新興宗教 天生教 1
オリビアが加わってから1か月ほどが経過した。彼女が加わったことでダリルとシェリーの生活は一変した。それまでだらしない人間同士だった二人は鬼嫁とも言うべきオリビアによって管理され始めていた。
「こらシェリー! また漫画を読んだら読みっぱなし! お菓子の袋を机に置きっぱなし! ちゃんと片付けなさいって言ってるでしょ!」
「ご、ごめんなさぁい。すぐに片付けるわ」
「はい。よくできました」
「大変だなぁ。シェリーも」
「あんたもあんたで服脱ぎっぱなし。脱いだらかごに入れてって言ったわよね?」
「…はい」
2人ともオリビアの剣幕に気圧され、たじたじになってしまう。彼女は加入1か月にしてこの家を支配していた。
だが3人はこの生活に充実を感じていた。ダリルとシェリーの2人の時は最低限していれば、お互いの生活に干渉しあうことは無かった。脱ぎっぱなしでも散らかしっぱなしでも、それぞれが片付けたいときに片付ければそれでよかった。
だがオリビアが来たことで、注意しあう文化が生まれ、コミュニケーションはさらに増えた。それに伴って笑顔も増えていた。
「まったくあんたたちよくこれまで暮らしてこれたわね」
「まぁ飯食って寝るくらいだからなぁ」
デスクチェアに座ったダリルが頭を掻きながら言った。
「私は貴方たちのお母さんじゃないんだから…」
「あら、私はとっくにお母さんだと思っていたわ。実際にお母さんがいたらこんな感じだったのでしょうね。何度も読んだ漫画と同じよ」
「…そんなこと言われたら何も言えないじゃない。ダリル、あんたちょっと来なさい」
「ん?」
「あら、二人ともどこかへ行くの? 私も行くわ」
「ちょっとだらしないダリルを怒ろうと思ってね。シェリーは聞いちゃダメよ?」
「あ…それは遠慮しておくわ…」
読み終えた漫画とお菓子のゴミを片付けたシェリーは気を取り直してソファに寝転がり、新たな漫画を読み始めていた。
オリビアはシェリーに聞かれない為、ダリルを外へ連れ出す。
「シェリーは何者なの? あんな魔法を使えるなんて普通じゃない。それに実際にお母さんがいたらって彼女は親に会った記憶すらもないの?」
「シェリーは俺が拾ってきた孤児だ。仕事絡みでな」
「仕事ってあんたまさかシェリーの親を…」
「んなわけねえだろ。俺があいつを拾ったのは新興宗教組織の魔法研究施設だ」
「かなり前に集団失踪って話題になったけど、あれあんたがやったの?」
「あぁ。もう10年近く前か。あの施設は子供で溢れかえってた。今でも鮮明に覚えてるよ。まだ喋りもあやふやな子どもを無理矢理実験台にして研究に使ってた。それも魔力の高い子を選んで拉致してきた子だ」
「そんな酷いことが…」
「俺も幻術で忍び込んだ時は目を疑ったね。こんなことが現実で起きてるのかって。子供たちはぼろ雑巾みたいな服を着せられて、足枷、手枷も着けられてよ。俺も足が竦んだ。施設の奴等の目的は天国へ行くことだった。この残酷で騙し合い、蹴落とし合う世界に絶望した人間の集まりだ。そう思うのも無理はない。シェリーも実験台の1人だった。シェリーは子供達の中でも大きくてな。ちゃんと喋れるこだった。それに…」
「それに…」
「初見で俺の幻術を見破ったんだ。幻術で周囲から見えなくなっているとはいえ、あまりの光景に絶句していた俺は固まってたんだ。そこに気が付かないうちに、『お兄ちゃん、誰?』って話しかけられてな。施設にいた全員にバレた。そこでだ。俺は咄嗟にシェリーを人質にして、首元にナイフを当てて、奴らを脅した。あいつらにとってもシェリーは大切な被検体らしくてな。大人しく逃がしてくれたよ」
