うどんをうつ。
俺の人生は、なんというか単純だったと思う。若いうちは変わってるね。面白いね、で通っていた人生も、30代になるともう何も残らない。
鬱と診断されたのは、もう半年も前、抗うつ薬を飲みながらの生活にも慣れてきた頃、嫉妬とか悲しみが一気に襲ってきて、ある日すべてがどうでも良くなった夜があった。人は死ぬ時こんな気持ちなのか。少しニッコリした俺はきっと不気味な顔をしていただろう。やりたいことは、なんだろう。仕事もまともにしていなかった俺は貯金もほぼない、こんな俺が出来るものって。思い立った翌日には鞄の中に荷物を詰めていた。どこにも連絡する必要もないため、すぐ行動できるのがメリットだった。旅行。それが最後に思いついた俺の人生の終活。そう決めた。旅先は香川に行くことにした、理由はうどんが好きだから。子供の頃からずっとうどんが大好きで、いつか行ってみたかった。海外なんかより全然魅力を感じる。車のエンジンをかけ、東京からの一人旅が始まった。到着には3日ほどかかり、高速道路からの景色は見飽きて、今は疲労しか無い。香川のホテルに泊まりそこの温泉に入ってみることにした。「兄ちゃん国はどこの人だい?」風呂のじいさんが声をかけてきた。地方あるあるだが、地方の人は本当に気さくに話しかけてくる。きっとそこには何の策略もなく「俺は東京から来ました」「それで風貌が違うわけだ、ここには旅行かい?」この後も15分ほど湯船の中で他愛のない会話を交わした、人とこんなに話したのはいつ振りだろうか。温泉なんて滅多に入ることも無かったし、不思議と会話は楽しかった。翌朝は雨で、街の空気は少し重かったが、この旅の目的であるうどん屋めぐりを始めた。さすが香川県どこの店に入っても安い、うまい、が完璧に出来上がっている。小うどん200円、天ぷらを付けても500円、東京では無理だな。ふと思った時またあいつが襲ってきた気がした。ポッケにある抗うつ薬を飲み、二軒目に向かった。その店は個人の店のようで、今は大将が一人で店を回しているようだ。そのため、ゆで以外はすべてセルフ、つゆもネギも天かすも、天ぷらさえ食べたければ自分で揚げていい。というシステム。俺は嫌いじゃないけど、観光客向けではないと思った。でも何故か味は抜群に美味かった。旅の中で特に良かったのは丸内屋。味、喉越しはもちろん、見た目も完璧。さらに、いい意味で東京の量産型チェーン店のような安心感の店構え。俺には居ない友達に紹介するなら店はココだな。そんなことを考えていた。その後も俺の旅行は続いて、早一週間が経った、持っている貯金も底が見えてきて、本来の目的を思い出しながら、夜空を見ていた。ふとよぎった温泉。最後に温泉にだけ入りに行こう。香川に着いたあの日すごい安心したあの場所に俺は戻った。「兄ちゃん国はどこの人だい?」湯船に入ったらそんな声がした、「それ、俺に聞いてます?」「そりゃ兄ちゃん以外誰もいないんだから」「だとしたらこの前も聞かれましたよ」「あ、そうなの?俺はさ毎日ここで色んな人と話すから忘れちゃうんだよな」「あ、そうなんですね」「ところでどこの国から?」「東京です」「それで風貌が違うわけだ、ここには旅行かい?」少し笑ってしまった。ボケてるわけではないようだか、本当に俺のことは覚えてないようだ。しばらく話してから気づいたんだが、そのじいさん、俺が2軒目に行ったうどん屋の大将だった。こんな偶然あるんだな、って驚いた顔で笑いあい、他愛のない話をしていた。時も束の間、そろそろを上がろと「色々話して楽しかったです、またどこかで」そう言って湯船を立つと、「ちょっと待ちな」「え?なんですか?」「兄ちゃん、死ぬつもりだろ?」「え。」裸の男二人、風呂の湯気の中、核心を突かれ脳が停止した感覚だった。「ずっと職人をやってると人間の事まで分かってきちまうんだよな、兄ちゃんのこともね」「なんの冗談を。さっきも言ったけど俺は出張で来てるサラリーマンです。」「なら、その出張がもう終わったってことかい?」「そうですよ。だから、東京に帰るだけです」「そうかい。蛇語を言ったねすまなかった。」「はぁ。」「ただね、最後のお節介、一つだけ言っておくよ。あんたその涙拭いてから東京さ戻りな」俺は泣いていた。いつからなのかも分からないが、顔中ベトベトになるほどに泣いていた。「湯冷めしちゃいかん。最後もう少しだけ浸かっていきなさい」そう言われて、俺は湯船に戻った。