
「正論2」
「妻には、近所の人に迷惑かけないでねと」
「正論3連発!!」
「よって夜道」
「結論が雑!!」
黒川は真剣だった。
家族を困らせたくない。
でも筋肉は見せたい。
その葛藤の末に、夜道という解を見つけた。
(これ、ちゃんと考えてる……)
(変態だけど、ちゃんと考えてる……)
黒川は、うなずいた。
「④心理学」
「まだあるの!?」
ホワイトボードに、脳の絵。
夜の絵。
心の絵。
「人は暗闇で本音が出やすい」
「飲み会理論?」
「私は夜に脱ぐことで、本当の自分になれるのです」
「本当の自分がビキニパンツ!!」
「仕上がった私が、真の私」
「哲学になってる!!」
黒川が、胸に手を当てた。
大胸筋が、ぴくんと動いた。
「昼の私は、経理の黒川誠。夜の私は、筋肉を見せる黒川誠」
「どっちも同じ人間だから!!」
「でも、夜にしか出せない本音がある」
「……」
「それが、筋肉です」
(言い切った)
(本音が筋肉)
ことみは、額を押さえた。
なんか、分かる気がした。
(昼は仕事、夜は本音)
(それが、この人の場合は筋肉なだけ)
(……変態だけど、理屈は通ってる)
「⑤温度管理」
「まだある!?」
ホワイトボードに、温度計の絵。
筋肉の断面図。
血管の絵。
「筋肉は冷やしすぎると硬くなります。夜の外気は適度に涼しい。パンプ後の仕上がりを保つには最適」
「理屈だけはちゃんとしてる!!」
「科学です」
黒川が、胸を張った。
大胸筋が、ピクンと跳ねた。
「うわ、今の生理現象!?」
「パンプです」
「パンプってそんな急に来るの!?」
「筋肉は、語ると興奮します」
「興奮するな!!」
その時。
背後から、低音が響いた。
「ほう……科学か」
振り返ると
桐谷課長が立っていた。
スーツ姿。
腕を組んでいる。
なぜいる。
「光源理論は理解できる」
「課長、参戦しないで!!」
「だが一点光源は、筋繊維の粗を拾う危険もある」
「粗なんてないでしょ!!」
黒川の目が、光った。
「では、実証実験を」
「やめて!!」
二人が、同時に動いた。
黒川が、コートを脱いだ。
桐谷課長が、ジャケットを脱いだ。
Yシャツを脱いだ。
街灯の下、筋肉×筋肉。
「フロントラットスプレッド!」
黒川が、広背筋を広げた。
「サイドチェスト!」
桐谷課長が、胸を張った。
陰影が、戦っている。
光と影が、筋肉の上で交差している。
ことみは叫んだ。
「待って待って理論より迫力が勝ってる!! 科学を超えて芸術になってる!! これは実験じゃなくて展覧会!!」
「杉野さん、陰影どうですか」
黒川が、真剣な顔で聞いた。
「科学を超えて芸術!! 街灯の一点光源が、広背筋の繊維を完璧に際立たせてる!! これは昼には絶対出せない陰影!!」
「課長、三角筋の分離は」
「悪くない」
桐谷課長が、腕を上げた。
三角筋が、前中後に分離している。
「だが背中は俺だ」
「では比較しましょう」
二人が、同時にバックダブルバイセップス。
背中が、並ぶ。
広背筋の翼が、二つ。
ことみの口が、開いた。
「両者、広背筋幅140センチ級!! 僧帽筋の盛り上がり、互角!! 脊柱起立筋の縦ライン、両者とも教科書レベル!! これは引き分け!!」
夜道に、実況が響いた。
近所の犬が、ワンワン吠える。
窓が、そっと閉まる。
数分後。
二人は、きっちりコートとスーツを着直した。
息を整えて、
ホワイトボードの前に立った。
「以上が、なぜ夜に脱ぐのかの科学的考察です」
「結局仕上がってるからでは?」
「最終結論はそこです」
「全部そこに帰結するんだ!!」
黒川が、穏やかに微笑んだ。
「科学も、理論も、最後は感情です」
「最初からそう言って!!」
「ですが杉野さん」
「はい」
「あなたが笑ってくれるから、夜なのです」
ことみの心臓が、ドンと鳴った。
(物理)
(これは物理)
(胸郭の振動)
(声の共鳴)
(……たぶん)
「……科学的に否定できない」
「では次回は昼に脱ぐ実験を」
「絶対やめて!! 即通報されるから!!」
桐谷課長が、腕を組んだ。
「昼の一点光源は、太陽。角度が問題だ」
「課長もノリノリにならないで!!」
夜風が吹く。
ホワイトボードが、ゆっくりと倒れた。
街灯の下、今日も筋肉は理論武装されていた。
結論。
黒川誠は、
感情八割、理論二割で脱いでいる。
でも本人は逆だと思っている。
それが一番面白いのだった。
ことみは、帰り道で思った。
(変態だけど)
(ちゃんと考えてる)
(理論も、感情も、家族も、社会も)
(全部考えて、それでも脱ぐ)
(……それって、もしかして)
(すごいことなのかもしれない)
小さく笑った。
心が、少しだけ温かかった。
次回予告:
「筋肉で救えなかった日――黒川にも、桐谷にも、筋肉では届かなかった過去がある。その話を、ことみは初めて聞く……。」
27話「筋肉で救えなかった日」に続く
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