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36. 不吉な予兆

 女王は真紅ドレスの上に深緑のマントを羽織り、真っ白な愛馬の背に横座りに腰掛けている。その左手のみに、肘まですっぽりと隠れる厚手の皮手袋。


 そして、その手袋の上には鳥の王者たる威厳を放つGyrfalcon(シロハヤブサ)が、目隠し用の帽子を被せられて大人しく出番を待っていた。


「それで、今はどんな様子だ?」

「脱出先のセント・アンドリュースから、スターリング城に移りました」


 野鳥の狩場へと続く森の中で、女王の馬はゆっくりと歩を進めている。女王が連れているのは少数精鋭の騎士のみ。馬の手綱を引くのは、従者を装った諜報部員。秘書長官の部下だった。


「主導者はカソリックか。やはりあの国から旧教を排除するのは無理なようだ」


 この十か月、ジェームズ6世を軟禁し、スコットランド政権を握ったのはプロテスタント貴族だった。そして、その傀儡の王を救い出したのはかつての側近。カソリックの寵臣たち。


「各地から続々と国王支持者が集まっております。おそらくは親政を引くことになりましょう」


 現政権に不満を持つ貴族たちが、ジェームズ6世の元に馳せ参じている。世論が彼らの正義に傾くのも、もはや時間の問題に見えた。


「秘書長官を大使として派遣せよ。国王を訪問し、その意図を探れ」

「御意」


 この諜報活動を妨害しようと、ジェームズ6世の側近はたった六ポンドで『魔女ケイト』と称する人物を雇い、城の門前で大使を侮辱させた。そして、それを無視されたことへの腹いせに、贈り物として用意された高価なダイヤの指輪を、安物のクリスタルにすり替えたという。


「内情を探るなら、リズリーが適任では?」


 女王の合図で従者から馬の手綱を引き継ぐと、女王の恋人レスター伯ダドリーが小声で進言した。公式の場で二人が寄り添うことはないが、女王はこうした私的な外出には必ず彼を側に置く。


「あの者は、お前と同じ意見であろう」


 積年の恋人の声に混じる非難めいた響きに、ダドリーは思い当たる節があった。女王の後継者にジェームズ6世を推している件。


「ジェーンには資格がありません」


 女王は独身。ダドリーは既婚者。二人の間に生まれたジェーンに王位継承権はない。


「私も庶子だ。知っておろう」

「それは存じています」


 父ヘンリー8世は女王の母アン・ブーリンとの婚姻を無効とした。そのため、娘のエリザベスは『婚姻関係のない父母の間に生まれた子』として、異母姉メアリーと同様に庶子の身分に落とされた。後に『第三継承法』で、身分は庶子のまま王位継承権が復活したのだった。


「私はあの父の娘。父にできたことを、私ができぬと思うのか?」

「ですが、ジェーンのためには……」


 ダドリーは娘が政争に巻き込まれることを危惧していた。このまま不自由なく、幸せな人生を送らせたいと切望している。


「あの子が不憫ではないのか? 夫にすら侮られて」

「可愛いからこそ!」


 王位に就くことが幸せだとは言えない。その足枷のために、女王とダドリーは愛し合いながら、正式な夫婦になることさえ叶わなかった。


「あの子は直系。しかも男子を産んだ。神の思し召しであろう」

「神などおりません。それは貴方様がよくご存じでしょう」


 ジェーンには夭逝した兄姉が何人もいた。その命を救ってくれるよう祈った神から、女王とダドリーはことごとく見放されてきていた。


「神はいる。マーリンがその証人」


 国王の前には、王家の大魔術師マーリンが現れるという。それはダドリーも聞いていたが、実際にその者を目にしたことはない。


「私の命があるうちに。ジェーンとギルフォードの地位を盤石にしておく必要がある」

「どういう意味ですか? まさか御身に何か……」


 マーリンは予言を持って王家を訪れる。それはたいていが死に関するものだった。母の死。王の死。異母姉弟の死。不吉な予兆。


「父は55で逝き、異母姉は42で病死。50を過ぎた我が命もいつ失われるか分からぬ」


 森を抜けた先は小高い丘となっていて、下方にある沼には野鳥の群れが浮かんでいた。女王はシロハヤブサから目隠しを取り、皮のポシェットから生の鶏肉を取り出す。


「母の紀章は『crowned (王冠を被った)falcon(ハヤブサ)』だった。権力を手にした鳥の王者」


 鋭い爪で鶏肉を皮手袋に押さえつけ、嘴で引きちぎるように食べる猛禽類の背を、女王の白い手の甲が愛し気にすべる。


「だが、すぐに処刑された。王の命令でな」


 シロハヤブサが肉を食べきったのを見て、女王はすいっと左腕を伸ばす。その流れに乗るように、シロハヤブサが羽音を立てて舞い上がった。突然の天敵の出現に、湖から野鳥が一斉に飛び立つ。


「権力は人を簡単に殺す。あの鳥のように」


 シロハヤブサは逃げ遅れた鳥を襲い、その隙に他の鳥たちは飛び去る。狙われた獲物はもはやその運命から逃れられず、その命を救おうとする仲間はいない。


「弱者は強者に抗えぬ。それが世の常」


 多くの命を守るために、集団には生贄が必要となる。それが極上の獲物であればあるほど、その力の象徴として価値を増す。


 狩りの出来栄えに満足したのか、シロハヤブサは獲物を地面に落とした後、女王の上空で弧を描く。女王が右手を伸ばすと、彼は主の命を理解して高度を下げた。獲物は主への捧げものとなる。


「今夜の食材だ。拾ってまいれ」


 鳥寄せをする女王を馬上に残し、ダドリーは少し離れた場所に落下した獲物に近づいた。


 草の上に落ちた鳥はシロハヤブサの鋭い爪で傷つき、周囲に羽毛を散らして息絶えていた。その無惨な姿を目にして、ダドリーの手が止まる。


「これは……」


 女王の予想に反して、それは食用になる鴨でも雉でもない。まして小さくて弱い鳩や雀でもなかった。


 おそらくは飼い慣らされて野生の勘が鈍っていた鳥。貴族の女性が好んで狩りに用いる小型の猛禽類『Merlin(コチョウゲンボウ)』だった。

社会的地位と猛禽類


国王:Gyrfalcon シロハヤブサ

公爵:Falcon ハヤブサ

伯爵:Peregrine ハヤブサの亜種

男爵:Buzzard ノスリ

夫人/令嬢:Merlin コチョウゲンボウ


「Book of Saint Albans」より抜粋

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― 新着の感想 ―
[良い点] 女王様、かっけー!でございます。 そして不穏…不穏しかない不穏… それにしても、立場によって鷹狩で使っていい鳥が指定?推奨?されているとかびっくりです。 日本だと鷹狩=鷹って感じですが、イ…
[良い点]  猛禽類が狩られるとか、めっちゃ暗示的!
[一言] 更新お疲れ様です!! 覚えていられるかは、?ですが……(^^;) 今回もまた勉強になりました。 ありがとうございます<m(__)m>
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