31 五月 小さな友情ハッピーバースデー
友だちへのプレゼントは基本的に誰でも喜びそうな、無難なものを選ぶことにしている。それすなわち消耗品、もっと限定すると食べ物だ。
というのも、モノ、しかも日用的に使う実用品を贈ってしまうと、使われなかったと判明したときにショックを受けるかもしれないから。
だから今回、私は市香のためにマドレーヌを用意した。好きだと言っていたチョコレートと、定番のプレーンのマドレーヌセットと、紅茶のプチギフトを。シンプルイズベストだ。
私が市香にそれらを渡したのは、昼休みのことだった。
「誕生日おめでとう、市香」
「え」
「今日誕生日でしょ?」
「そうだけど、でも、くれると思ってなかったというか」
最近喋ってなかったし、とごにょごにょ。
「私、記念ごとはちゃんとお祝いしたいタイプなの」
「へえ。それで、これは?」
「マドレーヌと紅茶だよ」
「……あ、そう。ありがとね」
受け取ったあと、一瞬驚いたように目を見開いたのを私は見逃さなかった。あれ、焼き菓子苦手だっけ。
「嫌いだった?」
「いや、小町って、なんか、美容関係のものとか選びそうだったから」
悪びれもなさそうに市香がそう言ってのける。美容関係のものを、市香に? 何言ってるんだろ。私はそっと前髪をいじった。
「えーと、私そんな風に見える?」
「なんとなく」
「それなら次は美容品送ろっかな」
「えー、別にいいよ」
ふと、私の中にふつふつとした感情が芽生えてくる。美容品が欲しそうな素振りを見せては、いらないと言う。オシャレに興味ありそうなくせに、いざ話すとツンツンしだす。
市香のころころ変わる態度に惑わされてばかり。私たちが険悪になった理由、わかってる? もう笑って返せる余裕なんかない。気を配るのも疲れた。
視線を落とせば髪が落ちてくる。透明感のあるミルクティー色、くるんと巻かれた曲線、束感がもたらすツヤ。日々の努力の賜物だ。
でも市香は、ブラシで梳いてもヘアトリートメントでおうちケアしてもコテ使ってヘアアレンジしてもスタイリング剤で整えてもゴムで結んでもピンで留めても、全部自分でぼさぼさにしちゃうんでしょ。何をプレゼントしたとて道具たちは埃を被ってゴミ箱行きになってしまいそうだ。
「そうだよねー。市香、前に可愛くしたら怒ったもんね?」
これは紛れもない嫌味。なかなか本音を言ってくれない友だちに対する、ささやかな怒りの嫌味だ。
髪を耳にかけてすうっと見上げる。目を合わせると、市香から笑いが消えた。
教室の後ろで騒ぐ男子たちのバカ笑いが耳に届く。ここは昼休みの教室で、険悪な空気の中で口喧嘩をする場でもない。沈黙の間に五感が周囲を吸収して、だんだん脳が冷静を取り戻してくる。
私、子どもっぽい。わかってる。今日誕生日の人に、お祝いする相手に言う話題じゃない。それもわかってる。今さらギスギスした話題掘り返さなくても。わかってるよ。
市香がどこか青い顔で俯いた。
「いや、あれは……」
ほら、困らせてるよ。わかってるってば。でも今を逃せば、二度と言えない雰囲気になっちゃう気がするの。
私は一時も市香から目を離さなかった。
「あのとき、急に冷たくされて悲しかったな。せっかく喜んでもらったと思ったら、黙って謎に冷たくされて意味不明だったし」
「や、ほんと小町は気にしなくていいから」
「それは前も聞いたよ」
もう遠慮しないし、見逃してあげないから。
「怒ってるなら愚痴でもなんでも話してくれたらなだめたり一緒にキレたりできるのに、つらいことがあったなら相談してくれたら協力するのに、何もわかんないから何もできない。ちょっとくらい私を頼ってくれてもいいんじゃないの、ねえ」
このままお互い、心の中で何か燻らせながら過ごすのはきっとしんどい。少なくともあと一年、上っ面だけの友情を続けるなんて私はまっぴらごめんだ。だから、わだかまりはここでさよなら。
あのね、市香。私は市香の手を取った。
「気にしないなんか無理だから。態度だけじゃわからないから、ちゃんと言って。言いたくないなら言いたくないって言って」
里也にいっぱい考えてもらえてプレゼント贈ってもらえて、羨ましいなずるいなって嫉妬する気持ちがないわけじゃない。
けど、それ以前に、
「私たちは友だちでしょ」
