変貌のオリビア 1
「はい。こちらエルズベリー暗殺事務所」
かかってきた電話にけだるげに出たダリルは机に脚を乗せて話を聞いていた。慣れたように、もう内容を知っているように聞き流している。
「あぁ~。はい。はい。動機は? えぇ? 痴情のもつれ? えぇ。あの~申し上げにくいんですけどね。流石にそれは不味いっすよ。うちじゃなくて警察に行ったら? はいども~。はぁ…」
電話を乱暴に切ったダリルは脚を降ろして立ち上がった。その様子を見ているシェリーはダリルを目で追いかけながら話しかけた。
「どこ行くの?」
「トイレ」
「はーい。電話鳴ったら?」
「適当に断っといて~。合言葉言われたら保留で」
「は~い」
ダリルは部屋の扉を開けてトイレへ向かった。その間、一人になったシェリーはソファに深々と座り、漫画を読んでいた。漫画の内容は恋愛。恋に恋する乙女である。
ふんふんと鼻息混じりに漫画を読み進めるダリルの邪魔をするように電話のベルが鳴り響いた。うるさいわねと怒りながらも電話を取り、覚えたての挨拶をする。
「は~いエルズベリー暗殺事務所です」
「殺しをお願いしたい」
「そりゃ暗殺事務所なので~殺し以外は受け付けてません」
「ふっ、そりゃそうか。頼みたいのは女の殺しだ」
「はーい。動機は?」
「無い」
「んっ。はーい少々お待ちください」
いかにも棒読みといった言葉づかいでシェリーは電話を机に置いて、部屋を出ていく。向かう先はトイレだ。
「ちょっと~早速来ちゃったんだけど~」
「うぇっ!? 嘘だろ!? ちょ、ちょっと待て!」
どんどんと薄い木の扉を強めに叩く少女に加減など無い。電話が彼女の声や慌てる男の声を聞きとっていることも考えずに大きな声を出し合った。
ようやく男が用を足し終わり、カチャカチャとベルト締める音を響かせながらトイレから出てきた。そのまま慌てて部屋に戻って受話器を耳に当てる。
「はいどーも、すいませんね」
「なんだ。さっきの嬢ちゃんが殺し屋じゃないのか」
「あ、違います。私が事務所代表のダリル・エルズベリー。ところでもう一回内容を聞かせてもらっていいですかい?」
机に手をついて前のめりになったまま話を聞くダリルは、電話先の男の話が終わった時にやはりこう聞いた。
「で、動機は?」
そして男はやはりこう返した。
「無い」
「へいへい。分かりました。じゃあその女の詳細。教えてくれる?」
「分かった」
ダリルはゆっくりと音が響かないように椅子に座り直してメモを取り始める。時折、相槌を打ち、時に聞き逃しては聞き返した。最後にペンを立てて、ちょんっと紙に点を打ってメモは終了した。
「はい。分かりました。期日は?」
「3日だ」
「パーミドルなら移動に少し時間がかかる。それ含めてでよろしい? 少し値は張るけど」
「あぁ。良い。街の民が失われるのはもう見てられん」
「承った。では今から向かう」
そこまで言い切ると、男は電話を切った。そしてメモを見返して、勢いよく立ち上がる。
「シェリー。仕事だ。行くぞ」
「えー。まだ漫画読んでるんだけど」
「読みながらでいい。さっさと準備しろ」
シェリーと呼ばれた少女は渋々と言った表情で漫画を置き、コートハンガーに引っかかったハンドバッグを手に取り、漫画を数冊詰め込んだ後に服や化粧品などの必需品の準備を始めた。
「うわっ髪ぼさぼさだ。髭も伸びてる…」
「ダリルってば不潔だわ。ちゃんと毎日髪乾かして寝た方が良いし、髭は毎日剃った方がいい」
「分かってるよ」
今から殺しに向かうとは思えない和やかな雰囲気で二人は準備を進めた。ダリルは顎を突き出しながら髭を剃り、シェリーは鏡に向かって、丁寧に眉を描いている。
「まだ?」
「レディーのお化粧は長いの! 黙って待ってて!」
「へいー」
ダリルの準備が終わった後もシェリーはまだ化粧をしていた。人に会う時は綺麗な状態で。がモットーのシェリーに取って出かける前の化粧は手の抜けない作業の一つだ。
だが待たされているダリルの気持ちは複雑だ。早く出なければ仕事に間に合わない。だがシェリーは待たなければならない。靴を履いて地団太を踏むダリルは時計とまだシェリーの出てこない部屋の入口を見ながら慌てふためいていた。
「はーい。じゃあ行きましょ」
呑気に言うシェリーにダリルは若干の苛立ちを感じながらも、二人は家を出た。街の高台にぽつんと立った一軒家に住む二人は家の前に停めた自転車に二人乗りをしてそのまま坂を下っていく。
「船か~嫌いなんだよな」
「私は好きよ。波に揺られる感覚も。泳ぐお魚や飛んでいる鳥を眺めるのも」
「揺れが嫌なんだろうが」
二人は軽口を叩き合いつつ、港の適当なところに自転車を停め、船へ乗り込んだ。
その軽口は船が出航すると共に、シェリーの独り言へ変わる。
「ねえダリル。そんなに下を向いていないで、的の確認でもしたら?」
漫画の続きを読むシェリーは片手でダリルの背中をさすりながら言った。下を向いているとはつまり吐いている。ということである。甲板にて海へ上半身を投げ出し、顔色を悪くしたダリルに的の確認など出来るわけが無い。そんなことはシェリーも分かり切っていて、分かったうえで揶揄う為に言っている。
「馬鹿…お前、何で漫画なんか読んで…」
「もう、遠いお街へ行く時はいつもこうね。だらしないわ」
「あとどれくらいで着く?」
「さぁ。1時間くらいじゃない?」
「1時間…!?」
動揺と絶望の表情からかダリルの顔は更に青ざめた。後は語るまでもない。
「さぁ着いたわ。パーミドルよ。ここに来るのは久しぶりね」
「よし…まずは依頼者の所へ行くぞ」
「えぇ~そんなことより観光がしたいわ。ここのパンケーキは美味しいらしいわよ」
放っておくと何処へ行くか分からないシェリーを掴んで、ダリルは足取り重く、目的地へ向かう。途中の売店で購入した水をがぶ飲みしながら何とか体調を整えていた。
依頼者はどうやら権力者らしいとダリルは踏んでいた。それは依頼者の住所が街の最も高台にあったからだ。本人の経験則曰く金持ちは高いところに住む習性がある。
依頼人の豪邸の前まで歩みを進めた二人はチャイムを鳴らした。