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15話  ことみ、筋肉通訳になる

 

 その日、ことみは悟った。

(私、もう普通のOLじゃない)


 なぜなら。

 朝から、声をかけられる。


「杉野さん、これって筋肉的にどうなんですか?」


 総務の山田が、段ボールを抱えながら聞いてくる。


「えっと……それは……」


 ことみの脳が、勝手に解析を始める。


(持ち方……前腕の角度……)

「その持ち方だと、前腕屈筋群に負担が集中します。もう少し体に引き寄せて、腹筋で支えると楽です」

「あ、本当だ! 楽!」

(何を言ってるんだ私)


 さらに。


「この書類、持ち方間違ってません?」


 営業の田中が、ファイルを抱えながら聞いてくる。


「間違ってないけど……」


 ことみの口が、勝手に動く。


「でも、その角度だと肩に負担がかかります。肘を少し曲げて、僧帽筋で支えると疲れにくいです」

「おお! 確かに!」

(もう止まらない)


 質問が、全部"筋肉語"。


 ことみは、全部答えられる。

 条件反射が、完全進化していた。



 ---



 午前十時。

 倉庫前。

 早苗、腕組み。

 桐谷課長、直立。

 黒川、静か。


 ことみ、立たされている。


「検証④」


 嫌な予感。

 というか、確信。


「筋肉による意思疎通」

「なにそれ」


 ことみが、即ツッコミ。


「言葉を使わず、筋肉で意図を伝えてください」

(会社でやることじゃない)


 桐谷課長、胸を張る。

 大胸筋が、Yシャツの上からでも盛り上がる。

 黒川、背中を見せる。

 広背筋が、ポロシャツを引っ張る。

 早苗、無表情。

 クリップボードを持ち、ペンを構えている。


「……意味、わかりません」


 ことみの脳が、フル回転した。


(桐谷課長の胸の張り方……)

(黒川さんの背中の向き……)

(これは……)

「えーっと!」


 叫ぶ。


「桐谷課長は俺が前に出るって言ってます!」

「言ってない」


 桐谷課長が、即否定。


「言ってる!」


 ことみは、確信を持って言い返した。


「大胸筋を張るってことは、前面に立つってことです! リーダーシップの表現です!」

「……そこまで考えてない」

「無意識でもやってる!」


 黒川が、ほんの少し肩を下げた。

 僧帽筋が、わずかに緩んだ。

 早苗が、聞いた。


「今のは?」


 ことみの口が、開いた。


「はい! 落ち着け、後ろは任せろです!」

「そんなロマンありません」


 黒川が、困惑した顔をしている。


「あります!」


 ことみは、力説した。


「肩を下げるってことは、緊張を解くってことです! つまり、"安心しろ"って意味です! そして、背中を見せるってことは、"後ろは任せろ"って意味です!」

「……詳しすぎる」


 だが。

 なぜか、伝わる。

 桐谷課長と黒川が、顔を見合わせる。


「……言いたいこと、合ってる?」

「……まあ、近い」


 早苗が、じっと見ている。

 クリップボードに、何かを書き込む。


「……続けて」

(続けるの!?)



