表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/56

28. 結婚許可証

【第11回ネット小説大賞一次通過作】

挿絵(By みてみん)

表紙:楠 結衣様

「ウィリアム・シェークスピアとアン・ウェイトリーの結婚を許可する」


 望んだ裁定を受けて、ウィルは胸をなでおろす。その隣では緊張した面持ちのアンが、司法役人席を見上げていた。


 ストラットフォード・アポン・エイボンの西40kmに位置するウスターは、大聖堂を中心に栄えた街だった。結婚許可を求めてわざわざ隣街まで出向いたのは、邪魔が入るのを恐れたから。


 乳母であるアンが城から出られるのは、娘メアリアンとの面会日だけだった。彼女の送迎手配はウィルの役目。正妻ジェーンの前では、デヴァルーも愛人への執着を隠す。情が浅いと見せかけるため、敢えて元恋人のウィルにアンとの同行を許していたのだった。


 月に一度のこの機会を利用して、ウィルはアンに求婚を続けていた。しかし、肝心のアンからは色良い返事はない。拒絶の理由は数え切れないほどあった。


 領主の息子デヴァルーの愛人を略奪すれば、使用人のウィルがどんな目に遭うか分からない。恩義あるジェーンに無断で、勝手な行動を取ることはできない。特に、彼女がアグネスとウィルの復縁を望んでいる以上、その意向に逆らう気はない。


 しかし、それは全て口実で、本当の理由はアン自身がウィルを愛していないからだった。


 絶望的に見えた展開に、思わぬ天の助けが下りたのはその夏の終わり。スコットランドでジェームズ6世が誘拐された事件だった。アンにそれを伝えられたのは、翌月の面会日。事件からすでに1ヶ月を経過していた。


「ジェームズ6世は、いずれ殺される」


 アンは動揺を隠すのに苦労していた。事件の詳細はまだ不明だったが、ウィルはそれを上手く利用する。


「今も獄中で、酷い扱いを受けているらしい」


 アンの手が震えている。リヴリーの話は本当だったと、ウィルは確信した。アンはジェームズ6世の女。


「城の客人、チャールズ様を覚えているか?」


 アンは真っ青な顔で頷く。チャールズ・ジェームズ・スチュアートは、ジェーム6世の本名だった。


「あれはスコットランド国王なんだ」


 アンは何も言わない。知っていたことを悟られないためだったが、ウィルには通用しなかった。


「僕の演劇を高く評価してくれた」


 アンはいつになく熱心に、ウィルの話を聞いていた。求婚への対応とは明らかに違う。


「彼の国でも上演できるよう、取り計らってくれてるんだ」


 アンの表情に微かな疑念が浮かぶ。地方の一介の劇作家に、それほど都合のいい話があるはずがない。


「その気になったら、これを見せて参じろと」


 アンが目を見張る。ウィルが取り出したブローチには見覚えがあった。国王のみが身につけられる紋章。


「おかげで僕は劇団の支配人にまで昇格した」


 アンは懐かしさに、思わずブローチに手を伸ばす。スコットランド国花アザミをかたどったアメジストは、ジェームズ6世がいつも身につけていたものだった。


「今こそ、その恩に報いたい」


 アンの手が止まる。見上げるアンの瞳が微かに潤んでいるのを、ウィルは見逃さなかった。


「不遇な国王をお慰めする」


 アンの目に光が灯った。別の男への深い情を見せつけられ、ウィルの心は穏やかではない。


「いざとなったら盾となって、お命を救いたいんだ」


 アンの表情に明るさが戻る。ウィルの安全よりもジェームズ6世の命を心配しているアンに、ウィルは少なからず落胆した。


「危険な仕事になると思う」


 アンは納得したように真摯に頷いた。他の男を気遣うアンへの憤りを隠して、ウィルは役者の仮面をかぶる。


「家族の支えがなければ、断念するしかない」


 アンの肩がピクッと揺れた。彼女の過去を知っていると気づかれないよう、ウィルは慎重に話を進める。


「一緒に来てくれくれないか」


 子まで成した初めての男を、アンは今も愛してると思われた。彼を救うためにその身を差し出すだろうと、ウィルはその可能性に賭けたのだった。


「でも、アグネス様が……」

「彼女は決してこの地を離れない」


 ウィルのこの言葉は、後に証明されることになる。アグネス・ハサウェイは生涯、生まれ故郷を離れることはなかった。


 アンはその場での即答を控えたが、翌10月の面会日にはウィルの求婚を受け入れる。婚約を反故にできないよう、ウィルは躊躇するアンを説得して、その場で慌ただしく夫婦の契りを結んだ。


『……僕への恨みを捨て去り、「貴方のことは嫌いじゃない」と言って、アンは僕の人生を救ってくれた』*


 そのときの彼女を讃えてウィルが詠んだ叙情詩(ソネット)145番は、シェークスピアの初期作品として後世へと語り継がれていくことになる。


 そして、翌月の面会日。帰路に遠回りをして、なんとか無事に隣街ウスターにたどり着いた。奇しくも、かつてこの街の城門で、戦場で勝利したヘンリー七世が「予言の子」という詩で歓迎されたという。


 妊娠可能性を申請の理由として、この婚姻に教会法上の障害がないという宣誓をする。


 近親者でもなければ重婚の疑いもない。既に肉体関係もある。許可証さえあれば、明日にでも結婚できる。司教がいるウスター大聖堂の国教会裁判所では、どの教会でも結婚できる「特別許可証」が発行されていた。


「教会法の特例により、結婚禁止令の実施を3回から1回に減する」


 通常は結婚式前の三週にわたって、日曜に教会で結婚を公表し、異議申し立てがないかを確認する必要があった。

 この制度は現代にも続く。結婚を望む男女または同性は、三回の日曜日を含む29日前までに登記所に結婚予告を掲示し、異議申し立てがないことを証明する必要がある。


 運よく明日は日曜。教会に出向いて結婚を公表し、その場ですぐに式を挙げればいい。秘密裡にことを運べば、異議を唱えられるような事態にならない。


 そう判断したウィルは、そのことを生涯後悔することになったのだった。


 *……'I hate', from hate away she threw, And(=Anne) saved my life, saying 'not you'.

【秋の歴史2023「食事」参加作】


スピンオフ『セレブの『元妻』が英国アフタヌーンティーの歴史を語る』

挿絵(By みてみん)

イラスト:みこと。@【とばり姫コミカライズ発売中】様♡


ご興味があれば、シリーズか下記のリンクからどうぞ♪

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 恋する男の身勝手さ、傲慢さの描写に臨場感があって、ウィルにものすごくイライラしました(いい意味でです!) キャラクターがwebの文字の上でだけ漂うよう、うすっぺらな存在ではなく、現実的な肉…
[一言]  後悔…なんだろう?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