41. 夜空の舞踏会
晩夏の日はまだ高く、大窓からの光で室内は明るい。しかし、燭台に幾千もの蝋燭を灯すのは、女王の宮廷を豪奢に飾るため。
月明りを思わせる銀糸がたっぷり織り込まれたドレスを纏った女王は、玉座から色とりどりに美しく着飾った貴族たちが踊る様子を眺めていた。まるで星を散らした夜空のように煌めく舞踏会。その中でも、特に明るく瞬く星がある。女王はまるで金星のように輝く『伯爵夫人』を目で追う。
この宮廷で女王よりも目立つことは厳禁。そのため、彼女は白レースのカートルに青花の刺繍で縁取りをした紺のガウンを重ねていた。しかし、地味な装いでも彼女の美しさは全く損なわれることはなく、逆にその控えめな姿は端正な美貌と輝く金髪をいっそう引き立てている。
彼女を凝視する女王の様子を、側に控えていた寵臣デヴァルーは心配そうに見守る。
「なぜ、彼女をここに?」
デヴァルーがそっと耳打ちすると、女王は口元を扇で隠して笑みを浮かべる。そこに妬心がないことを確認すると、デヴァルーは安堵の息を漏らす。
「詩の女神と謳わた貴婦人も、その実はただの不幸な人妻。不仲の夫と一緒では気が滅入ろう」
「しかし、既婚の婦人が一人でこんな場所へ」
「今夜は私の宿直を命じた。ゆっくりと羽を伸ばしていけばよい」
恋人レスター伯ダドリーのいない夜、女王は貴婦人や侍女たちを部屋に呼んでは、おしゃべりやカード遊びをして過ごす。妻が女王に気に入られることは夫にとっても誉れ。異を唱える者などいない。
「ですが、今宵は……」
デヴァルーが全てを言い終わらぬ内に、女王が立ち上がって広間の中央へと歩き出した。流れていた音楽が止む。踊っていた男女は左右に分かれて道を空け、女王にのために膝を折る。
女王は出窓のそばで所在なさげにしている貴公子に近づくと、おもむろに右手を差し出した。
「『最近ようやく聞いた話は、名もなき恋人たちの哀れな事情』*」
貴公子はすぐに跪いて、女王の手の甲にキスを落とす。
「『私が己でいられなくなった。そんな私の話を憐れんでいただけますか』*」
周囲の貴族たちが息を呑む。束の間の沈黙と好奇の目が女王と貴公子を包んだ。
「『ああ、月よ。 天上でも、不変の愛は愚かしいとされるのですか?』*」
そう問われて、女王は牢獄でのダドリーとの初めての逢瀬を思い出す。 若かった二人は愛を交わすため、来るべき死を先延ばすよりも、今日抱きあって死ぬことを望んだ。
「愛は地獄への誘い。それでも、お前は命を懸けるのか?」
「『たとえ高貴な光なる陛下が、いずれ死ぬという意義を虐げ、私の死を早めても』*」
「『破滅こそが凱旋。高みにおわす愛が生み出すもの』*か。 美しい韻律だ」
「恐れ入ります」
叙情詩を引用した洒落た会話に、女王は満足そうに微笑む。 二人がそのまま中央に進み出ると、宮廷楽隊がガリアードを奏でた。それは女王が好んで毎朝練習するダンス。宴でその相手を務めるのは、その夜に閨へ呼ばれる寵臣だけと決まっていた。
新たに女王の食指が伸びたのは、恋人ダドリーの甥である若く勇敢な軍人。その高貴で高潔な人柄は「イギリス男子の花」と讃えられた。文学にも造詣が深く、 彼の書いた散文ロマンスは後に人気を博し、シェークスピアの『リア王』にも登場することになる。
「『だが、高貴なる征服者は、破滅を避けんとする』*のであろう? 有能な若者の命を無下に奪ったりはせぬ」
「陛下。我が闇を照らす月よ。『何があろうとも。ああ、どうか私に、その目に映る宝をお分けください』*」
「気の毒だが、私は『残酷な裁きを以ってこそ、愛される唯一の暴君』*ではない。 ダドリーの可愛い甥を、危険に晒すことなど出来ぬ」
「『いいえ、どうか、ああ、どうか。不憫な私を見捨てないでください。 常に天頂にあって、この私を照らしてください』*」
芝居がかった会話を交わす二人を、みなが興味津々で観察する。 そして、若き日のダドリーを彷彿させる貴公子は、女王とダンスを踊り始めた。つま先での跳躍を多用するガリアードは軽快な三拍子。しかし、リュートの調べはどこかもの哀しい色彩を持つ。
「婚姻の準備はどうか?」
「万事滞りなく」
ダンスの途中でほんの少し近づく機を見て、女王は貴公子に話しかける。彼の妻となるのは十六に満たぬ病弱な少女で、諜報活動を司る秘書長官の娘。
「花嫁はまだ硬い蕾。無理にこじ開けてはならぬ」
「心得ております」
「あの体では、妻の勤めも果たせまい」
「いつの時代も貞節は愛の枷。『彼女が私のものである』*ための条件です」
「だが、お前は三十の男盛り。『欲望は食べ物をくれと叫ぶ』*のであろう?」
「言い訳はいたしません。『ほんの一度だけでいい。残酷な御心を得られるのならば』*」
「それがお前の望みか……」
運動量の多いダンスを踊っても、二人は息の一つも切らさない。 案の定、女王はダンスが終わっても貴公子の手を離さなかった。今夜の餌食となる男が決したと、貴族たちは影でコソコソと囁き合う。
そして、貴公子と共に宴を後にした女王を、真っ青な顔をしたデヴァルーが追う。 女王の寵愛を奪われて慌てるその様子は道化のように滑稽で、貴族たちの意地の悪い目を釘付けにした。
そのおかげで、今夜は星空から『月』だけではなく『金星』をも消えたことに、気付く者はいなかった。
* ソネット集「アストロフェルとステラ」より
『最近ようやく聞いた話は、名もなき恋人たちの哀れな事情』*
Yet hearing late a fable, which did show Of lovers never know a grievous case,
『私が己でいられなくなった。そんな私の話を憐れんでいただけますか』*
I am not I, pity the tale of me
『ああ、月よ。 天上でも、不変の愛は愚かしいとされるのですか?』*
O moon, tell me, Is constant love deemed there bur want of wit?
『たとえ高貴な光なる陛下が、いずれ死ぬという意義を虐げ、私の死を早めても』 *
And if from majesty of sacred light, Oppressing mortal sense, my death proceed,
『破滅こそが凱旋。高みにおわす愛が生み出すもの』*
Wrecks triumphs be, which Love (high set) doth breed.
『だが、高貴なる征服者は、破滅を避けんとする』*
Yet noblest conquerors do wrecks avoid.
『何があろうとも。ああ、どうか私に、その目に映る宝をお分けください』*
Whatever may ensure, O let me be Co-partner of the riches of that sight;
『残酷な裁きを以ってこそ、愛される唯一の暴君』*
Only loved tyrants, just in cruelty
『いいえ、どうか、ああ、どうか。不憫な私を見捨てないでください。 常に天頂にあって、この私を照らしてください』*
Do not, O do not, from poor me remove; Keep still my zenith, even shine on me.
『彼女が私のものである』*
I, I, O I may say, that she is mine.
『欲望は食べ物をくれと叫ぶ』*
But ah, desire still cries: “Give me some food.”
『ほんの一度だけでいい。残酷な御心を得られるのならば』*
But that which once may win thy cruel heart.