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48. 魔法使いの弟子

 いつのまにか雨音は聞こえなくなり、木戸の隙間からは橙色の光が漏れはじめていた。それでも、大部屋の窓を塞ぐ板はまだカタカタと音をたて、隙間風が蝋燭の焔をチラチラと揺らす。


 下層階級では家畜の脂肪を燃料とした灯りが普及していたが、獣脂を燃やせば当然に悪臭を放ち、その黒煙が壁を汚す。そのため、神聖な宗教施設では、高価だが臭いも煙も出ない蜜蝋の蝋燭を使用していた。もちろん、この修道院跡地も例外ではない。また、聖職者が特に蜜蝋を好むのは、生涯交尾をすることのない働き蜂が生産するものだから。処女が作る蜜蝋は純潔を表すとして、聖母(バージン)信仰に適っているせいでもあった。


 嵐を控えて大部屋に集められた子供たち。いつもならメアリアンは子供同士の遊びに夢中になる。しかし、その日はなぜか母の姿が見えないことに不安を覚えていた。


「ママはどこ?」

「森よ」


 メアリアンの問いに若い女が答えた。寝ていた乳飲み子が泣き出したので、女はポロンと乳房を出して赤子の口に乳首をあてがう。子は首を左右に振りながら、夢中でそれに吸い付いた。


「どうして森に?」

「院主様に会いに行ったの」

「いんしゅさま……」


 メアリアンは白い服をきた高齢の女性を思い出す。どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出しているが、とても静かで優しい人だった。それならば、母はきっとすぐに帰ってくるだろう。メアリアンはそう思って、そっと大部屋を抜け出した。そして、宿所の戸口をうんしょと押し開ける。外の空気は澄んでいて、頭上には夕空が広がっていた。


「どろんこ、どろんこ」


 メアリアンは靴をはかずに飛び出して、素足で大きな水たまりに入る。先ほどの一過性の豪雨のせいで、外はどこもかしこもぬかるんでいた。戸口でアンを出迎えるつもりが、強烈な泥遊びの誘惑には勝てなかった。


「ママ、まだかなぁ」


 泥水に浸からないようにスカートを少したくし上げ、メアリアンはぐちゃぐちゃと足踏みをしながら森へ続く道を見る。すると、目の前に一羽の鴉が降り立った。


「鴉だわ!」


 メアリアンは嬉しそうに鴉に近づいた。いつもなら驚いた鳥はこれで飛び去るのに、今日はぴょんぴょんと飛び跳ねて少しだけ距離を取る。


「なあに。逃げないの?」


 メアリアンがさらに数歩近づくと、その分だけ鴉も前方に移動する。たくさん歩けばその距離だけ、素早く動けばその速さだけ、鴉はメアリアンに合わせて動く。その追いかけっこが面白く、メアリアンはさらに鴉のほうに歩を進めた。


「つかまえてほしいのね!」


 メアリアンは鴉を追って、どんどん森の中へと進んでいった。普段なら子供を一人で森に行かせることはない。しかし、大人たちは嵐の備えに忙しく、大部屋にいるはずの子どもが外に出るとは思ってもいなかった。


「ほれほれ、お嬢ちゃんや、その足で入ってはいかんよ」


 その声にメアリアンが振り向くと、そこには黒いマントを被った老婆が箒を持って立っていた。風の強い日に果樹園にふいっと現れては、『落ちた果実(ウィンドフォール)』を拾う老婆。メアリアンはその姿を今までに何度も見かけていた。


「おばあちゃん! リンゴ畑のcleaning(おそうじ)に来たの?」


 先ほどまでの暴風雨と老婆が持っている箒を見て、メアリアンは果樹園に落ちたリンゴを思い浮かべる。すぐに拾えば問題ないが、時間が経つと虫がついて食べられなくなってしまう。


「そんなところじゃ。まずは嬢ちゃんの足をcleaning(きれいに)しようかね」


 メアリアンが下を見ると、白石の階段にべっとりと泥の足跡がついている。いつのまにか森を抜けていて、今はもう大きな建物の入り口に続く階段の上だった。追いかけていた鴉は飛び去ったのか、もうどこにも見えない。


「おばあちゃん、ママを知らない?」


 老婆が白布で泥をふき取る間、メアリアンは自分がここにいる理由を打ち明ける。母を待っていたら鴉が遊びにきたこと。それを追ってここまで来て、うっかり石段を汚してしまったこと。


「ああ、あのイタズラ鴉かい。困ったもんじゃのう」


 メアリアンの足を拭き終わった老婆は伸ばした腰をトントンと叩いてから、メアリアンの服の裾にさっと箒を走らせた。そのとたんに、泥で汚れた服が洗い立てのようにきれいになる。


「すごおぃ。おばあちゃん、どうやったの?」


 メアリアンは服の裾をつまんで目をキラキラさせた。老婆はニコニコ笑いながら、唇の前に皺だらけの人差し指を立てる。


「しーっ。誰にも言ってはならんぞ。これは魔法じゃ」

「まほう?」


 メアリアンは城でアンが語ってくれた妖精のお話を思い出す。羽の生えた小さな女の子は、不思議な力を使うことができた。それを魔法と呼んでいた。


「私もやりたいっ」

「ほう。では、この婆の弟子になるかえ?」

「でし?」

「そうさ、魔法使いの弟子じゃ」

「まほうつかい?」


 皺だらけの老婆は、メアリアンの前にそびえる建物を指す。


「魔女じゃよ。ここは大魔女モーリアンの神殿だからの」


 神殿の正面は柱のみで支えられ、ずっと奥には大きな三体の像が見えている。中間の広間はがらんどう。


「ママ?」


 建物の中に母アンの後ろ姿を見た気がして、メアリアンは入口へと駆け出す。その後を慌てて追うのは、リンゴ売りの老婆。


「これ、走ってはならん」


 張ってある結界が子供を弾くことを危惧していたが、メアリアンは何事もなく内部へ入っていった。まるで彼女の向かう先に、女神が腕を広げて待ち構えているかのように。それを確認して老婆は足を止める。


「そうじゃな。お前さんには、ここは我が家みたいなもんじゃろう」


 神殿の空気は歓喜に満ち、幼子は柔らかく温かい守りの光に包まれていた。 その神々しい姿を目の当たりにし、老婆は思わずその場に膝をつく。


「宿命の乙女メアリアン。Chosen (選ばれ)one(し者)


 マーリンの独り言。それを聞いていたのは、屋根で羽を休める一羽の鴉だけだった。

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― 新着の感想 ―
マーリンはこれまでもずっと、メアリアンを見守っていたのですね。 大人たちの知らないところで、すでにメアリアンは波瀾の運命に足をつっこんでいるという……。 冒頭の、薄暗い家屋の様子から、雨上がりの森、…
 おや、これで行方不明になっちゃうのかな?  しばらくは大魔女の神殿暮らしですか。
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