49 八月 甘やかし上手と過ごす夏の一幕
デートの朝は早い。前日にちょっとお高めのスクラブで仕込んだお肌はすべすべもちもち。シャワーで汗を流して乾かした髪はサラサラつやつや。
万が一急な夕立に遭って、億が一メイクが落ちてすっぴんになったとしても、ノープロブレム。美肌や美髪は私に自信を与えてくれる。
メイクは普段より念入りに。お母さんが使う良いデパコスの下地を借り、アイシャドウは発色が良いものを薄く淡く丁寧に。まつ毛は上げるしアイラインも跳ね上げる。可憐で可愛いアイドルメイク、見せたいファンは京一人。
ヘアアレンジはもちろんツインテ。編み込みもするし、リボンも付けちゃうし、ヘアミストで良い香りもさせちゃう。
ミニスカはやめてミモレ丈のスカートに変更し、ノースリーブはどうしても着たかったのでシースルーシャツを羽織ることにした。
可愛い私、可愛い私。この最高な状態を、せめて一目だけでも見てもらいたい。この暑さで崩れてほしくない。
私は休日で暇してそうなお父さんに声をかけた。
「お父さんお父さん、待ち合わせ場所まで送ってほしいなぁ」
車から降りて待ち合わせの駅前広場に行くと、日陰でスマホをいじっている京が立っていた。ゆるくシャツジャケットなんて着ちゃって、学校ではつけてないネックレスをしている。まるで、で、デートみたいだ。デートなんですけど。
私は日傘を閉じて急いで駆け寄った。
「京、おまたせ」
「あ、小町。んな走んなくても」
顔を上げる京の首筋がじわっと汗ばんでいる。私は京にハンディ扇風機を向けながら、走って正解だったなと思った。
「京使ってて」
「いいの? あざす」
「早く涼しいとこ行こ、涼しいとこ」
引きこもりゲーマーが暑さに強いわけないのだ。私はSNSの地図を開いた。かき氷カフェは、いや、おやつにはまだ早いか。良さげなランチができるお店は……。
地図上に浮かぶ数多の飲食店を京に見せる。イタリアンも中華も洋食もなんでもござれ。
「京、何食べたい?」
「今日はかき氷じゃねえの?」
「おやつの前にお昼ご飯食べたいなって思ったの」
「いいな、食べ行こ」
「どこ行こっか」
京もスッとスマホを見せてきた。
「これ、どう」
載っているハンバーグのワンプレートランチの画像は、いかにも若い人たちが好みそうな今風のオシャレな雰囲気で、漏れなく私も好みそうな雰囲気だった。わざわざ探してくれてたんだ。
「美味しそう!」
「よし行こ。道こっち」
二人並んでカフェを目指す。日傘係と扇風機係をバトンタッチして。
夏休みはもうじき終わるというのに、夏特有のむわっとした空気はいつまで続くんだろう。あの九月の日からもうすぐで一年が経つのに、私と京の今の関係はいつ変わるんだろう。
いや別に、すぐには変わらなくてもいいけど。
到着したカフェは、白い店内と木のライトブラウンが優しい清潔感のある店内で、テーブル席は片手ほど、カウンター席もあった。良いコーヒーの匂いが満ちていて、すごく良い雰囲気だ。
早速注文し、京と二人ではぁー、と息をつく。
「そういや小町、今日は上着てんの」
お、よくぞ本日の小町ちゃんコーデに気付いてくれたな。私は羽織っているシアーシャツをつまんだ。
「今日はね、みんなに色々聞いて服決めてみた」
「みんなぁ? 俺は聞かれてないんすけど」
「京に聞いたら意味ないもん」
「あー、女子に聞いた感じ?」
「里也とか大和とか男バスにも聞いたよ」
「あの、俺も男なんすけど」
「昨日大和たちから電話されなかった?」
「寝てた」
「電話しなかったんだ。ざんねーん」
「……みんなに何聞いたの」
からかったら、むっと口を一文字にされた。アヒル口、可愛い。
まぁ、隠すことでもないか。私は身を乗り出して手を口元に添えた。顔を近付けてきた京に小声で伝える。
「お、男ウケファッションの極意」
「…………おとこうけ?」
アヒルが宇宙ネコになった。まじまじと改めて私の頭から服を見てくる。そんなに驚かなくても。
