42. 十四行詩
窓から差す月明りを背に、女王は詩文を詠唱する。それは一篇が十四行で構成され、脚韻を記号で表すならabba abba cde cde。イタリア・ソネット形式。
『……、ああ、もしも徳という玉座の高みから、長いことその恩寵を求める不幸なこの私に、その考えが及ぶ先を明かしてくださるのなら、この私がどれほど貴女に屈服することか、どうかよくお考えください、……』*
薄暗い部屋の反対側には、苦虫を噛みつぶしたような顔で椅子に座るデヴァルー。宿直用に壁にいくつも繰りぬかれたバラ窓の向こうには、隣室の燭台の焔が揺らめいて見える。
「彼の詩ですね。手の届かない人妻に愛を乞う憐れな詩人……」
デヴァルーはうっかりその彼がいる方向に目を向け、覗き窓から見える獣の交尾に顔を赤らめた。その初心な様子に女王は口元を緩める。
「イタリア桂冠詩人の押韻形式。それを倣って、この国の言葉で恋愛抒情詩を編む。斬新な試みに、詩人たちからの賞賛が尽きないらしいな」
最後の韻を合わせる詩は、母音が少なくまた必ず母音で終わるイタリア語に適している。それに英語で挑戦したことには大きな意義があった。
この詩に多大な影響を受け、やがてシェークスピアが英語に合うソネット形式を確立する。組み合わせの少ない脚韻abab cdcd efef ggのイギリス式。
「しかし、彼がこの詩を捧げた貴婦人は……」
デヴァルーの言葉に被さるように、隣室から雌の甲高い鳴き声が響く。それに呼応して雄が吐く荒い息に当てられ、デヴァルーは羞恥心を抑えるよう目を伏せる。
「義父上の留守中に……、よろしいのですか?」
「これはダドリーの案だ。あの者を仲間に引き込むなら餌が必要」
「餌……?」
「ああ、すまない。言い方が悪かったな。『恩寵』と言うべきか」
「恩寵とは……」
「彼は『我らの計画の目的を教えてくれ』と詠っているであろう」
「さきほどの詩? では、あれは……」
『処女王よ、長く恋を患う私に『愛』をご下賜ください。そうすれば、貴女がどんな計略を明かしても、私はそれに従います』
女王が繰り返したソネットの一節に、デヴァルーは思いをめぐらす。そこには明確な意図を持つメッセージが組み込まれていた。
「詩人が語るのは、その思想と主張。心地よい音韻の響きは、人の心に付け入る術。言葉は彼らの武器だ。共謀の見返りに『愛』を求める甘美な脅迫状」
「愛……」
元婚約者の激しい肉欲に、その腰を躍らせる美しい人妻。隣室で繰り広げられる獰猛で野蛮な行為が、果たして愛の名にふさわしいものなのか。デヴァルーは首を振った。
高貴な貴婦人への賞賛と献身的な愛は宮廷的価値観である。しかし、欲望は騎士道に反するものと禁じられている。その昔、アーサー王の妃グィネヴィアと騎士ランスロットの愛欲は円卓の騎士を分裂させ、国の基盤を内側から揺るがした。
「彼らは理不尽に引き離された恋人たち。束の間の逢瀬を楽しんでもよかろう」
「しかし……」
「お前もその責任の一端を担っているのだ。罪滅ぼしだとでも思えばよい」
デヴァルーはぐっと言葉に詰まる。隣室のベッドの軋みはいよいよ速度を増し、床を震わす振動が足から伝わってくる。
しかし、女王はそんなものはどこ吹く風というように、デヴァルーの前にある丸テーブルに大陸の地図を広げた。
「メアリー・スチュアートを廃するまで、ジェーンを外国に隠す」
「カソリックの巣窟に。安全な場所などあるのですか?」
「なければ作る。故に、大陸にツテのあるあの者の協力が必要だ」
女王は隣室に目を向ける。今まさに雌の中で果てようとする雄。彼の恋に捧げる情熱を女王は愛おしみ、また愛に命を賭けるその無謀さを惜しむ。
この貴公子は、オックスフォードを出たあと、ヨーロッパ各国を歴訪し、多くの知識人や政治家と交友を深めていた。
女王が寝支度のため侍女を呼んだので、デヴァルーはこれ以上の議論を諦めて部屋を出た。詩の女神と呼ばれる『伯爵夫人』の代わりに、女王の宿直の任に就く。
そして、その夜デヴァルーは一晩中、美しい実姉ペネロープ・リッチ伯爵夫人の艶めかしい呻き声に悩まされるはめになった。
詩人フィリップ・シドニーは 『イギリスのペトラルカ』と称され、伯爵夫人となった元婚約者ペネロープへの思慕を、十四行詩『アストロフェルとステラ』で切々と訴えた。
彼らの婚約が破談になったのは、フィリップの叔父ダドリーとペネロープの母レティスの再婚が原因だった。すでに親戚となった家同士でさらなる縁を結ぶ価値はない。一族の政治的判断が、愛し合う二人を引き割いた。
後にフィリップはオランダで軍功を立てたが戦死。残された幼妻はエセックス伯デヴァルーと再婚して、彼の後継者を得ることとなる。
そして、星と謳われた美しい『伯爵夫人』は、弟デヴァルーが処刑されるまで夫と離婚は叶わなかった。
* ソネット集「アストロフェルとステラ」 40番
As good to write, as of to lie and groan.
O stella dear, how much thy power hath wrought,
That hast my mind, none of the basest, brought
My still keep course, while others sleep, to moan.
Alas, if from the height of virtue's throne
Thou canst vouchsabe the influence of a thought
Upon a wretch, that long thy grace hath sought;
Weigh then how I by thee am overthn:
And then, think thus: althoug thy beauty be
Made manifest by such a victory,
Yet noblest conquerors do wrecks avoid.
Since then thiu hast so far subdued me
That in my heart I offer still to thee,
O, do not let thy temple be destroyed