9 十一月 芸術的すぎるネズミーな黒板アート
京があんぽんたんだった。しかも、この上なきあんぽんたんだった。
「なーんで期末課題やってないの!」
「ごめんて。怒んないで怒んないで」
「反省して! 大和からも一言どうぞ!」
「京介、さっさとやりなさい」
「だーるーいー」
「「こら!」」
私と大和は厳しく厳しーく京を叱りつけた。だって、京ったら一個も課題終わらせてないんだから!
定期テスト前に、大体の教科はどかーんとテスト範囲の課題を出してくる。
とはいっても週末課題がある古典や英語はほとんどない上、テスト間近の今は自習授業が増えてきているため、どの科目も授業時間内に終わらせられる量だ。
なのに、この京という人間は、自習中にぐーすかぴーのすやすやタイムを繰り返し、明日提出の課題が何一つ終わってないという有様。
これはさすがの小町ちゃんもブチギレです。京の机に広げてある教科書をぺちぺち叩く。
「絶対赤点取らないでね。みんなでネズミー行くんだから」
「へい、わかりやした」
「あんたが赤点取ったらハブる」
「ちあきひどーい。日にちずらすっていう慈悲はないんすか?」
「ないな。俺の部活あるし」
「つれえ、マジつれえっす」
三人で京を追い込む。さあ、勉強するのです、京!
テスト前だからといって自習で放課後残る生徒は、一年E組にはあんまりいないらしい。四人きりになった教室は昼間と違って広く見えた。
最初はせっせと課題に励む京を見張っていたけれど、飽きてきた。私は毎日コツコツ勉強するタイプなので、テスト範囲はとっくに仕上がっている。ちあきは動物園ゲームしてるし、大和は真面目にお勉強。私はうろうろ歩き回る。
そして、黒板の前で足を止めた。黒板を見ていたら、なんだか落書きしたくなってきませんか? おそらく、そういう魔法がかかっているのです。だから、落書きしてしまうのも仕方ないのです。
「大和〜、小町が俺を放置して落書き始めた〜」
「だって暇なんだもん」
「俺、落書きに負けた〜」
「お前は嘆く前に、さっさと課題終わらせような」
カッカッと小気味いい音を鳴らして、まあるいお耳を描いていると、ちあきが寄ってきた。
「何描いてんの?」
「ネズミーくん」
「なら私はネズーコ描くわ」
「可愛く描いてね」
「余裕。朝飯前よ」
ネズーコちゃんは、ネズミーくんの彼女。ショーやパレードで仲良しな二匹は、いつも可愛くて可愛くて大好きだ。
ネズミーくんとネズーコちゃんの手を繋げようとか、ハートを散らせちゃおうとか、ちあきと笑いながら描き足していく。
「大和〜、俺には勉強させといて、女子だけでいちゃいちゃしてる〜」
「よく見ろ。あれは女の子じゃない、怪物製造機だ」
え? 失礼な言葉が飛んできた。ぎょろっと振り返る。
「ちょっとちょっと、あんたもっかい言ってみなー? 私たちがなんだって?」
「そうだよそうだよ。悪口はダメでーす。犯罪でーす。名誉毀損で逮捕でーす」
「お、怒んなって。じゃあ、逆に、お前らは何描いてるんだよ」
「これはね、ネズミーくん」
「ネズーコ以外の何に見えるわけ?」
「完全にアメーバと子どもの絵なんだよな……」
「はぁ!?」
大和の言葉で京がぶはっと吹き出した。京も悪口の共犯だ。逮捕でーす。
毎イベントごとにネズミーに通っている私たちのネズネズイラストを、アメーバと子どもの絵だなんて。重罪でーす。
じとっと目を細めたら、大和はちょっとたじろいた。
「いや、ちあきのほうはかろうじて、その、リボンらしきものはわかる」
「当たり前。どう見てもネズーコでしょ」
「なんでそんな強気なんだよ、ちびっ子絵のくせに……」
大和がぼそっと呟いた。ちあきのネズーコちゃんは子どもの絵。ということは、この私作のイケかわなネズミーくんが、アメーバってこと!?
