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20話 プロテインを間違えて飲む夜

 

 事件は、何も考えずに疲れていた夜に起きる。





 その日。

 杉野ことみは、残業と筋肉圧で完全に消耗していた。


「もう無理……」


 頭が回らない。

 体が重い。

 心臓もまだ、昼の物理ドキドキを引きずっている。


(今日は甘いもの……甘いもので回復する……)


 ことみは、フラフラと給湯室に向かった。

 冷蔵庫を開ける。

 自分のプリンを取り出そうとした。


 そこにあったのは、

 白いシェイカー。


(……牛乳?)


 誰かが置き忘れたのか。

 何も考えず、蓋を開ける。

 シャカシャカ、と音がした。


(……なんか、振れる?)

(……牛乳って振れたっけ)


 一口。


「……っ!?」


 粉!!

 甘いが、筋肉に向かってくる味。

 甘さの奥に、何か別の何かがある。

 なんか、体に向かってくる感じがする。


(なにこれ!?)


 ラベルを見る。


 《超回復MAX・桐谷モデル》

 ホエイプロテイン・チョコレート風味

 タンパク質30g/1回分

 使用者:桐谷(名前まで書いてある)


「課長の!!」


 ことみは、シェイカーを持ったまま固まった。


(飲んだ……)

(課長のプロテイン……飲んだ……)

(どうしよう……)


 いや、でも一口だ。

 一口くらいなら大丈夫だ。

 問題ない。

 ことみは、シェイカーを冷蔵庫に戻そうとした。

 だが


「……意外と、いける?」


 手が止まった。

 二口目。


「……甘さの奥に、覚悟?」


 三口目。


「……なんか、後味に意志がある」


 四口目。


「……なんか、体が……」


 熱い。

 ことみは、鏡を見た。


「……顔、赤くない?」


 ホエイプロテインのせいか。

 残業の疲れか。

 それとも


(物理的ドキドキの余韻か)


 肩を回してみる。

 ゴリッ。


「……音した?」


 いつもより、肩が回る気がする。


(気のせいだ)

(絶対に気のせいだ)


 だが、ことみはシェイカーを持ったまま、

 もう一口飲んだ。


(美味しいから)

(プロテインが美味しいから飲んでるだけ)

(課長へのリスペクトとか、そういうのじゃない)


 同時刻。

 別の場所。

 桐谷課長、自宅のホームジム。


「……なぜか、今日のトレーニングは物足りなかった」


 胸騒ぎ。

 理由は不明。

 バーベルを握りながら、首を傾げる。


「……何かが、足りない」


 胸に、奇妙な空虚感。


(何だ、この感じ……)


 同時刻。

 黒川、自宅。


 黒「今日は肩が軽いな」

 妻「なにかした?」

 黒「……分かりません」

 妻「プロテイン、ちゃんと飲んだ?」

 黒「 飲みました」

 妻「なのに軽いの?」

 黒 「……なぜか」


 筋肉の因果律、発動中。




 ことみ、給湯室。

 五口目。


「……なんか、背筋が伸びてきた」


 六口目。


「……なんか、目が覚えてきた」


 七口目。


「……残業? 全然余裕じゃない?」

(プロテイン、すごい……!)


 ことみは、気づいたらシェイカーを半分飲んでいた。


「……やりすぎた」


 でも、止まらなかった。

 体が、妙に軽い。

 頭が、妙に冴えている。


(……なんか、元気)


 その頃。

 町内。

 プロテインを飲む猫が、夜の見回りをしていた。


「ニャ」


 一鳴き。

 そして、肩が盛り上がった。

 気のせいではない。

 確実に、盛り上がった。


 深夜。

 帰宅したことみは、眠れなかった。

 布団の中で天井を見つめる。

 心臓が、妙に元気。


(なんで……)

(プロテインのせいか……?)