「ってあんた失敗してんじゃない」
「まだ終わってない。俺はシェリーを盾に幻術を施設全体に掛け直した。そのまま施設の奴らは全員殺したよ。そしたらだ。人の死を初めて目の当たりにしたシェリーが暴走したのか分からんが、腹の孔を開けて、施設にいた人間を吸い込み始めた。俺は急いで幻術をかけて逃げたが、そのあと戻ったら、倒れたシェリー以外誰もいなかった。やばいと思った俺はシェリーを抱きかかえて、ここに帰ってきてたよ」
「…そうだったのね。あの孔は天国に行く為の孔…」
「だろうな。多分適合した人間はシェリーだけだったんだろう。何人もの子供の悲鳴を聞いたが、誰も生きてはなさそうだった。孔の力をコントロールし始めたのもここ5年か6年くらいだ。あの孔は死人に反応する。死人が近くにいれば勝手に吸い込んでしまう…」
「ダリルー、電話よー」
玄関の扉を開けて、息を切らしたシェリーが勢いよく出てきた。ダリルとオリビアは驚いて振り返るが、シェリーはなになにと不思議そうに二人の顔を交互に見合わせた。
「分かった。オリビア、また今度な」
「ちょ、ちょっと…!」
「オリビア、何の話をしてたの?」
オリビアは逃げるように戻っていくダリルに手を伸ばしたが、ダリルはシェリーの横を通り抜けて、机に置かれた電話を取った。
「はい、エルズベリー暗殺事務所」
「ダリル・エルズベリーだね?」
電話口では老獪な男性の声が聞こえた。とても落ち着いていて聞き取りやすい声をしている。
「? えぇ、そうですが」
「9年前、新興宗教の魔法研究施設で起こった謎の集団失踪事件。あの時、暗殺に赴いていたというアサシンは君で間違いないね?」
「…えぇ」
「そうか。そんな君だからこそ依頼したいことがある。内容は電話だと言い辛い。実際に会って話したいが如何かね」
「…一応伺います。動機は?」
「無い」
「分かりました。お会いしましょう。場所はどちらで?」
「アストラだ。移動費などはこちらで用意しよう。領収書を切っておいてくれ。それと列車での移動になるだろうが、アストラの駅に着いたら、迎えを用意する。全身黒いスーツでサングラスをしているはずだ。その者にマイルズ・クロフォードの使いだと言ってくれ。そうすれば分かる」
「アストラ、マイルズ・クロフォードさん、ですね。了解しました。準備が出来次第向かいます」
「あぁ。よろしく頼む」
男性が電話を切ると、ダリルも電話を切った。この時、立ったまま電話をしていたダリルだったが落ち着いて椅子に腰かけた。その後、外で喋っていたシェリーとオリビアが電話が終わったことを察して戻って来た。
「仕事、受けるのね」
「あぁ。だがシェリーは今回は留守番だ」
「嫌よ。私も行くわ」
「ダメだ。今回だけはダメだ」
「知っているのよ。ダリルとオリビアがさっき私の事を話していたの。オリビアの様子がおかしかったから問い詰めたら話してくれたわ。私は私のことをもっと知りたいわ。電話も聞いていたけど、私を拾った場所と関係があるんでしょ。私も絶対行くわ!」
「ごめんなさい。でも私も行かせてあげほしい。シェリーも自分自身の事で悩んだ頃があるはず。いえ今もそうね。如何なることがあっても自分のことは知りたいものよ」
「…あんな地獄にシェリーはもう連れていきたいくない。だがシェリーももう大人だ。判断は任せる」
「…ありがとう。ダリル。やっと私は私の事を知ることが出来るのね…」
3人は準備を済ませ、依頼人マイルズ・クロフォードが待つ街、アストラへ向かった。シェリーを拾った宗教施設に関連する依頼であることは間違いないとダリルは踏んでいた。一方でシェリーは包み隠された彼女の真実を知る為、覚悟を決めていた。