 ---



 昼前。

 会議。

 資料説明。

 桐谷課長が、プレゼンをしている。


 その最中――

 桐谷課長が、身じろぎした。

 Yシャツの下で、大胸筋が動いた。

 ことみの口が、勝手に開いた。


「はい注目! 大胸筋の張り=説得力増加! 今の提案、自信があります!」

「黙って」


 早苗が、冷たく言った。

 周囲の社員が、頷いている。


「確かに、自信ありそう」

「課長、やる気だ」


 桐谷課長が、深呼吸した。

 胸が膨らみ、肩が下がる。

 ことみの口が、また開いた。


「今の呼吸はストレス受け流し型! 冷静に状況を分析してます!」

「翻訳やめて」


 早苗が、こめかみを押さえる。

 ことみ、止まらない。

 条件反射が、完全に進化していた。


 もう、筋肉を見ただけで、

 意図が分かる。

 感情が分かる。

 状態が分かる。


 桐谷課長が、わずかに僧帽筋を動かした。


「今の僧帽筋の動きは今は静観です! 発言を控えて、様子を見てます!」

「誰もそんなこと聞いてない」


 桐谷課長が、頷いだ。


「……合ってる」


 早苗が、ペンを止めた。

 ことみを見た。


「……杉野さん」

「はい!」


 ことみは、条件反射で背筋を伸ばした。


「あなた、自覚あります?」

「筋肉が見えると、口が勝手に……」

「病院、行って」


 早苗の声が、真剣だった。



 ---



 午後。

 社内チャット。

 ことみのデスクには、次々とメッセージが届く。


 Q:この案件、誰が担当?

 Aことみ:桐谷課長(前腕筋がやる気出してます)

 Q:早苗さん、今忙しい?

 Aことみ:今は無理(肩が上がってます。ストレス高めです)

 Q:美咲さん、今話しかけていい?

 Aことみ:大丈夫です(僧帽筋が緩んでます。リラックスしてます)


(もう終わりだこの会社)

 ことみは、頭を抱えた。


 止まらない。

 視界に入る筋肉、全部解析してしまう。

 営業の田中が歩いている。


(ふくらはぎの動き……疲れてる……)


 総務の山田が座っている。


(背中が丸まってる……腰痛予備軍……)


 企画の鈴木が伸びをしている。


(僧帽筋が硬い……肩こりがひどい……)


 全部、見えてしまう。

 全部、分かってしまう。

 全部、言いたくなってしまう。


(……私、人間やめてる……)



 ---



 夕方。

 早苗が、ことみを呼び止めた。


「……通訳」

「はい……」


 ことみは、疲れ切った顔で振り向いた。


「今日の」


 早苗は、一瞬、言葉を探す。

 小さく、でも確かに言った。


「……助かりました」


 ことみ、固まる。


「え?」

「……意味は、伝わった」


 早苗は、目を逸らす。

 顔が、少しだけ赤い。

「筋肉の人たち、何考えてるか分からなかったけど」


 小声で続ける。


「あなたが通訳してくれると、分かりやすい」

「……」

「だから……ありがとう」


 その瞬間。

 遠くで、黒川が腕を組んだ。

 ことみ、即反応。

「今のは無茶させるなです! 早苗さんに無理させてる自覚があります!」

「してない」


 早苗が、反射的に否定した。


「してる!」


 ことみが、力説した。


「腕の組み方が、心配の形です! あと、眉間にわずかなシワ! これは気にかけてるのサインです!」

「……詳しすぎる」


 桐谷課長が、笑った。


「杉野さん」

「はい!」

「君、適職だな」

「何のですか」

「筋肉通訳」

(職歴に書けない)


 ことみは、少しだけ笑った。

 疲れてるけど、

 おかしいけど、


 でも、楽しい。

 筋肉を見て、

 意図を読んで、

 人と人を繋ぐ。

 それが、なぜか心地よかった。



 --



 その夜。

 ことみは、帰り道で思った。


(私、人と筋肉の間に立ってる)


 バカみたいで。

 疲れて。

 なぜか、笑える。


 街灯の下。

 筋肉は、今日も語らない。

 代わりに、

 ことみが、全部しゃべっていた。


 それでいい気がした。

 筋肉は、言葉が足りない。

 人は、筋肉が分からない。

 ことみが、間に立つ。

 筋肉通訳として。


 ことみは、そう思いながら、

 家に帰った。

 明日も、きっと筋肉がある。

 明日も、きっと通訳する。

 明日も、きっと笑える。


 ことみは、布団に入りながら、

 小さく笑った。


「……筋肉通訳、か」


 変な職業だけど、

 嫌いじゃなかった。

 むしろ好きだった。

 夢の中でも、

 きっと筋肉を通訳するのだろう。




次回予告:

「ついに設立! 社内ジム同好会! 筋肉が、正式に会社の一部になる

 そして、ことみは顧問に!?」

 16話「社内ジム同好会設立」に続く


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