「うどん職人って魔法使いかなんかなんですか?」「馬鹿言っちゃいけねえよ、そんなものは無い。ただ一つのものに魂こめてやってると、他のものも自然と理解してくるもんなんだ。」「ちょっと何言ってるか分かりませんが、色々迷惑かけてすいません。」「良いってことよ。話し相手になってくれる若い子もいないしね。」「では改めて」「兄ちゃん、明日帰るんだろ?帰る前に最後うちの店に食いに来いよ」風呂を出る時じいさんは俺にそう告げた。行く気など全くなかった、なぜならその晩おれは覚悟を決めていたのだから。何者でもないじいさんに風呂で出会い涙を流した。死ぬことも出来ない。愚かだ。おれはどこまで。「薬より欲しいものがあるよ。」俺はそのまま夜を越した。部屋にはロープがぶら下がっていた。
朝になってじいさんの店に行った、「よぉ、おはよう」「おはようございます」「ほら、厨房入れ」「え?」「まだ営業時間外だよ、自分の飯は自分で、これは常識だろ?」「はぁ、でも」俺は家事もまともに出来ない男だ。うどん屋の厨房なんて。「いいから早く入れって」「はい。」「俺は客の仕込みをするから、兄ちゃんは自分の分だけ麺をうて」「うて?もう出来上がってるのを茹でるんじゃないんですか?」「馬鹿野郎、うったもんはすぐ茹でないと味が落ちる、常識だ」「はぁ、そうなんですね」眼の前には白い塊と、まな板、そして麺切り包丁、どれも使ったことないけど、隣で仕込みをしてるじいさんの真似をして見様見真似で麺を切ってみる。「下手くそだな、それじゃ湯の中で解けちまう」「初めてなもので」「こうやるんだ、お前は眼の前を見過ぎだ、一本一本全てを意識する必要はない、全体を見ろ、そして感じるんだ直感を、そして一刀をいれる。そこからは自然と刃が付いてくる」「職人って感じですね」「そうだな、お前にも出来るよ。やってみろ、自分が食べる分なんだからな」直感、そして感じる、昭和論だと思いながらも、全体を見て一刀をいれた。一人前ほどの麺が切れたのは約2時間後、初めて自分で作ったうどんは、不細工な見た目で、長さもバラバラ、味も少し粉っぽく、美味しくはなかったけど、じいさんだけは、満面の笑みで、「うまい」そう言ってくれた。
それから7年、この店は俺が継いでいる。目的を見出してくれたじいさんにはものすごく感謝してるし、こんな映画みたいな展開自分が一番信じられない。じいさんは俺に本格的に修行をつけてくれた半年後に死んだ。死に際「じいさんはなぜ俺を誘ってくれだんだ」「馬鹿だな、分かるようになるまで麺をうて」「うて?」「お前は麺を切る、そう言うが正しくは、うつ。だ」「うつ。麺をうつ。」「お前も明日からは麺をうって、人々に喜ばれる店を続けてくれ」「ありがとう。じいちゃん」俺のポケットには洗っても落ちない小麦粉が大量に固まっている。洗濯も最近覚えた。この生活は生きてるって感じる。
朝起きて、店の準備をする、その日は雨が降っていて少し頭が痛かった。麺をうつ、トントントン今は一定のリズムで美しい麺を作ることが出来ている。朝オープンの時間、「雨降ってるからなー、こりゃ客入り悪そうだ」つぶやきながら扉を開けると、そこには一組の家族が待っていた、「いらっしゃいませ」すかさず店主に戻り、「うちは麺以外セルフとなっていますので、サイズお決まりになりましたら、カウンターまでどうぞ」その家族は、若い母親と、その子供だろうか、ベビーカーの中ですやすやと眠っている。母親のほうが立ち上がり「では、小うどん一つ」まるでそよ風が吹いたような声で注文を聞いた、麺をうち、茹で、渡す。「タレはこちらに、セルフでお願いします」母親は、軽く会釈をして丼を受け取り、うどんをすすっていた。「お会計200円になります」「美味しかったです。ごちそうさま。」そう言って帰る後ろ姿を俺は何故か引き止めてしまった「持ってください。」「え?」「あの、あなた泣いてますよ」
その瞬間、分かった気がした。ここが香川であるとか、うどん屋であるとか、一切関係なく、
こういうことか。そうわかった気がした。「俺はここの5代目をしています。少しだけ話し聞かせてもらえませんか?」彼女は頷きながらハンカチで顔を隠した。
俺は今日もうどんをうっている。
ただひたすらに、うどんに向き合っている。
パンパン一定のリズムで麺をうつ、こうして一本一本がうどんなる。
俺はうどんをうつ。大切な家族のために、自分が生きるために。うどんをうつ。
俺はこれからもうどんをうつ。
k.y