12. 側女の条件
「この近くの森には、妖精がいるんですって」
愛の営みの余韻に浸っていた夫デヴァルーの横で、全裸の妻ジェーンが楽しそうに話し始めた。夢物語に憧れを抱き、その世界に浸り切る。その様子は、彼女がまだ14歳であるという事実を示していた。
事後の彼女の肌は瑞々しく、体の動きに合わせてプルプルと揺れる臀部が艶めかしい。うつ伏せて枕に頬杖をつき、上目づかいで両足をパタパタさせる姿は、それこそ妖精のように愛らしかった。
「どこの森?」
正直、デヴァルーに少女趣味はない。妖精や小人の存在よりも、雉や狐、鹿や猪の生息のほうが気にかかる。森は良い狩場かどうかが重要だった。
しかし、彼は関心のあるフリをする。そうすれば妻の機嫌が良くなり、城に帰る前にもう一回抱けるかもしれない。そんな欲望と打算があってのことだった。
「アーデンの森よ。妖精王と王妃、それからイタズラ好きな小僧の伝説があるの」
「誰に聞いたんだ?」
「アンよ。ギルの寝かしつけに、色々な話をしてくれるの」
その名に一瞬でも心が揺さぶられたことを、デヴァルーは必死に隠そうと努めた。ジェーンはそれに気が付かないフリをする。
「旅芸人たちは、その地方の伝説を取り上げて演じるらしいな」
「外国のお話も?」
「あの一座が、海外で興行していたとは思えないけれど……」
「じゃあ、本で読んだのかしら」
旅芸人に文字が読めるはずがない。誰かが読み聞かせたか、語ったかのどちらかだろう。アンの知り合いで外国文学に詳しい者など、デヴァルーには一人しか思いつかない。
「どんな話? その、妖精が出てくるっていうのは」
「惚れ薬の話よ。とっても面白いの。でもね、アンも途中までしか知らないって。続きが気になるわ」
ジェーンが残念そうな声を出す。この地域の伝説なら、やはり情報元はウィルに違いない。彼に聞けば分かると、デヴァルーは確信する。
「僕が調べよう。内容を詳しく教えて」
デヴァルーがそう言うと、ジェーンは輝くような笑みを浮かべる。しかし、その笑顔の奥には、己の立場を守ろうとする女の計算が隠されていた。
「それが、全部は覚えていないの。アンに直接聞いてくださる?」
「じゃあ、明日にでも」
「今夜ではダメ?」
「もう遅い。彼女も寝ているだろう」
「授乳があるから、まだ起きていると思うわ」
目の前にチラついたアンの乳房を、デヴァルーは急いで頭の中から追い払った。そんな夫の欲望を見てとった妻が、追い討ちをかける。
「アンには、旦那様のお相手をするように言ってあるの」
「僕は赤ん坊じゃない。乳母は不要だよ」
「アンではご不満かしら。お城の女には見劣るけれど、とっても優しい子よ。乳母が不要となっても、ずっと側にいて欲しいの」
ここで言い争うのは、デヴァルーにとって得策ではなかった。下手に固辞すれば、妻の不興を買う。確かに主の手がつけば、離乳後も乳母をこの屋敷に留める理由ができる。それに対して異存はない。
実際、相手がアンでなければ、こんな風に躊躇はしなかった。その証拠に、デヴァルーが城に泊まるときは、いつも女が閨に侍っていた。彼の母レティスの子飼いの侍女が、その役目を勤める。デヴァルーがへたな女に現を抜かして、ジェーンをないがしろにすることがないようにとの配慮だった。
それでも、田舎の別宅に隠れ住むジェーンにとって、遠いロンドンの母女王の威光だけでは心許ない。頼みの綱である父レスター伯も、今回は同行していなかった。
この地では義母レティスとその息子デヴァルーが最優先とされる。城の侍女が身ごもれば、この屋敷への夫の足が遠のくかもしれない。
側女が必要なら己の手の内にいる娘が望ましいと、ジェーンは常々考えていたのだった。
「しょうがない。アンに話を聞くことにするよ」
「そのままお城にお戻りになる?」
「ああ。話を聞いたら、すぐにね」
アンを訪ねた後で、この寝室に戻ってくるのは気まずい。何があったとしても、何もなかったとしても、ジェーンにその意味を探られたくない。デヴァルーはそう思った。
「私の願いを聞いてくれて、とても嬉しいわ」
「君のわがままには慣れているからね」
デヴァルーはそう言うと、ジェーンに毛布をかけてから、その額にキスを落とす。そして、ベッドから降りて、見苦しくない程度に体を清め、身支度を整えた。妻公認とはいえ、下着もつけない寝巻姿で別の女のところに行くわけにはいかない。
ジェーンは呼び鈴を鳴らして、入浴の用意をさせる。そして、今夜は老乳母の部屋で、カードをして過ごすことにした。デヴァルーが城に泊まる日、いつも彼女はそうして気を紛らわせていた。貴族の常とはいえ、愛する夫を他の女と共有するのは、いつも胸の痛みを伴うものだった。
デヴァルーが向かった部屋は、母屋ではなく離れにあった。赤子の泣き声が眠りの浅いジェーンの妨げにならぬよう、息子のギルフォードとその使用人たちが暮らす場所。いつもなら赤子たちが眠っている乳母部屋のゆりかごが、今夜は空っぽだった。
「旦那様、お待ちしておりました」
デヴァルーを出迎えたアンの顔色は、蝋燭の光のせいか青ざめて見えた。デヴァルーは黙って頷いてから、部屋の奥にある乳母には豪華すぎるベッドの端に腰掛けた。
「ジェーンが、無理を言って悪かった」
「いえ。今宵は寝ずに旦那様をお守りするよう、奥様から仰せつかっております」
「ここに来て、座ってくれないか」
「はい」
アンが隣に座ると、デヴァルーは彼女の膝に頭を乗せて、そっと横になった。そのデヴァルーの髪を、アンがぎこちない手つきで撫でる。
「早速だが、妖精の話を聞かせてくれ」
納屋で聞いた寝物語を、アンは静かに語り出した。
緊張で震えがちなその声を聞きながら、デヴァルーは継妃シェヘラザードの話に千夜も魅了されたというペルシャの王に思いを馳せたのだった。