SNSを相互フォローしていて時々イイネもしあってて、お花見もしてお話もたくさんした。これからは球技大会に夏休みに体育祭に修学旅行に文化祭、定番のイベントだけでもこれだけある。日々のだらない話で笑うことは数え切れないくらいあるはずだ。
私はあなたと仲良くなれてきたと思ってたし、もっと仲良くなりたいと思ってるの。
握る手が微細ながらも震えている。私なのか、市香なのか。多分、私じゃない。
「……あの」
「うん」
「その、気分悪くさせてごめん」
「うん。許す」
震えて潤んだ声だった。それはまるで泣く直前。まくしたてすぎたな、と反省させられた。
市香は鼻を軽くすすって私を見た。薄く口を開いてきゅっと結んだあと、意を決したように再び口を開ける。
「……あの、体育のときにね」
「うん」
「友だちが、市香急にそんな気合入れてなんかあったのって、可愛いねって言う子もいたんだけど……」
「うん」
「授業なのにオシャレする意味〜って……それは、その通りかなって思って、髪をほどいて……」
「うん」
「…………」
話す声がだんだん小さくなって、最後は言葉に詰まったみたいだった。昼休みに似合わない無音が訪れる。
市香が気がかりにしていたことは、友だちのことだったらしい。どんな人たちだったかな。もしたしからズバズバ言うタイプなのかもしれない。
無音が続いて、今さら不安になる。友だちに関する話すことがためらわれる内容を、話せと言い寄ったのは間違いだったか。でも、私が蒔いた種だから、私が刈り取らなければならない。
市香が完全に下を向いてしまって私と握る手が震えていたから、私は逆に手を強く握った。
「でも、私……何かあったから気合入れてるとか、オシャレする意味とか、そういう……」
おそるおそる見上げる瞳と目が合う。それは揺らめいていて、
「私は、理由がなきゃ、可愛くしちゃだめなの……?」
かすかな悲鳴とともに、たっという音を立ててしずくが机に落ちた。
相談してと言ったものの、私は相談に乗るのが上手なわけでもなんでもない。けど、これでようやく市香の立っている場所が見えてきた。
オシャレのモチベは結構周りに影響される。挑戦してみたくても周囲の環境がそれを許さないこともあるし、勇気を出した結果が何気ない些細な一言でダメになることもある。
押しに弱い市香だ。仲良くしている友だちの言葉なら、なおさら響いてしまうのかもしれない。
可愛くなるのに理由がいるのか否か。そんなのいるわけがない。
とはいえ、私はEmiemiを見つけてなかったらどうなんだろう。メイク始めたのも髪染めたのも、憧れの人に出会ったからだ。何かがないと、初めの一歩を踏み出せない人もいると思う。
「理由はあってもなくてもいいよ。市香はどう? 可愛くしたいかどうか」
「……えと」
市香が何度かまばたきを繰り返しながら、手を繋いだままの私の指先をそっと撫でた。この前頑張って仕上げた、ピンクと白の可愛いグラデーションネイル。
やがて、市香がぎゅっと目を閉じてぱちっと開き、私の目をしっかりと見つめる。
「わ、私は、可愛くなりたい」
上擦った声には緊張と決意があった。これは絶対嘘じゃない。
ありがとう、言ってくれて。私は笑顔で応えた。
「よし。じゃあ、可愛くなりに行こ!」
机の横に掛けているリュックから化粧直しのポーチを手に取って、市香をパウダールームに連れ出す。
泣き顔のまま五限は受けさせられない。大丈夫、昼休みはあとわずかながら残っている。授業前にはなんとかできる、いや、なんとかする。
小町サロンは、友だちのためなら年中無休で営業いたしますので。
後日の体育のとき、市香はカバー力のある日焼け止めを塗って、髪もすっきり結い上げて緊張した面持ちで挑んだ。ワントーン明るくなった肌に、高めの位置の可愛さ満点ポニーテールで。
授業後は晴れやかな顔をして「今日の授業? 普通にテニスしただけだけど」とのことだったので、友だちともうまくいったらしい。
「まぁ、ありがとね、小町」
市香が気恥ずかしそうにお礼を言う。
私はぼんやり、次市香にプレゼントを贈るとしたら美容品もいいかもしれないなと思った。今なら大事にしてくれそうだし、何よりオシャレを楽しんでいる顔をしているから。




