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13話 筋肉嫌い女子・早苗、本格参戦

 

 セミナー翌日。

 社内の空気は、妙に軽かった。


「昨日、肩楽じゃなかった?」

「寝違え、消えた気がする」

「猫、あれ何?」

「にゃあ(低音)が忘れられない」


 筋肉余波が、じわじわ広がっている。

 給湯室でも、コピー機の前でも、エレベーターの中でも。


「大胸筋くん、かわいかったよね」

「広背筋さん、渋かった」

「また猫に会いたい」


 笑い声が、あちこちで聞こえる。

 ただ一人――

 早苗だけが、沈黙していた。

 デスクに座り、

 パソコンの画面を見つめ、

 何かを打ち込んでいる。

 静かに。

 だが、明らかに何かを企んでいる顔。


 ことみは、遠くからそれを見て、

 嫌な予感しかしなかった。


(……何か、来る……)



 ---



 午前十時。

 社内チャットに、一通のメッセージが流れた。


【共有】

 本日の昼休み、

「筋肉健康セミナー」に対する

 意見交換会を行います

 主催:早苗

 場所:大会議室

 時間:12:00~13:00

 全員参加歓迎


「意見交換会……?」

「完全に戦争だ」

「早苗さん、本気だ」


 ざわつく社内。

 ことみは、頭を抱えた。


(やばい……)

(絶対、やばい……)



 ---



 昼休み。

 会議室。

 昨日と同じ場所。

 だが今日は、

 筋肉、なし。

 桐谷課長も、黒川も、いない。


 代わりに、ホワイトボード。

 そこに、太字で書かれていた。


 筋肉が職場にもたらす弊害


(タイトル強)


 早苗は、腕を組んで立っていた。

 黒いスーツ。

 短い髪。

 鋭い目。

 まるで、検察官のような佇まい。


「昨日のセミナー」

 静かな声。

 だが、威圧感がある。


「楽しかった人もいるでしょう」


 ちらりと、ことみを見る。


(やば、目合った)

「でも」


 トン、とペンでボードを叩く。


「楽しさと正当性は、別です」


 空気が、引き締まる。

 社員たちが、息を呑む。

 早苗は、ホワイトボードに書き始めた。


「仕事中に、筋肉」


 カツカツカツとペンが走る。


「会議で、筋肉」


 カツカツカツ。


「笑えない人間が、悪者になる」


 カツカツカツ。

 箇条書きが、増えていく。


「これ、全部」

 早苗は、ペンを置いた。

 全員を見回した。


「圧力です」


 誰も、否定できない。

 第一グループ:怖い派が、頷いている。

 第二グループ:笑う派も、少し考え込んでいる。

 第三グループ:安心派は、困惑している。

 ことみの胃が、きりっと痛む。


「そこで」


 早苗は、くるっと振り向いた。


「杉野さん」

「は、はい!」


 条件反射で立ち上がった。


「あなたに聞きたい」


 全員の視線が、集中する。

 ことみの心臓が、ドクドク鳴る。


「あなたは」


 一拍。

 長い、長い一拍。


「どっちの味方ですか」

(来た)

(ど真ん中に来た)


 ことみは、息を吸った。

 深く、深く。


「……どっち、でもないです」

「逃げ?」

「通訳です」

「は?」


 早苗の目が、鋭くなった。

 ことみは、ゆっくり言葉を選んだ。


「筋肉の人たちは、言葉が足りない」

「……」

「だから、私が補足してる」

「あなたは、足しすぎ」

「……それも、たぶん正しいです」


 沈黙。

 早苗は、何も言わなかった。


 じっと、ことみを見ている。

 その時。

 ドアが、ノックもなく開いた。


「失礼」


 桐谷課長。

 後ろに、黒川。

 なぜか、ムキムキ猫も。


「聞こえた」


 桐谷課長が、淡々と言った。


「盗み聞きですか?」


 早苗が、冷たく言った。


「筋トレ中でも、耳は鍛えられる」

(言い訳が筋肉)


