変貌のオリビア 4
「さて、あの市長には何と言ったもんかね」
「別に遠慮することは無いわ。夜道に気を付けてと言うだけよ」
指で挟んだところから再び漫画を読み進めていたシェリーがそう言った。ダリルはそれに静かに頷いて、そうだなと肯定した。
「報告に行くのは明日だ。市長さんには夜に実行すると言ってたわけだからな」
「そうね。持ってきた漫画を読み終わってしまいそうだわ。もっと持ってくればよかった」
「お前、バッグの中、漫画でパンパンになるぞ」
「そうなったらもっと大きなバッグにするだけよ」
ふふんとドヤって見せたシェリー。だがダリルはそのバッグも漫画も自分が買ったものだから偉そうにするなと心の中で叫んでいた。
その後、パーミドルの街で買い物をして回った二人。シェリーは終始、無尽蔵の体力で駆け回ってはダリルを引っ張り回していた。
露店の古着やデパートの最新ファッション。ダリルには理解できない女性の服装だったが、シェリーにどちらが良いかと聞かれれば、仕方なくと言った表情でどちらかを選んでいた。またそれについてシェリーが参考にするわけでもなく、そもそも選択肢になかった服を買ったりするわけだ。ダリルにとっては意味不明な問答だったに違いない。
「あぁ~買った買ったわ。これだけあれば暫くは服装には困らないわね」
「おい~重いぞ。少しは自分で持て」
ロゴの違う紙袋を両肩に下げ、両手に持つダリルは重そうに腰を曲げて歩いていた。一方のシェリーはルンルン気分でその前方をスキップしている。
今は買い物の帰路であり、宿泊するホテルへ向かう途中である。ホテルは市長が手配してくれていた。街でも有数のホテルであり、会員制で認められた人間や紹介された人間のみが宿泊できる特別なホテルだ。
ホテルの前まで辿り着いたシェリーは軽くぴょんぴょんとジャンプをして興奮を身体で表した。目は光り輝き、ホテルの頂点を見上げている。
「凄い、凄いわ! こんなホテル初めて! いつも狭くて、ボロい、風通しだけは最高の豚小屋住まいだからこんなの忘れられない思い出になるわ!」
「何もそこまで言わなくてもいいだろ…」
ダリルの家をこれでもかと貶したシェリーは入口へ走った。後ろからダリルも走る。無事に入室した二人は別々の部屋で今日の疲れを癒す為にゆっくりとくつろいだ。
時間は経ち、夜までそれぞれが1人の時間を謳歌していた。しかし夜も更け、寝る頃になるとシェリーがダリルの部屋を訪れた。
「ダリル、今日は一人では眠れないわ。私一人ではゆっくりと眠ることが出来ない」
ホテルに備え付けのローブを纏い、持ってきたナイトキャップを被ったシェリーは枕を両手で抱きしめて、ダリルの部屋へ入った。
「そうだな。ここにいろ。俺はもう少し起きてる」
「えぇ。大きな音は出さないで欲しいわ。寝起きの悪さは知っているでしょう?」
「おう。ちょっとの音じゃ起きるなよ?」
「えぇ。私が起きる時は明日の朝よ。じゃ、おやすみ」
ダリルがまだ鏡台の椅子に座りもたれ掛かっていたが、シェリーは勝手にベッドへ潜り込み、電気さえも消して寝入ってしまった。
部屋は真っ暗になり、カーテンの隙間から覗く月明りだけがほんの少しだけ紙袋を照らしていた。その間、ダリルは何をするでもなく、耳を澄ませていた。
部屋の外から入ってくる音を聞いていた。足音である。この夜も深い宿泊している客のほとんどが寝ているであろう時間にも拘わらず、ダリルの耳には10人は下らない団体が移動している足音が聞こえていた。その足音は一直線にシェリーの部屋へ向かっている。
「止まった…マスターキー持ちか…」
部屋の前で一瞬止まった足音は、音を強くして雪崩れ込むように部屋に入った。そしてまた止まった足音はゆっくりと部屋を出て行き先を変えた。
「いないことに気付いた。次は…」
足音はエレベーターに乗り、一直線にダリルの部屋に迫っていた。それが誰なのか。誰の差し金なのかダリルには見当がついていた。確信を持っていたと言っても良い。
足音が廊下を渡り、あとは右折して部屋に辿り着くだけとなった時、ダリルは部屋に幻術魔法をかけた。
そして遂に足音が部屋の前で止まる。マスターキーで鍵が開けられ、ゆっくりと扉が開く。廊下の光が部屋に差し込み、徐々に部屋の中が見えるようになっていく。
ダダダダダっという足音と共に10人の黒服、サングラスの男たちが雪崩れ込んできた。誰もが鍛え上げられた筋肉を持ち、銃を構えている。