今日のコーデは、透け感やロング丈のスカートが大人っぽいし、ツインテやサンダルは甘めで可愛い仕上がりだ。私好みでもあり、男ウケファッションの範疇でもある。初めてにしては結構良い出来なのではないだろうか。
「ちあきと市香がわかんないって言うから、里也と大和に電話して、ネットでもちょっと調べたんだよ」
「男ウケを?」
「そう。たまにはこういうのも可愛いでしょ!」
「うん、可愛い」
やった。可愛い、いただき。
私がふふんとシャツを見せびらかすと、京も自分のジャケットの襟を整えた。俯きがちに呟く。
「なんだ。どうせ今日も『エアコン寒い』っつーかと思ったけど、いらなかったな」
え。今度は私がネコになった。確かにアウターは、たまに、しばしば、特に春秋はかなり借りていますけれども。そんな風に自分の服決めてたんだ……? 照れるというか、なんというか。
深呼吸したのち、私はぱっと顔を上げた。
「なら、次お出掛けするときは京の借りちゃおー」
「ついに借りる宣言」
「借りる前提コーデにしちゃおー」
「じゃあ俺も貸す前提コーデにしちゃおー」
ニッと嬉しそうに歯を見せる。
私の好きそうなランチ、私のわがままを先読みしたファッション。バーベキューでの大和の言葉を思い出す。この人って本当に……。
ランチのあとに軽くお散歩し、そして本日のメインイベント、かき氷専門店にやってきた。おやつの時間になる少し前だからか、人が少なめですんなりとテーブルに案内された。
ここのかき氷は天然氷を使用し、旬の果物をふんだんに使った極上シロップが最高だともっぱらの評判だ。なんたって、あのEmiemiが大絶賛していたのだから。
「わ、あれすごい」
店内に入った瞬間、近くのテーブルに運ばれていく黄金に輝くかき氷。ふんわりと振りまいている強く甘いトロピカルな香りはマンゴーだ。
「お、美味しそうすぎる!」
「小町すげえ好きそう」
「好きかも!」
テーブル席について早速メニューを開くと飛び込んでくるメロン。ああっ、メロンも美味しそうすぎる。
「どっちにしようかなー。やっぱり夏定番のメロンも食べたいし、でもマンゴーも捨てがたい……」
「小町はマンゴー頼んで、俺がメロン頼めば良くね?」
出た。京はそうやって、そうやって……。
私は頷きかけて、小刻みに首を振った。
「ううん、お互いが食べたいの食べようよ」
「俺はメロン食いたい。だから俺がメロンで、小町がマンゴー、ちょくど良くね」
京が当たり前のように言い放つ。むむ、それは本心から京が食べたいメロンなのか、私のためのメロンなのか。
ともかく、食べたい人の意見を無視はできないので、私たちはメロンとマンゴーを注文した。
私の前に置かれたマンゴーかき氷は、ふわっふわに削られた氷の山からしたたる黄金の滝に、ガラス容器の縁に盛り付けられたたっぷりの大きな果肉たちが眩しかった。放たれる強く甘酸っぱい香りにときめきが止まらない。
「お、お、美味しそう……!」
「だな。おめでとう」
「京のも美味しそう!」
「なー、美味そう」
京のメロンは、マンゴーと同じ盛り付けだが、控えめな薄緑色がお上品で可愛らしく、どこまでも甘い匂いが私のほうまで漂ってきた。
口に運ぶと、すっととろけていく氷。つーんなんて一切しなかった。はて、私は今本当にかき氷を食べたのか。口に残る甘さだけが余韻を味わわせてくれる。
「な、なにこれ、美味しい!」
「んー、うま」
二人揃って感激。なるほど、これはお高い分の価値がある。二口、三口……うん、美味しい! マンゴーがこんなにも美味しいのだ、夏の看板を背負っているメロンも間違いないだろうなぁ。
「ん、小町食いたい?」
「……う」
いけない、目がメロンに吸い寄せられていた。慌てて自分のマンゴーを注視する。
「私にはマンゴーがいるから」
「マンゴー美味そうすね」
「美味しいよ。もうめちゃくちゃに」
「メロンもすっげえ美味いすよー?」
わざとらしく言ってくる。美味しいのは見ればわかるって。ちろっと恨めしく見返すと、にこっといじわるそうな笑顔が返された。あー、もう京ったら!