(いや、そんな即効性はないはずだ……)


 無意識に、力を入れてみる。

 腹筋。

 キュッ。


「……?」


 なんか、いつもより確かな感じがした。

 起き上がる。

 腹を見る。

 照明をつける。

 鏡。


「……気のせいだよね」


 うっすら、縦線。


「いやいやいやいや」


 錯覚。

 絶対。

 照明が強いから影ができてるだけ。


「……だよね?」


 もう一度見る。

 縦線。


「だよね!?」


 ことみは、照明を消して布団に入った。

 見なかったことにした。

 絶対に気のせいだ。


 翌朝。

 出社。

 女性社員Aが、ことみを見て首を傾げた。


「……杉野さん?」

「なんですか?」

「なんか……違う?」


 女性社員Bも、じっと見る。


「姿勢、良くない?」

「え、そうですか?」

「なんか……芯がある」


 女性社員Cも、頷く。


「昨日と、なんか違う」

「気のせいだと思います」


 ことみは、早歩きで自席に向かった。


 桐谷課長が来た。

 一目見て、目を細める。


「……飲んだな」

「な、なにを!?」

「俺のプロテインだ」


 即バレ。


(なんで分かるの!?)

「い、いや、その……一口だけ……」

「半分だろう」

「……すみません」

「正確には、62パーセントだ」

「そこまで分かるの!?」


 黒川も、静かに頷く。


「回復が早すぎると思いました」

「なんで分かるんですか!? 会ったの今日初めてですよ!?」

「筋肉は、繋がりますから」


 怖い。

 筋肉の因果律、怖い。


「……そ、その……申し訳ありませんでした」


 ことみは、頭を下げた。


「次から気をつけます」


 桐谷課長が、ため息をついた。


「……まあ、いい」

「え、いいんですか?」

「プロテインは飲んだ者の体に入る。それだけだ」

(哲学……?)

「ただ」


 桐谷課長が、ことみをじっと見た。


「……体に合わなかったか?」

「い、いえ……合ったというか……」

「どうだった」

「……美味しかったです」


 沈黙。


 桐谷課長が、珍しく笑った。


「そうか」


 それだけ言って、自席に向かった。

 昼休み。

 ことみは、階段で息切れしないことに気づいた。

 いつもより、足が軽い。

 コピー用紙の束も、軽い。

 ドアも、楽に開く。


「……これ、便利じゃない?」


 一瞬、危険な考えが頭をよぎった。


(また飲もうかな……)

(でも、それは課長の……)

(自分で買えばいい……)

(プロテイン、自分で買えばいい……)

(なんで私、プロテインを自分で買うことを検討してるんだろう……)


 早苗が、遠くから見て一言。


「……筋肉汚染、始まってるわね」

「違います!」

「姿勢が良くなってる」

「それは……気のせいです」

「目が、昨日より元気」

「プロテインのせいです!」

「それを筋肉汚染と言う」


 ことみは、返す言葉がなかった。

 ことみが重い段ボールを、普通に持った。

 早苗、目を逸らす。


(……便利)


 ほんの一瞬、羨ましそうな顔。

 すぐ仏頂面。


(今の、見てない。絶対に見てない)


 夕方。

 帰り支度をしていると、

 桐谷課長が来た。


「杉野さん」

「はい」

「……二度と、人のプロテインを飲むな」

「すみません」


 間。


「……だが」


 桐谷課長が、小声で言った。


「体調に異変があったら、すぐ言え」


 不器用な優しさ。


「はい……ありがとうございます」


 黒川も、横で頷いた。


「無理は禁物ですよ。プロテインは、あくまで補助です」


 紳士。


「はい」

「水分もちゃんと取ってください」

「はい」

「睡眠も大事です」

「はい」

「筋トレは、まず姿勢から」

「筋トレしないです」

「……いずれ、したくなります」


 黒川が、にこやかに言った。


(そんな予言しないでください)


 夜道。

 ことみは、一人で歩いていた。

 今日は、なぜか安心。

 足取りが、いつもより軽い。

 背筋が、いつもよりピンとしている。


(……プロテインのせいだ)

(絶対にそれだけだ)


 街灯が、ことみを照らす。

 星が、きれいに見えた。


(明日、プロテイン……買ってみようかな)


 ことみは、そう思った。

 そして、すぐに首を振った。


(違う違う違う)

(筋肉に染まってる場合じゃない)

(でも……体、軽かったし……)

(でも……筋肉汚染だし……)

(でも……)


 ことみは、夜空を見上げた。

 星が、やけに元気そうに見えた。


(……プロテイン、明日の朝に考えよう)


 そして、歩き出した。

 背筋は、まだピンとしていた。





次回予告:

「初めての守られた夜道! 守るのは筋肉?。そして、ことみの心は――また少し、動く……!」

 21話「初めての『守られた夜道』」に続く


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