私は勢いよく矢印を描き足した。部位の名称も。
「私のだってどう見てもネズミーくんだもん。ここが耳、これが目で、これは尻尾だよ。ほら、ネズミーくん!」
「すまん。やっぱりアメーバにしか……」
「大和はもうダメだね、終わってる。京は?」
「ごめ、アメーバの先入観が……ふっ……」
二人揃ってアメーバアメーバって。私のネズミーくんをアメーバ呼ばわりして笑うのはやめるのです。今すぐにやめるのです。私がふくれっ面になる前に。
悔しくなったので、スマホでネズミーくんを見ながら練習してやる。ネズミーくん大量発生。
七匹目のネズミーくんを誕生させているまさにそのとき、ガラッと教室のドアが開いた。先生? でも下校の時間はまだのはず。
「……わ。ど、どうも」
萩原くんだった。ペコペコして入ってくる。
「どうした。忘れ物か?」
「うん、そんなとこ。古郡くんたちは?」
「俺らは期末テストの勉強会ってとこだな」
「なあ、萩原。アレ、何に見える?」
京が黒板を指してニヤッと笑う。あー、悪い顔してる。
どうせアメーバ教の人間を増やそうとしているんだろうけど、萩原くんが当てられないわけがない。なんたって美術部なんだから。
私も萩原くんにニコッと笑いかけた。
「萩原くん、もちろんわかるよね?」
「え……」
萩原くん、固まっちゃってどうしたの? 早く答えて。
「まさか萩原くん、わからない?」
「……あの、え…………いや、その……」
「やめてやれ。萩原が気の毒だ」
「気の毒じゃないでしょ。リボン見れば一発でわかるじゃん、こっちの私のはネズーコね」
「これが、ネズーコ……!?」
萩原くんは電流が走ったみたいな声を絞り出した。黒板を見るメガネの奥のお目々は、まるまると大きく見開かれている。
あぁ、とてつもない感銘を受けたらしい。それもそのはず、私たちのネズネズイラストだもの。
「隣にいるのは、私のネズミーくんだよ」
「…………」
ついには黙ってしまった。わかるわかる、素晴らしいものを見たときって、そういう風になっちゃうよね。
「感動しすぎて言葉にならないみたい」
「私たちプロになれるんじゃない?」
「お前ら自分が上手い体で押し切ろうとするのやめろって」
萩原くんは「あはは……」と笑った。きっとこれは感動しすぎて笑うしかないときの笑いだ、多分。
京も黒板のところに来て、教卓に座って足を組んだ。
「萩原もネズミーとネズーコ描いてみてくんね?」
「え、僕がですか」
「私も萩原くんの見たい!」
「ええと、ネズミーってどんなのでしたっけ」
横にあるではないか。と思いつつもスマホでネズネズの公式イラストを表示させると、萩原くんは戸惑いつつもチョークを手に取った。
視線は黒板とスマホを行ったり来たり。迷いなくチョークを黒板の上に滑らせ、気持ちのいい軽やかな音を奏でて、ネズミーくんとネズーコちゃんが現れる。
ネズミーくんのカッコいいまんまる円のお耳に、完璧スマイルのお口、動きのあるお手々とつま先。
ネズーコちゃんのお耳の間には可愛いリボンがあり、手にはネズミーくんの大好きなチーズ。今にもネズミーくんにあーんしそうだ。
「うっま! プロじゃん!」
「ネズネズ可愛い! 可愛すぎる!」
「良かった、俺の知ってるネズミーとネズーコで」
「わかる。謎に安心したわ。萩原、すごいな」
「いえ、それほどでも……」
照れ謙遜して頭をかく。こんなにネズネズしいネズネズを描けるんだから、もっと自慢してもいいと思うけどな。
「ねえねえ、萩原くんもネズミーくんたち好きなの?」
「好きというか、ネズミーにはたまに行きますよ」
「そっかそっか。好きなアトラクとかは?」
「いえ、アトラクションにはあまり乗らなくて。景色良いところが多いので時々スケッチしに行ってます」
「スケッチ?」
今度は萩原くんがおずおずとスマホを見せてくれた。画面には、ネズミーの風景画。
それはパーク内の夕暮れの海岸沿いの街並みで、写真っぽいリアルなタッチだけど、色鉛筆で彩られた優しい色使いのイラストだった。
「すご! めちゃくちゃプロじゃん!」
「これは上手いな。絵葉書とかで売ってそう」
「これ七夕の時期? 街灯のデコレーション的に」
「山城さん、詳しいんですね。正解です」
「当たってんのかよ。どっちもやば」
みんなでわいわい萩原くんの絵をいくつか眺めていたら、スマホにぴこぴこっと通知が来た。
『遅いけど大丈夫?
ノート探し私も手伝いに行こうかー?』
持岡さんからのメッセージだ。
「あ、そうだった。忘れ物取りに来てたんでした、僕」
萩原くんが慌てて自分の机の中を漁りに行く。ほっとした表情で一冊のノートを取り、ドアのほうへ行こうとする。
もう帰っちゃうんだ。部活でもあるのかな。と、大和も同じことを思ったらしく、聞いてくれた。
「美術部は部活あるのか? テスト期間中なのに」
「部活はないんだけど、一緒に勉強してるんです」
「そうか。頑張れな」
「ありがとう。じゃ、失礼しました」
はにかんで出ていく萩原くん。その背中に「ばいばーい」と言っているときに、そうだ、と思い出す。
「ねえ、萩原くん! 期末は回避できそー?」
ドアが閉まる前、振り返った萩原くんがグッと親指を立てるのが見えた。
数日後、あんぽんたんな京はなんとか課題を終わらせ、無事に期末テストを終えたが、やる気いっぱいだった萩原くんは東條先生に呼び出されていた。
うーん。萩原くん、どんまい!