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1 九月 君にとっての非日常とこんにちは

 天空に掲げられたモザイクアートの中で、ウツボとサメとクジラが悠々と泳いでいる。

 右下の海底には東洋の龍のようなウツボが睨みをきかせ、真ん中には水中に差し込む日光を浴びて遊泳するサメがいる。クジラは左上の水面から顔を出して水しぶきを舞わせている。

 どれもリアルなタッチで描かれていて息を呑む美しさだった。


 そして、アートの中央には海の生き物に被らないように配置された白い漢字が四つある。優美な行書体で書かれた『百川帰海』。今年度の体育祭のスローガンだ。

 丁寧な書き出しから伸びる線は流れるように。迫力ある海洋生物のイラストにぴったり、かつ、存在感のある文字だった。


「萩原くん、素敵な字書くんだね」


 これは、山城やましろ小町こまち萩原はぎわら里也さとやにかけた言葉。

 夏の蒸し暑さが残る九月上旬、体育祭でのことだった。




 お天気の良い今日は、写真日和。

 いつもは下ろしているミルクティー色のゆるふわロングヘアは、抜け感のあるゆるポニーテールにした。メイクは紫団に合わせてパープルピンク、カラコンはナチュラルっぽいピンクブラウンに。

 家を出る前に見た姿見チェックでは、そこそこ良い仕上がりだった。よーし、体育祭頑張ろー。


 正門をくぐると、そこは明るい橙、鮮やかな緑、黒っぽい深紫などのTシャツを着た人で溢れている。

 うちの高校は一学年九クラスで、スポーツイベント時は三団に分けられ、各団のTシャツが配布される。今年の団Tの背中には、橙にウツボ、緑にサメ、そして我らが紫にはクジラが描かれていた。

 どれもカッコよくて良い。イベント日の特有の非日常感にテンションが上がる。

 

 ウキウキで一年E組の教室に入ったら、黒髪ド美人が紙パックの紅茶片手に、真剣な表情でスマホを触っていた。


「おはよー、ちあき」

「おは」

「何してるの?」

「レッサーパンダさん育ててる」


 海府かいふちあきは、ミディアムのストレート黒髪が綺麗な王道クール系美女。身長も高くて脚も細長い。モデルやアイドルのような抜群スタイルの美人さんだ。

 外見と違って、中身はふわふわな可愛いもの好きで、今も一心不乱に画面の向こうのレッサーパンダを撫でている。


「動物園作るゲームだっけ? この前はウサギ育ててたよね」

「さっきガチャでレッサーパンダさん当てたの。見て」

「わあ、もふもふしてそう」

「でしょ? はぁ、可愛い」


 ちあきは恋い焦がれる熱い眼差しをレッサーパンダに向けたあと、私を見て「あら~!」とよしよし頭を撫でた。


「小町ちゃんも可愛いわね」

「今日はポニテにしてみた」

「可愛いから写真に収めてとこ」

「指ハートにしよ、指ハート」

「両手ハートのほうもやっとこ」


 ちあきとはよく写真を撮る。自撮りも他撮りもポートレート風もお手の物。撮るのも撮られるのも楽しくて好きだ。


「おはよー。あ、今日撮ってる。混ぜて混ぜて」

「団T見えるように撮ろうよ」


 二人でパシャパシャ撮っていたら、いつの間にか他のクラスメイトたちも混ざってきた。みんなで撮っちゃお撮っちゃお。

 体育祭だからか、ヘアアレンジに気合が入っていたり、ストーンやハートのシールを貼っていたりしていて撮り甲斐がある。


「里也! モザイクアートのやつ見たけど、やっぱ字綺麗だな、お前」

「そうかな。ありがとう」


 私たちの後ろの席で、なにやら話す声がした。

 会話してる人たちが画角に入らないように調整しつつ撮影を進める。一枚、一枚、あともう一枚。

 ハッと我に返ったときには時すでに遅し。しまった、スマホのデータ容量が……。




 開会式を終えた紫団テントで、一年生男子の障害物競走を眺めつつ、写真厳選に励む。空き容量を増やしておかないと、閉会式あとの写真撮影タイムや、今夜の打ち上げのときに写真が撮れない。

