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11. 魔女の使命

挿絵(By みてみん)

表紙作成:楠 結衣様


 スコットランドのインナー・ヘブリディーズ諸島。その西の果てに位置する孤島スタファ。


 絶滅危惧種パフィン鳥が生息するその島は、六角柱状節理が発達した玄武岩で形成されていた。火山活動でできたこの石柱群は、北アイルランドでは『巨人の(ジャイアンツ)石道(・コーズウェイ)』と呼ばれ、様々な伝説が語り継がれている。


 そして、天然の聖堂として信仰された海食洞は、このスタファ島に存在していた。波に侵食されてアーチ状になった天井に、打ち付ける水音が不気味に響く。後にメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』で有名になるが、ここは今も昔も変わることなく無人の聖地だった。


 その無人島には、今夜も小さな灯が点っている。吹き荒ぶ風に炎が揺れてチラチラと瞬く様は、漆黒の闇夜に一つだけ光る星のように見えた。

 それは岩肌の窪みを利用して建てられた、小さな小屋の窓の明かり。そのみすぼらしい外見に反して、中は美しい異国の織物が敷き詰められ、東洋の芳しい香が焚かれていた。


「おばば様。人様の裸を覗き見るのは、全く感心いたしませんわね」


 夕食の盆を持って部屋に入った妙齢の女性は、師匠の前に置かれた水晶の映像を見咎める。おばば様と呼ばれた老人は素早く手をかざして、メロンのようにまん丸な乳房を消した。


「誤解じゃよ。女の裸なら鏡を見りゃいい。わしの体に敵うものなぞ、この世にはおらん。乳が見えたのはたまたまじゃ。たまたま……」

「はあ、たまたま、ですか。もし見ていたのが睾丸でしたら、私、今すぐ破門していただいてますよ」

「ゲイリス、お前は本当に失礼じゃな。それでも弟子か。わしゃ『傾国の貴妃』と謳われた女。古今東西、そっちも見飽きとるわ!」


 師匠マーリンの暴言に、ゲイリスはため息をついた。そして、薬草酒を木杯に注ぎながら、いつもの苦言を呈す。


「時空を超えるのはいいですよ。歴史の証人は賢者のお役目ですから。ですが、行った先々で周囲を引っ掻き回すのはおやめください。神の怒りを買いますよ」

「人聞きが悪いのう。神の真理を試しておるんじゃよ。『宇宙のれこーど』がちゃんと機能するのか。ま、品質保証管理さね」

「神の御心(みこころ)を品物に例えるとは……。屁理屈も、ここに極まれりですわね。旅から戻るたびに失恋に泣き喚くおばば様を、慰める私の気持ちにもなってください。業務外手当を要求しますよ」


 偉大な魔術師マーリンの能力をもってしても、決められた歴史を変えることはできなかった。それでも、ほんのたまに神は気まぐれを起こし、人に道を選ばせる。


 ゲイリスは師匠の前に広がるカードに、サッと目を走らせた。


「おばば様がタロット。珍しいですね」

「『宿命の乙女』の配役が出揃ったんじゃよ」


 真ん中のカードは『恋人』。その両隣に『運命の輪』と『世界』が位置する。それらを三方から取り囲むのは、『皇帝』『愚者』『吊るされた男』で、少し離れた下方に『隠者』と『女帝』が置かれていた。


「あの赤子の未来ですか? 随分と分かり易い組み合わせですね」


 弟子の質問には答えず、マーリンはカードを裏返して混ぜ回す。


「わしゃ、カードは苦手でのう。外してばかりじゃ」

「狙い過ぎなんですよ。カードは選ぶのではなく、手に落ちてくるもの。私にそう教えたのは、他でもないおばば様でしょう」


 テーブルに散らばったカードをゲイリスがめくる。


 一枚目は『魔術師』。次は『悪魔』、そして最後は必ず『死神』が出る。これが彼女の運命だった。


「だからカードは嫌なんじゃよ。この嘘つきが!」


 マーリンが死神のカードを奪い取ると、その指にツーっと血が伝う。その傷にゲイリスが手をかざした。彼女が得意とする治癒魔法。


「ペーパー・カットですね。おばば様は相変わらずそそっかしい。これからは気をつけてくださいね。できるだけたくさんの治療薬(ポーション)を作っておきますから」


 この弟子は薬草を扱うことにも長けていた。マーリンが後継者とすべく育てた一流の魔術師。


「のう、ゲイリスよ。しばらく、そうじゃのう、十年でええ。賢者修行に出ないかえ。わしに代わって、異次元で歴史の証人に……」


 ゲイリスは、何度も同じ誘いをマーリンから受けていた。そのたびに同じ答えを繰り返している。


「諦めが悪いですよ。運命からは逃れられない。ご自分で何度も試されたのでしょう?」

「じゃがの、ようやく『宿命の乙女』が生まれたんじゃ。お前の運命も変わるやもしれん」

「では、その日が来るまで、私は私の志を全ういたします」


 弟子を過酷な運命から救わんと、マーリンは様々な可能性を歴史に探求してきた。しかし、どれも失敗に終わっていたのだった。


「賢者なぞ、なるもんじゃないのう。ただ傍観するだけ。孤独じゃよ」

「それが使命でございましょう。私にも高位魔術師としての使命があるのです」

「治癒魔法で傷病に苦しむ人々を救うのは尊い行為。じゃが、それがお前の命を奪う。理不尽じゃろが」


 賢者らしくない師匠の言葉に、弟子は思わず笑みをもらした。マーリンと共に悠久の時を生き、世界の歴史を見守る魔術師が見つかることを、ゲイリスは心から祈る。


「お忘れですか。賢者はなんでも知っているのに、何も知らないフリをする。おばば様の恩師もそうだったのでしょう?」

「ほ。あの御仁は『暗黒面は全てを曇らせる。未来が見えなくなるんじゃ』なぞと嘯いて、実際はしっかり予見しておったな。で、ただ『ふう』とため息を吐く。完全なるペテン師じゃよ」


 マーリンはそう言って、やはりただ「ふう」とため息をついたのだった。


 それからしばらくの後に、ゲイリス・ダンカンはマーリンとの師弟関係を解消し、生まれ故郷のトラネントに帰る。そして、裁判補佐官の屋敷で女中をしながら、治癒魔法と治療薬(ポーション)で多くの者を痛みと苦しみから救った。


 そんな彼女が魔女として捕らえられたのは、マーリンの元を去ってからちょうど九年後のこと。


 それが発端となり、冤罪で数百人の女性が火あぶりとなった一連の事件は『ノース・ベリック魔女裁判』として、スコットランド史に刻まれている。

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― 新着の感想 ―
[一言] 『皇帝』アレク 『愚者』ローランド 『吊るされた男』カイル 『隠者』ヘザー 『女帝』セシル かな?
[良い点] スコットランドの、あの寒々しく厳しい、そして雄大で幻想的な光景が眼の前に浮かびました。 すごい……! 超絶本格ファンタジー! なのに睾丸(笑) おばば様ったらもう、チャーミングなんだから…
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