11話 女性社員の反応
会議室を出た瞬間、空気が割れた。
「……ありえない」
低く、鋭い声。
早苗だった。
コピー機の前。
腕を組み、眉間に深いしわ。
髪は短く、目は鋭く、スーツは黒。
まるで、筋肉への宣戦布告を体現したような佇まい。
「あれ、完全にハラスメントでしょ」
数人が、ぎくっとする。
特に、第三グループ:安心派の女性たち。
「筋肉を盾にして、空気を支配して、笑えない人間を"ノリ悪い"扱いする」
ことみは、何も言えなかった。
(刺さる……)
(確かに、笑えない人もいる……)
「私はね」
早苗は、続ける。
周囲の社員が、立ち止まる。
「筋肉が嫌いなんじゃない」
全員が息を呑む。
「筋肉を正義だと思ってる人間が嫌いなの」
沈黙。
誰も、反論できなかった。
早苗の言葉は、鋭く、そして正しかった。
「見せたい人は見せればいい」
「でも、見たくない人の権利も認めるべきでしょ」
「それを無視して、"元気出る"とか"安心する"とか――」
早苗は、ことみを見た。
「押しつけないでほしい」
ことみの心臓が、ドクンと鳴った。
(私……押しつけてた……?)
---
その日の昼休み。
社内は、妙な三層構造になっていた。
第一層:「怖い」派
近寄らない。見ない。話題にしない。
筋肉の話が出ると、そっと席を外す。
代表:総務の山田、経理の佐藤。
「いや、無理。あの筋肉、怖い」
「なんであんなに盛り上がってるの」
「人間の体じゃないよ」
第二層:「笑う」派
ネタとして消費。SNSに書きたい。
筋肉を見て、笑って、でも深入りしない。
代表:営業の田中、企画の鈴木。
「無理、笑う」
「ビジネス・フロントダブルバイって何」
「課長、真面目な顔でやってるのがもう面白い」
第三層:「なぜか安心」派
理由は説明できないが、気持ちが楽。
筋肉を見ると、元気が出る。
代表:人事の中村、広報の田辺。
「……元気出る」
「なんか、頑張ろうって思える」
「筋肉、パワーもらえる」
そして、
早苗は、どこにも属さなかった。
いや、第四層を作っていた。
第四層:「許さない」派
筋肉思想に真っ向から噛みつく。
代表:企画部・早苗、ただ一人。
給湯室。
ことみは、コーヒーを淹れながら言った。
「……言いすぎたとは、思わない?」
「全然」
即答。
早苗も、コーヒーを淹れている。
「言わなきゃ、"筋肉が空気を決める職場"になる」
「そんな大げさな……」
早苗は、ことみを見た。
真正面から。
「杉野さん、あなた」
ドキッ。
「あの人たちの通訳になってる」
胸に、刺さる。
「実況とか、翻訳とか言ってるけど」
早苗は、一歩近づいた。
「結果的に、筋肉を"わかりやすく"してる」
「それが、何か悪いの?」
「悪いに決まってる」
即断。
「理解できないものは、無理に理解しなくていい」
「でも……」
「"わかろうとする人"がいると、押しつける側は調子に乗る」
痛い。
全部、正論。
ことみは、言葉に詰まった。
「私は……ただ……」
「ただ、何?」
「……楽しかったから……」
「楽しい?」
早苗の目が、さらに鋭くなった。
「楽しいのは、あなただけかもしれない」
「……」
「他の人は、我慢してるかもしれない」
「……」
「それに気づかないまま、"筋肉、楽しい"って言い続けるのは――」
早苗は、コーヒーを一口飲んだ。
「暴力だと思う」
ことみは、何も言えなかった。
---
その頃。
廊下の向こう。
桐谷課長と黒川は、空気を察していた。
「……嫌われてるな」
桐谷課長が、小声で言った。
「想定内だ」
黒川が、頷いた。
「筋肉は、好かれるものじゃない」
桐谷課長が、ぽつりと言う。
「役に立つものだ」
黒川も、頷いた。
「でも、役に立つ前に――嫌われる」
「ああ」
「それでも、続けるか?」
「……ああ」
二人は、互いに頷き合った。
その瞬間。
早苗が、廊下に出てきた。
「――ちょうどいい」
鋭い目。
まるで、獲物を見つけた鷹のような目。
「言いたいことがあります」
周囲が、ざわつく。
社員たちが、立ち止まる。
「会社に」
早苗は、一歩踏み出した。
「仕事に」
もう一歩。
「筋肉は、いりません」
はっきりと。
逃げ場のない言葉。
桐谷課長は、すぐに反論しなかった。
黒川も。
ただ、静かに早苗を見ている。
ことみが、耐えきれず叫んだ。
「でも!」
全員が、彼女を見る。
「筋肉が、誰かを救う場面もあるんです!」
「例えば?」
早苗の声は、冷たい。
ことみは、言葉に詰まった。
(例えば……)
(町内会のイベント?)