 どれを残そうかな。このブレ加減は味が出てるし、これは半眼なのが逆に面白いし。


「うーん。ちあき、どれが良いと思う?」

「小町、可愛い。全部良い」


 そのアドバイス、まるで無意味。ちあきこそ、どれも美人さんで全部残しておきたくなる。

 ふと、ちあきが顔を上げた。


「あ、次京介じゃん」

「京?」


 見ると、グラウンドのスタートラインで眠たそうにあくびをしている京がいた。

 倉崎くらさき京介きょうすけは、私たちのマイペースなお友だち。体育祭の種目決めのHRで『俺、余りでいい』と言い捨てて寝始めた自由人でもある。

 頭は丸っこいシルエットで、透明感のある長め髪は地毛のように見えて、実はアッシュ系に染めているのだとか。


「容量あったら走る京の動画撮ったのに」

「撮っちゃいな撮っちゃいな。グループに送ったあと消せば問題なし」

「確かに。そうしよーっと」


 二人でニヤニヤして京にカメラを向ける。タイミングよく、よーい、どん。

 最初こそモタモタしてボール運びやら網くぐりやらをしている京を笑っていたけれど、次第に笑えなくなってきた。京がモタモタしすぎてて。


「……京、最下位なんじゃ?」

「あいつ、あんな運動ダメだったっけ」


 京がへろへろとゴールする様を見守ったのち、半ば呆然と録画中を止める。


「ど、動画どうしよ」

「もうグループ送った?」

「送ってない」

「じゃあさっさと消しとこ」


 何も悪いことはしていないはずなのに、謎に焦る。慌ててぽちっとゴミ箱マークをタップ。これで証拠隠滅。

 ふぅ、と息をついたとき、肩がぐんと重たくなった。私たちに太い腕がのしかかって、いたずらっぽく笑う声がかかった。


「ちあきの姉御、二人三脚の整列です」


 体育委員の大和だ。いつの間にか、私とちあきの後ろに、古郡ふるごおり大和やまとがいた。

 大和はがっしりした体格で、元気そうな黒の短髪がツンツンしている。彫りが深めで凹凸のはっきりした黄金比の顔立ちが、あ、ぺちっと押しのけられた。


「暑苦しいし重たいしびっくりした。ゴリラはお呼びでないよ」

「はいはい、悪かったな」


 ちあきと大和、そしてさっきヘロヘロになっていた京は同じ中学出身なので、良い意味で言葉がツンツンしているときがある。けど、基本的にちあきは動物が好きだから、動物にたとえる時点で結構仲良しさんだ。

 大和は気にしてないといった様子で招集看板を抱え直した。


「んで、消しとこっつってたのはどうした?」

「京介を動画で撮ってたの」

「最下位になっちゃったから消そうと思って」

「あー、京介? また徹夜してたらしいからな」

「またゲーム?」

「らしい」


 体育祭前にゲームで徹夜しなくても。いや、京ならしかねない。そのくらいゲーム好きなのだ。

 なるほど納得な空気に包まれたところで、大和が入場ゲートをちらり。


「ちあき、そろそろ」

「えー、もう?」

「いってらっしゃーい」


 しょうがなく大和に連れて行かれるちあきに手を振る。

 大和は小中高バスケ部で弟や妹がいるので、結構真面目さんだ。私たちの保護者みたい。




 私は中学のとき陸上部だったので、春の体力テストの短距離走のタイムが良く、午後の部にあるリレーに出ることになっている。

 だから午前中は一年全員の団体競技以外、特にやることがない。ちあきがいなくなって、ますますやることがなくなってしまった。


 友だち探しに紫団テントを歩き回っていたら、隅っこに一人で膝を抱えている人がいた。見たことある顔だ。

 というか、同じクラスの人のはず。誰だっけ、誰だっけ。


 日に当たるとちょっと茶色く見える髪に、あんまり外に出ていなさそうな色白の肌。黒縁メガネが印象的な、俯きがちな猫背の人。

 今朝もどこかで見かけたような。


 そうだ、ちあきの後ろの席の萩原くんだ。



「隣いい? こんにちは」

「えっ」


 隣にお邪魔したら、小さな疑問符が返ってきた。そのあと「あ、ど、どうも?」と消え入る声。完全にビビられている。急に仲良くない人に話しかけられたんだから、そりゃそうか。

 緊張ほぐしも兼ねて、適当に話を振ってみる。


「今日天気良いよね。体育祭にぴったりで」

「あ、そうですね」


 空を見上げれば、青空にところどころに浮かぶ白い雲に、グラウンドの向こうにある校舎の屋上が見えた。そこから『祝! 全国大会出場!』の垂れ幕のように、モザイクアートが飾られている。

 今年の各団Tの海の生き物たちを描いた絵だ。


「ねえ、あのモザイクアートって美術部が描いたんだよね」

「あ、はい」

「あの字書いたの、萩原くんなんだっけ」

  

 美術部の話になって、ようやく萩原くんが首を動かし顔を上げた。やっとこっち見てくれた。


「萩原くん、素敵な字書くんだね」


 私が両手を合わせて笑いかけたら、初めて目が合った。

 メガネの奥の色素薄めなまんまるお目々は、光を浴びて琥珀色。短く切り揃えられた爪先が、塗りすぎチークみたく真っ赤なほっぺたと震えるリップを隠して、


「……はにゃ」


 萩原くんが鳴いた。


「にゃ?」

「や、いや、す、すみませ、いたっ!」


 ずささっと下がってテントの支柱に頭をぶつけ、頭を押さえて走り去っていった。ものすごいスピード感、心配する隙すらなかった。

 どうしたのかな。まぁいっか。



 生ぬるい風が吹いて、私は座り直した。

 グラウンドでは障害物競走の人が退場ゲートに向かっている。その中で京がまたあくびをしながらテントに戻ってくるのが見えた。

 視線は空っぽになりゆくグラウンドから、天の青空、海洋生物のモザイクアートを経由して、逃げ蹴られた砂の跡へ。


「全然違うなぁ」


 今まで気にも留めなかったおどおどしたクラスメイト。その態度に似合わない力強く整った字。秘められたギャップ性をじんわり飲み込む。

 私は、もしかして萩原くんって面白い人なのかも、なんて思った。


 このときは、一つの恋になるともつゆ知らず。

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