4. 二人のジェーン
心地よい眠気を感じ、女王は愛しい男の胸に頬を寄せた。疲れきった頭が急速に癒されていく。互いに歳を重ねて、昔ほどの体力はない。けれど、馴染んだ体と行為は、心を満たすのに十分だった。
「隣はまだ夢中なようだ。そろそろ一緒にさせるべきかもしれぬ」
「どうでしょう。障害が多いほど、男は燃え上がるものですが」
女王の女官と若い寵臣。隣室ではまだ激しい愛の行為が繰り返されていた。女王は失った若さと情熱を思い出す。命がけで寝所に忍んで来たダドリー。彼を受け入れながら、一晩中シーツを噛んで声を殺した初めての夜。
「懐かしいこと。ロンドン塔を思い出す」
「牢番には、ずいぶんと賄賂を渡しましたよ」
「罪人が犯されたところで、誰も気にしないだろう。欲深いことだ」
「あれは冤罪でしょう。貴方には姉上への反逆心などなかった」
「お前だって……」
女王の姉メアリーは、スペイン王家の血を引くカソリック教徒。彼女が王位につけば、再びローマ教皇の干渉と修道院の暴挙が復活する。それを退けるために、弟エドワード六世が後継者に指名したのは、国教徒の又従姉ジェーン・グレイだった。
在位九日で斬首となった彼女を擁立したのが、ダドリーの父。それに協力したダドリーも、反逆罪でロンドン塔に投獄されていた。
「私の罪は、若く美しい二つの命を無残に散らしたことです」
「ジェーン・グレイは、美しかったのか?」
「ええ。貴方に似ていましたよ。血筋でしょうね」
「私は母親似。彼女はお前の初恋の女性なのか?」
「私の初めては、すべて女王に捧げております」
ジェーン・グレイはダドリーの弟ギルフォードの妻だった。高貴な義妹の処刑に、彼が心を痛めたのは事実。19歳と16歳の夫妻は、死ぬには若すぎる。
若くして逝った彼女の分も生きてほしいと、娘に『ジェーン』と名づけたのはダドリーだった。そして、王家の思惑に巻き込まれないよう、娘の存在を隠しているのも。
「ジェーンの子は、ギルフォードと名づけます」
「ギルフォード・チューダーか。よい名だな。私たちの初孫」
「その本名は秘めておきましょう。私の息子ロバート・ダドリーJr.として育てます」
「だが、彼は私の後継者。成長した暁には王になる者」
孫を王位に就けることに、ダドリーは価値を見出してはいない。娘ジェーンにも孫のギルフォードにも、愛するものと共に生きる平凡な幸せが訪れればいいと思っていた。それは自分が求めて得られなかった夢。
しかし、女王の意向に背くことはできなかった。彼女が自分の孫を後継者と望むならば、全力でそれを支持するのみ。
「それには、宮廷からカソリック貴族を一掃する必要があります。後継者にスコットランドのジェームズ6世を推すものたちも」
「力ずくでは成しえない。姉の『血のメアリ一世』と同じ轍を踏むことになる。スチュアート派筆頭のセシルは忠臣なのだから」
「ですが、彼は私と女王の結婚に反対した。婚外子のジェーンは女王の正統な後継者ではない」
バーリー男爵ウィリアム・セシル卿は熱心な英国国教徒だったが、平和を望む姿勢から宗教的柔軟性を持っていた。強国との戦争を避けようと、女王にスペイン王との結婚を望み、ダドリーとの婚姻を断固として認めなかったのだった。
そのため女王の懐妊は隠され、出産は秘密裏に行われた。生まれた女児の乳母となったのは、女王の信頼厚い従姪のレティス。そして、そのレティスの息子が、まだ13歳のジェーンを孕ませたのは大人たちの完全な誤算だった。
レティスがジェーンの身代わりに妊婦を演じたのは、せめてもの罪滅ぼし。亡夫の喪中に淫蕩に耽ったと嘲笑されるのに耐えたのは、己の息子の所業への責めを負った結果だった。
「レティス、二人を連れてケニルワース城へ。あそこなら、人目に付かない。のびのびと暮らせるだろう」
「承知いたしました」
寝室の出口近くで寝ずの番をしていたレティスが、神妙な顔をして膝を折った。そんな彼女を女王は好ましく思ってはいたが、うらやましくもあった。
彼女は愛するダドリーの正式な妻。孫を嫡出子として日の当たる場所に出すための便宜上の措置であったとしても、その嫉妬心はなかなか消えなかった。
女王はダドリーの愛の証を見せびらかすように、わざと全裸のままベッドを降りた。その腿を伝い落ちたダドリーの体液が床を汚す様を見て、レティスはいそいで入浴用のお湯を用意するよう鈴を鳴らす。
「私はいい。ローズの湯浴みを」
隣室もようやく営みが終わり、別れを惜しむ若い恋人たちの会話が漏れ聞こえた。やはりそろそろ二人を結婚させる時期が来たようだ。
「ちゃんと掻き出すように。婚姻前に身ごもったら体裁がよくない」
未婚のまま妊娠したジェーンのことをあてこすられたと思ったのか、レティスは頭を下げる。これくらいの嫌味は許されるとばかり、女王は笑って後を続けた。
「デヴァルーも一緒に連れておいき。ただし、ダドリーはやらぬ」
「ありがたき幸せ。若い夫婦も喜びましょう」
今度はダドリーが頭をさげた。女王が彼を地方に行かせるわけがない。そして、彼も女王の側を離れる気は全くなかった。