(でも、それは会社じゃない……)
(夜道で元気をもらった?)
(でも、それは私だけかもしれない……)
まだ、証明できない。
「証明できないなら」
早苗は、背を向けた。
「それは、ただの趣味です」
その背中は、強くて、孤独だった。
まるで、誰にも理解されなくても、正しいことを言い続ける覚悟を背負っているような。
桐谷課長が、口を開いた。
「早苗さん」
「何ですか」
「君の言うことは、正しい」
早苗が、振り向いた。
「でも――」
桐谷課長は、腕を組んだ。
その動作だけで、上腕三頭筋が浮き出た。
「正しいからといって、全てを拒絶する必要はない」
「……何が言いたいんですか」
「筋肉を見たくないなら、見なくていい」
桐谷課長は、真剣な目で言った。
「でも、見たい人の権利も認めてほしい」
「……」
「それが、共存だと思う」
早苗は、何も言わなかった。
小さく、ため息をついた。
「……共存、ね」
去っていった。
---
その夜。
ことみは、眠れなかった。
(私は……どっち側なんだろう)
笑っていいのか。
翻訳していいのか。
筋肉は、楽しい。
でも、
誰かを置き去りにしていないか。
早苗の言葉が、頭の中でリピートされる。
「暴力だと思う」
(……暴力……)
ことみは、布団を被った。
答えは、まだ出ない。
ただ一つだけ、確かなこと。
このままでは、終わらない。
---
翌週。
強制・筋肉健康セミナーの開催通知が、全社に回った。
件名:【全社員対象】筋肉健康セミナーのご案内
差出人:桐谷課長
本文:
お疲れ様です。桐谷です。
来週月曜日、15時より会議室Aにて、「筋肉健康セミナー」を開催いたします。
講師:黒川誠氏(ボディビル歴20年)
内容:デスクワークによる筋力低下を防ぐためのストレッチ及び簡単な筋トレ指導
※参加は任意ですが、欠席理由は提出してください
早苗は、そのメールを見て、静かに笑った。
「……戦争ね」
返信ボタンを押した。
件名:Re:【全社員対象】筋肉健康セミナーのご案内
本文:
欠席します。
理由:筋肉に興味がないため。
送信。
職場に、
見えない火花が散り始めていた。
その火花は、やがて炎になる。
ことみは、そのメールを見ながら、
ため息をついた。
(……どうなっちゃうんだろう、この会社……)
不思議と、嫌じゃなかった。
むしろ、ワクワクしていた。
早苗の反発。
桐谷課長の覚悟。
黒川の穏やかさ。
自分の立ち位置。
全てが、まだ見えない。
きっと、面白いことになる。
ことみは、そう思いながら、
眠りについた。
明日は、きっと筋肉がある。
明日は、きっと早苗が噛みつく。
明日は、きっと何かが変わる。
次回予告:
「ついに開催! 筋肉健康セミナー(強制)! 早苗の欠席理由、まさかの却下!? そして、ジムの妖精みたいなトレーナー・春日井が参戦――!」
12話「筋肉健康セミナー開催(強制)」に続く
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