「いない…女の部屋にもいなかったんだ。ここに必ずいる。奴の幻術だ。男に触れば術は解ける。探せ!」
先頭で乗り込んできたリーダーの男が号令をかけると、残りの9人が一斉に散らばろうとした。しかし1歩目を踏み出した時、9人全員が床に倒れ込んだ。9人は喉を抑え苦しそうに悶えている。それを見たリーダーの男は慌てふためいた。
男は何が起こったのか理解できなかった。そして後ろから聞こえる声にゆっくりと振り返り、一筋の冷や汗を流した。
「悪女の口付け。毒は毒でも幻術だ。実際には毒なんて無い。それにしても見事に引っ掛かったなぁ。仲間が苦しんでるぞ。幻術とはいえこいつらの脳は毒で苦しいと勘違いしている。お前の返答次第で助けてやらんことも無いが」
ダリルが部屋の入り口に立っていた。廊下からの光で逆光になり、リーダーの男からは顔も見えず、ただ銃を構えるダリルだけが映っていた。
「な、何でも言う。だから仲間を助けてくれ。俺達は雇われただけだ」
自然と男は両手を上げていた。しかしその右手にしっかりと銃は握られたままだ。
「あんまりでかい声出すなよ。うちのちっさいのが起きる」
一つ舌打ちをしたダリルは質問した。
「お前らを寄こしたのは市長だな?」
「あ、あぁ、そうだ。全部市長に命令された。お前らの写真を渡されて、男と女両方始末しろって」
やはりかとダリルは口角を上げる。予想が的中した射幸心を満たされることはダリルの喜びであった。
「オリビアのことは?」
「そいつも聞いた。だが昼過ぎに連絡があった。市長からその女は殺されたから対象外だと。その代わりにもう一人男を殺した」
「男?」
「そうだ。若い男だ」
ダリルは思い出した。オリビアと共にいたあの男のことかと。市長はどれだけのアサシンを雇っているのかと歯痒くなった。ダリル自身、利用されていることは承知で来たが、ここまでとは思っていなかった。
「お前らを殺せとは言われていない。殺さないでやる。でもここにいられたんじゃ迷惑だ。さっさと消えろ」
ダリルは情報を聞き出したため、脅しの役目を終えた銃を降ろした。と同時に緊張の糸が切れたリーダーの男もゆっくりと両手を降ろしていく。
「…死ね!」
男は瞬時に銃口をダリルへ向け素早くトリガーを引いた。サイレンサーを付けた銃は僅かな音共に放たれた銃弾は真っすぐにダリルの眉間へ螺旋回転で飛んでいく。
一瞬の出来事に対応が遅れたダリルは身体を動かすことも出来ず、身体の脊髄反射が目を瞑ることだけを行うのが精いっぱいだった。
そのままダリルの眉間で銃弾は突き刺さる…かと思われたが、眉間を霧のように突き抜け、廊下に銃弾は突き刺さった。
またしてもリーダーの男は硬直した。確かに眉間を貫いたのに、ダリルの姿は霧のように消え去った。銃から立ち上ぼる煙と硝煙の香りだけが辺りに漂う。
「おい、ご挨拶だな」
再び、背後から声がする。急いで振り返って銃を構える。どこにもいない。
「殺せば言ったことも隠蔽出来ると思ったか?」
またしても背後から声。振り返って銃を構えるもまたも無人。男はもはや声がせずとも振り返り、360°銃を構えてはダリルの姿を探った。
「俺はここだよ」
現れたダリルは男の首をチョークスリーパーで締めていた。男は締められていると気付くことも無く、タップを繰り返した。いつから締めていたのかすら分からない。気付けば呼吸も出来ず失神す禅だった。
「ここから消えるか?それともこの世から消えるか?」
「さ、去ります…ここから…」
「そうか。もし次に銃で撃ったら分かってるな?サイレンサーを付けていても音は鳴るんだ。シェリーが起きたらお前ら死ぬどころじゃ済まないぞ?」
「は、はい…!」
「よし、それでいい。最後に一つ、命令だ。明日昼の13時に市長の家へ報告へ行け。ダリル・エルズベリー及びシェリー・コールは始末したとな。写真は俺の幻術で作っている、持っていけ」
「わ、分かった…必ずそうする」
同意した男はダリルから解放され、再びダリルの姿は消えた。怯え切った男は幻術から解放された仲間を起こし、部屋を去っていった。
一段落着いて、一度深呼吸したダリルは銃を鏡台に置いた。実はこの銃はモデルガンである。中にはただのBB弾しか入って居ない。だが幻術と組み合わせれば痛覚に銃弾と同じだけのダメージを与えることが出来る。とはいえ彼に発砲する気は無かった。
何故か、奴らは依頼された相手ではない。ただそれだけだ。
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