『プロローグ 魔女と獣』
「今朝、農作業をしている最中突然虹の風が吹いてきてなあ……咄嗟に物置小屋に逃げ込んだんだが、暑くて腕まくりをしてたもんだから腕にモロに風を受けちまって……」
セレスティアと対面した老人はそう言いながら服の袖を捲くって見せる。そこにはまるで動物の毛皮を貼り付けたように、ゴワゴワとした毛がビッシリと生えていた。
「まあ、今日は日差しがきつくて帽子を被ってたから頭の方は無事に済んだのが不幸中の幸いだな」
そう言って老人は笑う。確かに、俺のように全身が獣になるよりはマシなのかもしれないが、それでもその腕の様子は大分異様なものだった。
「腕を診させていただいても?」
「ああ、構わんぞ。とはいえ別に日常生活や農作業に支障も無いがな」
セレスティアが老人の許可を取り腕を診るも老人の言う通りただ表面に動物の毛のような体毛が生えているだけで他に異常は特に見られないようだった。
「変異の症状は表面だけのようですね……とはいえ私達魔女協会が虹の風の兆候を察知できていたら防げたことです。申し訳ありませんわ……」
「いや、構わんさ。先週吹いたばかりだからしばらく吹かんだろうと油断していた俺が悪い。あんたは俺達を助けに来てくれたんだろう?感謝こそすれ恨むなんてとんでもない」
老人は笑って言うもセレスティアの顔は晴れなかった。
「虹の風の発生条件は未だ不明瞭で完全に予測することは現状できませんわ。虹の風の発生は現状止める方法は無く変異の治療法も見付かっておらず、この症状も虹の風を浴びるたび悪化するので気を付けてください……」
「そうか……まあ、どのみちこの田畑を放っておく訳にもいかん。今度は暑くても肌を出さんように気を付けるさ」
「直接風を浴びずに布で遮るだけでも大分違うからな。長時間風を浴び続けたら流石に完全には防げないが、丸出しよりはマシだろうさ」
俺がそう言うと老人は一瞬驚いたような顔をして俺を見たがすぐに状況を察して憐れむような表情を浮かべた。
「ああ、お前さんも……そうか。あんたも災難だったな」
「俺も脳みそまで獣になる前にこいつに助けられた。運が良かったな」
「そうだな……魔女さん、あんたらが俺達を救おうとしているのには感謝してる。だが、これはどうあっても治らない類のものなんだろ?ならしょうがねえさ……」
「……」
「人間のまま最期まで畑の世話をして家族に看取られる。それだけが俺の望みだ。他は何も望まないさ」
セレスティアは何か言いたげだったが言葉を飲み込み老人の方を向いた。
「……分かりました、できる限りのことはいたしますわ。今後も身体に何か異常を感じたらすぐに魔女協会に知らせて下さい。……この度はお力添え出来ず本当に申し訳ありませんでした」
セレスティアがそう言うと老人は手を振って答える。
「いや、本当にいいさ。あんたらも大変だろうに……ありがとよ」
そう言って頭を下げ、農作業に戻って行った老人を見送ると俺達は帰路へ着くことにした。
「また虹の風の被害者が出ちまったな……」
「直前に予兆を捉えて警報を出す装置はまだ大都市にしか配備されてないし、地方への対応は全くと言っていいほど進んでないわ……村一つ救えないなんて、まだまだ私達の力が足りないのね……」
セレスティアはそう言うと悲しげに目を伏せる。
「できることを着実にやってくしかねえさ。セレスティアはむしろ一人で気負い過ぎなんだよ」
「あら、慰めてくれるの?ありがとう、ルーク」
セレスティアはそう言うと俺の目の前にしゃがみ込んで俺の頭をワシャワシャと撫でる。
「やめろ、犬扱いすんな!俺は犬じゃ……」
「はいはい、分かってるわよ」
そう言ってセレスティアは俺を撫でるのをやめて歩き出す。俺はそれについて行きながら何気なく空を見上げた。
「虹の風が吹く限り変異は進む……そして必ず理性を失う……か」
俺が呟くように言うとセレスティアは頷いて答えた。
「ええ、彼のように影響が軽微で済んでいるケースは稀ね。大抵の場合は既に手遅れな状態で発見されたり、完全に野生化してしまって行方不明になるケースがほとんどだから」
「ああやって会話できる状態であればまだいい方か。酷い時はもう人の言葉を喋ることすら出来なくなってるからな……」
俺はそう言うと自分の身体に目を向ける。今の俺はどこからどう見ても白い狼だ。四足で歩くのはもう慣れた。真っ白なフサフサの毛に覆われた身体は夏には暑すぎるが冬は丁度良い毛皮となってくれる。
「それでも俺達は幸運な方か……人間のままで死ねるんだからな」
「……」
セレスティアはしばらく黙ると何か言いたげに口を開きかけてまた閉じてしまった。そして何かを決意したように顔を上げると口を開く。
「……きっと、元に戻る方法が見付かるわ」
そう言って苦笑するセレスティアだったが、すぐに真顔に戻ると言葉を続けた。
「……ほら、早く協会本部に帰りましょう。でも急な任務だったせいで食事もせず出てきちゃったし、何か買って帰る?ルークは何が食べたい?」
「そうだな、この辺りの名物って何だろうな?」
俺はそう言って歩き出すとセレスティアもその隣を歩き始めた。そうして俺達は帰路に着いたのだった。




