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16話 社内ジム同好会設立

 

 その日、会社はもう会社ではなかった。


 朝八時。

 エレベーターが開いた瞬間、ことみは察した。


 今日は、やばい。


 フロア一面に敷かれたヨガマット。

 壁際に並ぶダンベル(誰が許可した)。

 プロテインシェイカーが並ぶテーブル(どこから持ってきた)。


 ホワイトボードにはでかでかと書かれている。


 《第1回 社内筋肉健康セミナー(強制)》

 主催:社内ジム同好会(仮)

 協力:町内会、ジム妖精、ムキムキ猫


「……"強制"って書いちゃってる」


 ことみが呆然としていると、背後から聞き慣れた声。


「安心しろ、杉野。今日は追い込まない」


 振り返ると、上司・桐谷課長。

 スーツの下が明らかにパンパンで、ネクタイが限界を迎えている。

 いや、ボタンが一つ外れかけている。


「桐谷課長……今日は何をする気ですか」

「理解だ」


 真顔。

 本気の真顔。

 その時だった。


「ふざけないでください!!!!」


 氷点下の声がフロアを切り裂く。

 筋肉アンチ女子・早苗である。

 黒いスーツ。

 短い髪。

 怒りで震える拳。


「会社ですよここは。なぜ仕事場に半裸の思想が侵入してるんですか?」

「半裸は"結果"だ」


 どこからともなく現れる、黒川。

 今日はコートを着ていない。

 ポロシャツ姿。

 そして、なぜか腕立て伏せをしながら話している。


「筋肉は思想ではない。積み重ねだ」


 一回、二回、三回。

 腕立てを続けながら、淡々と。


「うるさい!!積み重ねるのは書類です!!」


 早苗、キレッキレである。

 周囲の女性社員たちは三派に分かれていた。


 第一グループ:怖い派

「怖い……」と壁際に避難する。

「ダンベルが危ない……」

「なんでヨガマットあるの……」


 第二グループ:笑う派

「もう笑うしかない」と腹筋崩壊している。

「会社がジムになってる」

「コートマッチョ、腕立てしながら話してる」


 第三グループ:安心派

「……なんか安心する」となぜか深呼吸している。

「筋肉、落ち着く」

「今日も元気もらえそう」


 完全にカオス。

 その中心で、ことみは、


「え、えーっと……今のはですね、広背筋の収縮による安心感です」

 全員「?????」


 気づけば、筋肉通訳が板についていた。

 もう誰も止めない。



 ---



 セミナーは地獄だった。

 桐谷課長が語る。


「会議で大事なのは姿勢だ。猫背は心の逃げだ」

「今、精神論と筋肉を混ぜましたね?」


 即ツッコむ早苗。


「だが正しい」


 黒川がうなずく。

 腕立てを続けながら。


「背筋が伸びると、人は前を向く」

「やめてください、その妙に説得力ある言い方!!」


 早苗は冷酷だった。

 だが、ふと

 ダンベルにつまずき、よろけた。


「……っ」


 その瞬間、

 黒川が無言で支えた。

 腕立てから即座に立ち上がり、

 早苗の腕を掴む。

 近い。

 近すぎる。

 距離、10センチ。


「……離して」


 早苗の声が、わずかに震えている。


「怪我は筋肉の敵だ」


 それだけ言って、すっと手を離す。

 早苗、ほんの一瞬だけ頬が赤い。

 ことみ(見逃さなかった)



 ---



 クライマックスは昼休み。

 なぜか始まる全社員参加・静止ポージング大会。


「誰が企画通したんですかこれ!!」


 ことみが叫んだ。


「町内会だ」


 桐谷課長が、淡々と答えた。


「会社ですよ!?」

「だが、承認された」


 そこへ現れる、

 佐々木町内会長(元ボディビルダー)。

 Tシャツ姿。

 七十歳とは思えない、張りのある胸筋。


「筋肉は地域をつなぐ」


 なぜか拍手。

 第三グループ:安心派が、率先して拍手している。


「会長、かっこいい!」

「七十歳でこの筋肉!」


 さらに、

 ジムの妖精みたいなトレーナー・春日井が現れ、囁く。


「……全部、想定内」


 にやり。

 黒い。

 妖精、黒い。


 プロテインを飲む猫が机の上に飛び乗り、

 ダブルバイセップスのポーズを決める。

 前脚が、ぐっと曲がる。

 上腕二頭筋(猫)が、盛り上がる。

 なぜかムキムキ。


 もう誰も止めない。

 というか、止められない。

 会場は、完全にカオスと化していた。



 ---



 そして、最後。

 ことみが、前に出た。

 自分でも驚いた。

 気づいたら、立っていた。


「……私、最初は怖かったです」


 全員、静かになる。

 早苗も、桐谷課長も、黒川も、

 みんな、ことみを見ている。


「筋肉って、何なんだろうって思ってました」


 ことみは、深呼吸した。


「でも、筋肉って誰かを見下すためじゃなくて、守るために使う人もいるんだって、知りました」


 桐谷課長が、うなずく。

 黒川は何も言わない。

 ただ、静かに聞いている。


「早苗さんは、筋肉が嫌いだって言ってました」


 早苗が、ビクッとする。


「でも、それも正しいと思います」


 ことみは、早苗を見た。


「筋肉は、万能じゃない。押しつけちゃいけない」


 早苗の目が、わずかに揺れた。


「でも――」


 ことみは、笑った。


「役に立つ筋肉も、あると思います」


 静寂。

 数秒後。

 早苗が、腕を組んだまま、そっぽを向いて

 小さく、本当に小さく言った。


「……まあ。役に立つ筋肉"も"ある、とは思います」


 小さい声。

 でも、確かに。


 その瞬間、

 フロアの空気が、少しだけ柔らいだ。


 第一グループ:怖い派も、少しだけ笑っている。

 第二グループ:笑う派は、もう床を叩いている。

 第三グループ:安心派は、涙を流している。


 ムキムキ猫が、にゃあ(低音)と鳴いた。

 まるで、「よく言った」と言わんばかりに。

 佐々木町内会長が、満足げに頷いた。


「これでいい」


 春日井トレーナーが、にやりと笑った。


「計算通り」


 桐谷課長が、ことみに言った。


「杉野、お前は筋トモだ」

「……はい」


 黒川も、小さく頷いた。


「これからも、よろしく」


 ことみは、笑った。



 ---

 その日、会社はジムになった。


 でも同時に

 少しだけ、居心地のいい場所にもなった。


 筋肉が嫌いな人も、

 筋肉が好きな人も、

 筋肉がよく分からない人も、

 みんな、少しだけ笑っていた。


 ことみは思う。


(このカオス……まだ、終わらない気がする)


 その予感は、正しかった。

 夕方、社内チャットに通知が来た。


【正式承認】

 社内ジム同好会、設立

 顧問:佐々木町内会長

 部長:桐谷課長

 副部長:黒川誠

 広報:杉野ことみ

 名誉会員:ムキムキ猫


 ことみは、頭を抱えた。


「……広報!?」


 不思議と、嫌じゃなかった。

 むしろワクワクしていた。


 明日も、きっと筋肉がある。

 明日も、きっと何かが起きる。




次回予告:

「ラブコメ、侵入開始――マッチョが、ことみにだけ優しい理由とは!? そして、桐谷課長の無自覚嫉妬が始まる……!」

 17話「マッチョがことみにだけ優しい理由」に続く


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