変貌のオリビア 6
それから半月ほどの月日が経った。
事務所には1日何本もの電話が舞い込んでくる。人間のエゴとは恐ろしいと思いつつ、けだるげにダリルは全ての電話を取り続ける。
「はい。こちらエルズベリー暗殺事務所」
足を組みながら、適当な声色で返答する。声を聞く限り、電話相手は若い女性。向こうから一方的な話がつらつらと語られ、興味ないなと鼻をほじりながら聞くダリルはようやく話が一段落したと感じた所で喋り始めた。
「あのー、一つ聞かせて頂いていいですか。動機とかってあります?」
「はぁ!? そんなの浮気したアイツのことが許せないからに決まってるでしょ!?」
「あぁ~そうですよね~。でもねお姉さん、人ってそんな簡単に殺すもんじゃないですよ。彼氏さんも人間ですから間違いもありますわ。許してあげるのも器量、度量ってもんじゃないですか? いやいやお姉さんが悪いって訳じゃなくてね…? 山あり谷ありがあってこそ良いパートナー関係を築けるんじゃないですかね。まあ一度話し合ってみて、やっぱり許せないんだったら、訴えたりしたらいいんじゃないですか? 殺すよりお金貰って遊んだほうが後々良いですよ。殺しちゃったら一生心に残りますからねぇ。あ、もう大丈夫? はい、どうもー」
電話の女性は怒り狂ったまま、一方的に電話を切った。それにため息をついて、ツーツーと鳴る受話器を置いたダリルはチェアの背もたれに背中を預けた。
「また浮気相手の殺し?」
「あぁ。ったく。浮気だの不倫だのぐらいで殺そうとすんじゃねえよ。ピュアか」
事実、寄せられる以来の多くは男女関係のもつれ、痴情を発端としたものばかりである。もはやダリルもこの手の話を聞きすぎたせいか、あしらうこと、断ることにも慣れてしまい、嫌気すら差していた。
「男女の関係はよく分からないわ。何故そこまで1人の人間に執着するのかしら。また別の相手を探したり、仲直りすればいいだけじゃない」
ソファで寝ころびながら漫画を読むシェリーが話しかける。目線は漫画から逸らさず、声だけをダリルに向ける。
「理論的にはそうだけどな。人間ってのは難しい生き物なんだよ」
「ふーん。私にもいつか分かるのかしら」
「そんだけ恋愛漫画読んでて分からないなら、一生無理かもな」
シェリーの読んでいる漫画を確認して、頬杖をついたダリルが茶々を入れた。
「失礼ね。これはフィクションだから面白いのよ。現実にこんな甘い言葉を囁きまくる人間がいたら気持ち悪いわ」
「そうかい…お前の彼氏を生きてるうちに見てみたいもんだ」
「その言葉は彼氏を彼女に変えて返すわ」
「うっさいわい」
他愛ない会話をしながら今日も仕事を受けず、だらだらと1日が終わっていく。それだけ1件の仕事の報酬は莫大なのである。前回のオリビア・ロング殺害では市長から2倍の報酬を踏んだくったので、贅沢に飲み食いしても暫くは余裕をもって暮らしていける余裕はある。
二人が話し合っていると、家のチャイムが鳴った。この家に直接、人が来るのは珍しいことだ。何せ田舎町の高台の頂上にある家だ。まず山、坂を上るのがきつく、そもそも電話番号は有名になるにつれて、拡散されるが、家は存在さえ知られていない。わざわざこんなところまで来る人物と言うのはよっぽどなのである。
「シェリー、出てこい」
「えぇ~。私が行くの? 今いいとこなのだけれど」
シェリーは渋々、漫画を机に置いて、玄関へ小走りしていった。
「はーい、どなたー?」
「こんにちは」
「あら綺麗な方。何か御用?」
外に立っていたのは麗しい黒髪の女性だった。背も高く、小さいシェリーがかなり見上げる形になっている。
「エルズベリー暗殺事務所はここで合っているかしら?」
「えぇ。そうよ。お客様ね?」
「いえ、そうではないの。ダリルさんはいる?」
「えぇ、いるわよ。お話がしたいのね。どうぞ上がって!」