 早苗は、怯まなかった。

 むしろ――

 一歩、前に出た。


「言わせてください」


 真正面から。

 桐谷課長と黒川を見据えて。


「あなたたち」


 深呼吸。


「筋肉を、免罪符にしてる」


 空気が、凍った。

 桐谷課長は、何も言わなかった。

 黒川が、初めて反論した。


「してない」


 静かな声。

 だが、確信に満ちた声。


「逃げ場にしてる」


 会議室が、静まる。

 早苗、言葉に詰まる。


「……逃げ?」

「筋肉は、万能じゃない」


 黒川は、ゆっくり言った。

 一言一言、丁寧に。


「だから、ここまでやる」

「……」

「守るためだ」


 桐谷課長が、頷いた。


「誰かを、押しのけるためじゃない」


 黒川も、頷いた。


「崩れないためだ」


 その瞬間

 ことみが、反射で言った。


「――つまり!」


 全員が、ことみを見た。

「筋肉は、言語じゃなくて、防具!」

「誰もそんな比喩頼んでない」


 桐谷課長が、即ツッコミ。

 なぜか、腑に落ちた空気。

 社員たちが、頷いている。


「ああ、なるほど」

「防具か」

「守るためのものなんだ」


 早苗は、黙っていた。

 ホワイトボードを見つめ、

 腕を組み、

 何かを考えている。

 数秒後。


「……わかりました」


 きっぱり。

 にやりと笑った。


「なら、検証しましょう」

 不穏。

 めちゃくちゃ不穏。


「筋肉が、本当に必要な場面」


 早苗は、ホワイトボードに書き始めた。

 筋肉が本当に必要な場面

 重いものを運ぶ時

 災害時

 ?


「私が作ります」

(作るな)

(絶対作るな)


 ことみが、心の中で叫んだ。

 早苗は、止まらない。


「来週、筋肉実技テストを行います」

「は?」


 全員、困惑。


「重いものを運ぶ」

「階段を上る」

「体力測定」

「そこで、筋肉の人たちが本当に役立つか、検証します」


 桐谷課長と黒川、顔を見合わせる。


「……やるのか?」

「やろう」

「負けないぞ」

「当然だ」


 ムキムキ猫が、にゃあ(低音)と鳴いた。

 まるで、「参戦する」と言わんばかりに。

 ことみは、頭を抱えた。


(終わった……)

(職場が、完全に筋肉戦場になる……)


 不思議と、嫌じゃなかった。

 むしろ、ワクワクしていた。

 早苗の本気。

 桐谷課長と黒川の覚悟。


 自分の立ち位置。

 全てが、面白い。

 こうして。

 筋肉思想戦争は、

 次のフェーズへ突入した。


 火種は、

 早苗の冷静さ。

 爆薬は、

 筋肉。


 ことみの胃薬が、減っていく。

 会議室を出る時、

 桐谷課長が小声で言った。


「杉野」

「はい……」

「次は、実技テストだ」

「知ってます……」

「実況、頼むぞ」

「……はい」


 ことみは、諦めた。


(もう、逃げられない)

(筋肉通訳、確定)


 それでいい気がした。

 早苗も、本気。

 桐谷課長と黒川も、本気。

 ムキムキ猫も、本気。

 自分も、本気で実況する。

 それが、楽しい。

 ことみは、そう思いながら、

 自席に戻った。


 デスクには、

 早苗からのメールが届いていた。


 件名:来週の筋肉実技テストについて

 杉野さん

 来週の筋肉実技テストですが、

 あなたには審査員をお願いします。

 公平な目で、筋肉の有用性を評価してください。

 よろしくお願いします。

 早苗


 ことみは、返信した。

 件名:Re:来週の筋肉実技テストについて

 わかりました。

 公平に、実況します。

 杉野


 送信。


 小さく笑った。


(……面白くなってきた)


 筋肉思想戦争。

 次は、実技テスト。


 きっと、また笑える。

 ことみは、そう思いながら、

 仕事に戻った。


 明日も、筋肉がある。

 明日も、早苗が噛みつく。

 明日も、きっと何かが起きる。





次回予告:

「ついに開催! 筋肉実技テスト! 重量物運搬、階段ダッシュ、体力測定――筋肉の人たちは、本当に役立つのか!? そして、早苗の仕掛けた罠とは……!?」

 14話「早苗 vs 筋肉思想戦争」に続く


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