24. 女中奉公
「あの話は本当なのか?」
デヴァルーは奉公に励む女中を見下ろす。跪く女中の額には汗が滲んでいたが、唇の端から漏れる息は白い。汚れた場所を清め終わってから、女中はようやく動きを止めて、潤んだ目でデヴァルーを見上げた。
「旦那様も酔狂ですね。あの女は売女」
汚物が処理されたことを確認してから、デヴァルーは下履きの紐を締め直す。
内腿を伝い落ちる体液など気にする風もなく、女中は立ち上がって膝に付いた藁を払った。素早くスカートの皺を伸ばし、乱れた髪を白いハーフボンネットの中に押し込む。
「本当なのか、と聞いているんだ」
苛立ったデヴァルーの声に、女中は豊満な胸を強調するように肩をすくめる。その様子には悪びれたところはなく、むしろ男の視線がどこにあるのかを楽しむような仕草だった。
「本当ですよ。あの女は上流専門の娼婦」
厩舎の裏にある飼葉用の納屋には、朝晩の餌やりの時間以外に出入りする者はいない。冬の最中に暖房のない小屋など、男女の密会でなければ近づきたくない場所だった。
「旅芸人の嫁だろう?」
「ですから、芸を売っていたんですよ」
デヴァルーは咄嗟に女の首をつかむ。女はそれに驚くこともなく、男の手をゆっくりと首から外す。
「私を殺しても、なんの得になりませんよ」
女の体から立ち上る雌の匂いに反応して、デヴァルーはとっさに身を離した。力では勝てないと本能が訴えていた。
「もう一度言う。知りたいのは真実だ」
デヴァルーは着たままだったコートの襟足を引っ張って、さっと身なりを整える。
「あの女が産んだのは、夫の子じゃないんですよ」
「では、誰の子だ?」
重要なのはそこだった。デヴァルーはそれを確かめるために、事情を知っているだろうこの女を雇ったのだ。
「それはまた次に。もう戻らなくては、みなに怪しまれてしまいます。奥様にも夕食の献立をうかがわなくてはいけませんから」
妻ジェーンの顔が浮かび、デヴァルーの火照った体は急速に凍えだす。
女中との一時的な行為などに、ジェーンは憤ったりしない。だが、相手がこの女である以上、その繋がりから余計な詮索をする可能性はあった。
「2週間後。同じ時間に」
女中は膝を折って挨拶をしてから、納屋の裏口から厨房に向かう。
少し時間をおいてから、デヴァルーは表から出て厩舎に入った。鼻腔にこびりつく女の匂いを、馬糞臭で消すために。
デヴァルーが馬に丹念にブラシをかけてから屋敷に戻ると、居間ではジェーンと女中が夕食の話をしていた。
「デザートはアップル・クランブルに。旦那様は甘いものがお好きだから、リンゴは多めにね」
「承知いたしました」
「冬にリンゴが食べられるのはありがたいわ。お前の知り合いのおかげよ」
「ありがたきお言葉。亡き父が結んだご縁です」
晩夏に逝った父を思い出すと言って、女中はスンと鼻を鳴らした。ジェーンはその様子を見て、同情したように女中の肩に手をかける。
ジェーンのお気に入りの青りんご。それを作る農家は、この女中の紹介だった。父親の葬式にりんごを持って弔問にきた者がいたという。加熱しなければ食べられない品種だが、日持ちがするし、なくなった頃を見計らって農家の老婆が売りに来ることになっていた。
さも今デヴァルーに気が付いたような顔をして、女中は膝を深く折ってお辞儀をした。そして、そのまま何事もなかったかのように、厨房へ戻っていく。
「旦那様、厩舎においででしたの?」
「ああ。馬臭いか?」
「いいえ。でも、床に藁が落ちているので」
居間のドアとデヴァルーの中間あたりに、飼葉が1本落ちていた。女中が落としていったものだ。冷えていたはずのデヴァルーの体が、急激に汗ばむ。
「すまない。靴についていたようだな」
ジェーンは何も言わずに、ニコニコと笑っていた。何かを知っているのか、または何も知らないのか。その笑顔からは彼女の本心は計り知れない。
デヴァルーは急いで話題を変える。
「何か不自由はないか?」
去年の冬は城で過ごしたために、彼女がこの屋敷で冬を迎えるのは1年ぶりだった。夫婦水入らずの生活。
「大丈夫よ。アンがお城勤めになって退屈していたけれど、いい人が代わりに入ってくれたわ。旦那様の采配のおかげね」
ジェーンのお気に入りの女中アンは、ずっと城に留め置かれている。表向きは乳母として嫡出子『ロバート』の世話のためだったが、デヴァルーは義父に何か別の思惑があることに気がついていた。
「ウィルの知り合いはいつも正解ね。アグネスは働き者よ」
彼女の働きについては、なんの文句もなかった。デヴァルーも十分にその恩恵にあずかっている。
「まだ20代半ばなのに、『いかず後家』なんて言われて、実家には身の置き所がないんですって。ひどい話だわ」
「庶民は感覚が違うんだろう。代替わりをすれば小姑は煙たがられるものさ」
彼女の年齢は出産には遅すぎる。産褥で命を落とすことの多い時代、若さこそが身を守る武器だった。
デヴァルーより10歳も年上の女。その魔性に狂ったと言われれば、彼に立つ瀬はない。だが、経験豊富な女の奔放な性技は、若い男の欲を満たして余りある魅力だった。
「ねえ、ウィルと元鞘にならないかしら。アンを取り上げてしまったから、今は一人で寂しいでしょう?」
年明けに住み込みで雇った女中。アグネス・ハサウェイはウィルの恋人だった。今も関係が続いているかどうかは、デヴァルーの知るところではない。
「どうだろうな。彼が戻るのは暖かくなってからだ。冬の旅は危険だからね」
ここにいるあの女を見たら、ウィルはどう思うだろうか。それを想像するとデヴァルーは気が滅入った。
永遠に夏が来ないことを祈りながら、デヴァルーは床に落ちた藁を拾い上げる。その手の中の藁から微かに己の匂いが漂った気がして、デヴァルーはそれを即座に握りつぶした。