シェリーはその女を何の迷いもなく、家へ上げた。それは二人の絶対的な自信の現れでもあった。実際にこれまでも話をしたいと言って、家に上がったが、正体は二人の暗殺を依頼されたアサシンであったということもあった。しかしそのことごとくを二人は撃退している。誰が来ようと、我々が負ける、殺されるはずがないという圧倒的自信から来る行為だ。
「ダリル。この人がお話をしたいと言ったから連れてきたわ
「おぉ。そうか。どうぞ。こちらのソファへ」
ダリルは机にあったシェリーの読みかけの漫画を片付け、シェリーが寝ころんでいなかった奥のソファへ手を差し伸べて案内をした。
女性はソファの真ん中に座り、手を腹の前で組んだ。
ダリルとシェリーは対面するようにソファに腰掛け、気まずそうにする女性に話しかけた。
「で、お話って。オリビア・ロングさん」
「え!? オリビアなの? 全然顔が違うわ」
シェリーが酷く驚き、ダリルとオリビアと呼ばれた女性の顔を交互に見合わせた。女性も少し驚いていたが、ふっと笑って、正体を明かした。
「何でもお見通しね。ダリル。でもこっちの方が分かりやすいでしょ?」
女性の顔が見たことのある顔に変わった。髪も金髪のボブカットに変わり、それを見てシェリーは口元を抑えて、あら、と声を漏らした。
「さっきまでのは私の本当の顔よ。自分でもたまに分からなくなるけどね」
「まぁ。本当の顔も綺麗なのね。転生も出来て良かったわね」
「転生? もう何が何だかよく分からないわよ。それを聞きにここに来たの」
オリビアは事情を説明した。オリビア自身、あの時にダリルの幻術にかかり、殺されたという実感があった。しかし目を覚ましてみれば、自分の家のベッドの上でだったと言う。最初は天国か地獄かとも思ったらしいが、外の街並み、人は以前と同じで、日付は殺された日から1週間経っていた。あまりにも不可解な出来事に、殺されたことが夢だったのではないかと思い始めた彼女は、その真相を突き止めるべく、ここへ来た。
「まぁそうだな。結論から言えば、俺達がお前を殺したのは夢じゃない。本当にあったことだ」
「じゃあ何で私はここにいるわけ? 死者が蘇るわけもないでしょ」
自分が死者であり、ゾンビなのでは無いかと危惧していたオリビアはもしも本当にゾンビであったら自害するとまで言い出した。身を乗り出して訴える彼女に負け、ダリルは本当のことを話す決意をした。
「オリビア・ロングは死んだ。世間の認識ではそうなってる。まあアサシン界とそれを利用する奴等、あと魔対ぐらいか。意識するのは。そいつらの認識ではオリビア・ロングは死んだことになっている。事実一回死んでるわけだしな。ただ俺達はよっぽどじゃない限り、殺した奴にセカンドチャンスを与える」
「セカンドチャンス?」
オリビアがそのまま聞き返した。
「俺達は死体の完全隠蔽を売りにしてる」
「アサシン界じゃ有名な話ね。絶対出てこないって、誰も現行犯を見ることが出来ず、証拠も出ず、死体も無いから、死んだことにすら気づかない。失踪、行方不明扱いになる」
「ご丁寧に説明どうも。ま、言った通りだ。ただの中で一つだけ俺の幻術を使っていない部分がある。死体の隠蔽だ」
「それはじゃあ…」
オリビアがダリルからシェリーへ視線を移した。シェリーはニコッと笑って、オリビアを見つめ返す。
「そうだ。死体の隠蔽だけはシェリーがやってる。シェリー、腹見せろ」
「ちょ、女の子に何てこと言ってるの!?」
事情を知らないオリビアが慌てて止めに入ったが、シェリーは何も言う事も無く、立ち上がって服をめくった。現れたへそを中心とする黒い孔はオリビアを目を吸い込んだ。
「なに…これ」