「一口どうすか」
「……食べる」
私は京の誘惑と脅威のメロンパワーに負けた。あーあ、今回こそはもらうの我慢するつもりだったのに。
お互いの容器を交換して、一口いただく。
「う〜ん、美味しい!」
「こっちもうま」
「メロン、美味しい。すごく美味しい!」
「おめでとう。もう一口食ってどうぞ」
「いいの? ありがと!」
果肉も一ついただいちゃう。噛むと柔らかな果肉からじゅわっと果汁が溢れた。マンゴーもメロンも最高に美味しい、今年の夏休み随一のかき氷だ。
「美味しい。来てよかった」
「だな」
「一緒に来てくれてありがとね」
「どいたま」
ふわっと優しく微笑まれて、私まで嬉しくなってきた。幸せは伝播するらしい。
夕方頃に、私たちは駅近くの大きな商業施設でアパレル店巡りをすることにした。
終わりゆく夏物と来たる秋物のセール中だ。とはいえ、夏休みに遊び歩いた出費はバカにならない。買う気すらないのに、店々に入ってはあれこれ喋るだけ喋って退店する冷やかしを繰り返す。
「あ、見て京。あれ可愛い!」
「あの茶色の?」
「そうそう」
マネキンを指差し、マネキン横のハンガーラックからブラウンチェックのミニスカートとオフショルニットを手に取る。マネキン真似っ子コーデだ。
「どう、これ!」
「可愛いすね」
「あ、こっちの色も可愛い」
「可愛い可愛い」
何を選んでも可愛いを言ってくれる。えへ、にやける。京の『可愛い』も絶賛セール中。今度から京の『可愛い』が欲しくなったら服屋に直行することにしよう。
ミニスカはブラックでも可愛いなー。私は服の生地を撫で、ハッとした。
「ダメだ、私、こういうのばっか選んじゃう」
「ダメなんすか」
「肌見せファッション、男ウケ悪いんだって」
「へえ」
「んー。男ウケはこういうのかな?」
同じ店内をぐるりと見回し、襟付きのシャツにシックな千鳥格子柄のキャミロングワンピースで清楚可愛いコーデをチョイス。誰もが可愛いと思うような、シンプルで露出の少ない組み合わせだ。
「これも結構ありかも。どう?」
「いいんじゃないすかね」
鏡の前で、自分の体に合わせてみる。こういうのは市香が好きそうな気がする。
「さっきのとこれ、京はどっちが好き?」
「どっちも」
「どっちもは無し」
「じゃあさっきの」
迷う暇はない即答だった。どうせ京のことだから、私が好きそうだから、とか理由なのでは。
疑い半分、うぬぼれ半分で聞いてみる。
「なんでー?」
「あっち見てたときのほうが小町楽しそうだったから」
ひょうひょうと言ってのける。これだから京は。私は京の好みを聞いたのに。
眉を寄せてじとっと見上げ、目を合わせること数秒。ついに京がふはっと笑った。
「そんな目で見られてもしゃーないすね。小町ウケが俺ウケなんで」
手からハンガーを取り上げ、ラックに戻す。そして私の手首を軽く握って、前を歩き出した赤い耳がモゴモゴと喋る。
「ニコニコしてる小町が一番可愛いし……?」
あ〜……。
私はされるがままお店から連れ出され、次なる冷やかしターゲットへと連れて行かれた。退店間際に横目に見えた姿見の自分がにやけ面だったのは言うまでもない。
こんなことに返す言葉は私の脳内に存在しない。初めて受けた。これが殺し文句か。京にも私にも効く2WAY仕様、コスパがいい。
私も食べたい味、私の好きなコーデ、私の想像以上の言葉。この人って本当に甘やかし上手。
追いかけるだけの恋愛しかしてなかった私には、好かれて尽くされる恋はあまりにも甘すぎる。どこかの氷みたくすっと溶けてしまいそうだ。