「シェリーの魔法の一つだ。異次元転移魔法。どんなものでも吸い込むことが出来る。ここに吸い込まれた者はこの世界ではない場所へ移される。どこへ行ったかは知らん。俺も入った事なんかないからな。それが死体の完全隠蔽に繋がってる。そしてここから知りたいところだ。この魔法にはもう一つ効果がある。それは再錬成だ。1週間の時を使って、元の姿に再錬成することが出来る。だからお前は転生した。過去の記憶も引き継がれる。しかしオリビア・ロングというアサシンは既に故人だ。お前は全く同じ顔、姿をした同姓同名の別人なんだよ。俺達はまだお前がやり直せると判断した。生憎何人殺そうと生きていかなきゃいけない世界だ。殺した人数なんて見てない。これを夢と思うか現実と思うかは自由だ。次の人生は夢を追って生きろ」
「まあ生きてる時点で何かおかしいとは思ったわ。新しい人生ね。難しいわね。幼い頃からアサシンだったから…ゾンビにでもされてたら、あんたを殺してやるつもりだったけど、ちょっと違うし、何だかそんな気も失せたわ…」
俯いて悲しげな表情を浮かべた。彼女が見ていた夢は確かに幼い頃からその道に進むのも仕方のないものだった。誰から真に愛されたことが無く、誰も真に愛したことがない、そして殺しだけをやってきた、それしか出来ることの無かった彼女にとって急に新しいことを求められるのは酷だった。
「じゃあここにいればいいわ!」
「え?」
シェリーが手をパンっと叩いてこう言った。それに合わせて、ダリルの顔がシェリーの方を向く。
「オリビアがいてくれたら、私も心強いわ。ダリルと二人だと何をされるか分からないもの」
「お前にだけは無い」
「うふふ、冗談よ。それにあなたの見ていた夢を私も見ていたの。誰からも愛されたことが無かったのね。私たちと同じ。可哀想なんてことは言えないわ。だってその気持ちは痛いほど分かるもの。ダリルは恥ずかしがってそういうことを言わないけど、きっとあなたを生かした理由もそう。貴方には誰かからの愛を受け取って、誰かに愛を送ってほしかったのよ。ここにいてくれたら私があなたに愛をあげる。きっとダリルもよ。だからあなたからも私たちへ愛を送ってほしいわ。どう?」
ちょっとまくしたててしまったとシェリーは謝った。それを聞いていたオリビアは噴き出して笑った。シェリーは何かおかしかったかしらとダリルを見つめて言う。流れた涙を指で拭ってオリビアが喋り始める。
「あはは…こんなに笑ったのは初めてかも。シェリー、だっけ。あなた面白い子ね。人間の醜悪さを知らない。いえ、知っていても変わらないのかしら。愛か。アサシンをやってる子からそんな言葉を聞くとは思ってもみなかった。でも誰か愛し、愛される関係って確かに憧れだったわ。私、ここにいたい。新しい人生の居場所をここにしたい。いいかしら」
「えぇ! 勿論よ!」
シェリーは両手を上げて喜んだ。しかしダリルだけは腕を組んで考え込んでいた。
「水を差すようで悪いが、俺達はアサシンだ。本当はお前にはアサシン以外の道を進んで欲しい。ここにいればアサシンに加担することになる。今なら過去に縛られることなく、何にでもなれるんだぞ。いいのか?」
「…私は変貌のオリビア。顔は幾らでも変えてきたわ。それにここ以外頼れる所なんてないわ。今は誰かといたい気分なのよ」
「…そうか。分かった。じゃあここにいろ」
「もうダリルったら素直じゃないんだから。こう見えてもオリビアが来てくれて嬉しいのよ。私たち家族よ。これから3人で仲良く暮らしましょうね!」
「うっさいわい。まぁ人手は多い方が良いからな」
「ふふっ。夢みたい」
「…俺達は夢を見せるアサシンなんだよ。人は選ぶけどな」
かくしてオリビアを迎え入れたエルズベリー暗殺事務所。シェリーはすぐさまオリビアと打ち解け、姉妹のように接するようになる。オリビアも経験故に不器用ではあるものの二人と距離を縮め、毎日のように同じ食卓を囲み、笑顔の団欒を手に入れた。